ある日。精神の領域に興味を持った。感情、心、思考……不確定なモノ。僕を含め、人間の誰もが内包しながらも触れることが叶わない場所。人類が足を浸す広大な海。
僕が人間である限り、それを認識することはできない。この肉体が邪魔だから。形有るものは形無いものに触れられない。けれど興味は尽きなかった。
いかにして精神の次元に肉薄するか。考えた末、一つの可能性に辿り着いた。
僕がそちらに行けないなら、精神をこちらに呼べばいい。偶像を崇めて神を貶めるように、高次の精神を三次元に引き摺り下ろす。僕の興味はその先へ向かった。
精神が、心が形を持ったとき。人間は、世界は、どんな風に変化するのか。どんな風に……。
僕は、実験することにした。(全4話)
炎を巻きながら、境界を超える。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。
炎を巻きながら、境界を超える。器無き精神で辿り着けるか不安はあったが、境界は僅かに抵抗を感じさせたのみで、僕を受け入れた。
閃光の後、開ける視界。
そこは白い石畳による長い道だった。両脇に草花が揺れる道の先には、建物が聳え立っている。
何処へ行けば良いかは分からないが、とりあえず目指すべきは建物だろう、と進路を決める。道程は遠そうだが、幸い精神世界と同様に僕の体は浮遊、飛行が可能だった。白い道を、流れていく花に目を向けながら進んで行く。
……しばらくして、道の先に人が現れた。行く手を遮る、というよりは迎え撃つような、仁王立ちの女性。
速度を緩めて近づいていき、数メートル手前で止まる。女性はくいと顎を引き上げて口を開いた。
「何しに来たのかしら、闖入者さん?」
「「闖入」……ああ」
女性は僕が勝手にこの次元に入り込んだことを咎めているわけだ。軽く頭を下げる。
「それは悪かった。どう連絡を取れば良いか分からなかったので、直接来てしまった。正当な手続きが必要なら出直そう」
「目的次第ね。あんた、見た感じは大分手強そうだけど、話は通じてるみたいだし」
彼女は一体何者なのだろうか、という疑問が湧く。僕のことをどこまで見通しているかは分からないが、彼女自身からもかなり強い力を感じる。魔力量は普通なのに……強いて言うなら威圧感、だろうか。態度だけでなく、全身からにじみ出る「強者」のイメージは王を連想させた。
とにかく、話を聞いてくれるというのなら洗いざらい話すべきだろう。こちらにやましいところはないのだし。
礼儀として地に足をつけて、礼をする。
「僕は深紅。精神世界から来た感情の擬人だ。ここには頼みがあって来た」
「感情の擬人、か……。
「頼み」の内容について、教えてちょうだい」
顔を上げると、女性は腕を組んでこちらを見ていた。態度こそあまり良くないが、話を聞く姿勢ではあるようだ。門前払いされないだけありがたい、と考えよう。
「次元規模で危険な男がいる。僕たちは彼を捜索して止めたいが、精神の領域が全生物に繋がっているとはいえ、彼を見つけるのは難しい。頼みたいのは捜索、そして彼の無力化への協力だ」
「……その男、名前は?」
「「一条優也」と名乗ったが、偽名の可能性が高いと思う。
……彼に、僕たちは全滅しかけた。次元を一つ、失うところだった。彼の危険性についての証言が必要なら、仲間を呼ぼう」
女性は口元に手を当て、目線を下げて思案している。僕は待つしか無い。
やがて、女性は顔を上げた。
「こちらとしては、あんたが「危険」という人物についての客観的情報を集めないと、判断ができないわね」
「そうだな」
僕の言葉が疑われるのは残念だが、当然の対応だろう。素直に頷くけれど、つまり状況は芳しくないか……。
「だから、まずはその一条優也、とかいう人物の情報集めに協力してあげる」
「……良いのか?」
思わず訊くと、女性は首を軽く傾げた。
「あんたの言い分が本当なら、そいつは間違い無くあたしの敵。でもこちらには一欠片も情報が無い。あんた、そいつに実際会ってるんでしょ?」
「ああ。やりあってる」
「貴重な情報源じゃない。
あんたの持っている情報を元に、うちの技術を使って奴を徹底的に調べ上げる。その上で「危険」と判断できたら、あんたの目的である捜索と無力化が、うちの目的にもなるわ」
「その段階まで行けば、手を結べると」
「そういうこと。それでどう? 最終的に「危険」と判断できなくても、奴の情報は共有してあげるわ。手ぶらで帰ることは無いわよ」
感情を探る。そこに悪意は無く、至って冷静、平衡な精神であり、疑う必要はなさそうだった。そもそも、こちらにとっては大分良い条件である。
「……分かった。よろしく頼む」
「OK、契約成立ね」
すっと手を差し出される。女性はここでやっと笑顔を見せた。引かれるように地面を蹴って浮遊し、手を重ねる。
「ああ、自己紹介が遅れたわ。あたし、ゼウスよ。ここ第0監視世界のトップね」
「……は?」
徹底的に調べ上げられた結果、かの男は監視世界全域に指名手配されるほどの超危険人物と判明し、僕の目的は果たされたわけだけれど。
「……やはり契約内容と違う気がするんだが?」
「何がよ」
抱えた本を机に置く。肩痛い。腕痛い。
「少なくとも、資料室と君の執務室を往復することは契約内容に入っていないと思う」
「嫌ねー、「働かざるもの食うべからず」って知ってる?」
「知っているが……いや、もう文句を言っても遅いか」
奴について調べ上げるための条件として、僕がこの監視世界に常駐することが求められたために応じた結果、気付けば僕はこの女性・ゼウスがこなすべき細々とした雑用をも任されるようになっていた。情報収集の対価としては安いものなのだろうが、まさか資料の整理から庭の花の水やりまでやらされるとは思っていなかった。しかしそんな雑務も数年続けていれば、身についてしまうものである。今や水やりは日課だし、ゼウスにこき使われる状況にも慣れてしまっていた。
それらが全くの不必要だと感じれば、もっと文句も言うだろうし、この次元を抜けることだって考えただろう。しかし、奴の情報を集める上で見てきたこの第0監視世界の在り方、その頂点に立つゼウスという存在の意味は、あまりにも大きいと感じた。だから、手伝っても損は無い、と踏んでいる。
誰かを助けたい、と。目指したものはこの次元も僕たちも、同じはずだから。
「ただ、注文はある。もう少し人員を増やしたらどうだ?」
「使えない奴を増やすのは無駄でしょう。あたしはすぐに使える即戦力と、未来に使える有望株にしか興味無いの」
「その選定基準は結構だが、あまりに人手が足りていないぞ」
「分かってるわよ。一人は予約してる奴がいるの……あとは信頼できる伝手にも声かけるから、もう数人は増える予定になっているわ。それまで我慢してちょうだい。ざっと3年は待ってもらうけど。一条優也の本格的徹底的な捜索は、人員が揃ってからだから、更にその後ってことになるけど」
「……つまり最低3年は我慢しろ、と。
もう良い、僕は僕で勝手に知り合いを頼る」
「やだ何それ! 感情の擬人以外に知り合いいるの!? 精神世界とのパイプ、あたしももっと欲しい! 紹介して、紹介しなさい今すぐ!!」
「君は先に机の上の資料を修正するんだ!!」
……決して楽な道行きでは無いだろうに。現状は何一つ好転してもいないのに。
彼女が照らす先行きは明るい気がするから、不思議なものだ。
END.
0 件のコメント:
コメントを投稿