2020年9月11日金曜日

【創作小説】レイヴンズ08


雨の夜、男は少女を助けた。
彼女が人間ではないと知りながら。
(全25話)


(そーいや、あの人に相談とかしないのかな?)


(そーいや、あの人に相談とかしないのかな?)


 一段飛ばしで階段を上り、スキップで廊下を駆け抜け、景気よく扉を開く。
「やっほーう! たっだいまー! ってあれ?」
 まだ仕事中だろうから、場の空気を和ませようと大声で挨拶……したのに、烏対策部支部の中には既に和やかな空気が流れていた。どうやらお昼の休憩タイムに突入しているらしい。普段より多くの人が、昼食を広げて他愛もない話をしている。
「何だ、もう昼休み入ってんの?」
 同意の頷きや心温まる「おかえり」を受け止めながら、俺は自分の席ではなく別の人物の席へ向かう。目標は言わずもがな、白江保志弘だ。
「そっかそっか。俺もちょうど腹減ってきたし、保志君の隣で昼食でも」
「何で隣に来る鬱陶しい」
 あと二メートルのところで、机に向かっていた保志君が鋭いまなざしを向けてきた。わあ怖い。だがしかし保志君、その目を十年以上見続けてきた俺にとっては、そよ風のように優しい視線だ!
 というわけで、保志君の隣の席に座る。ここは保志君の部下、玲於奈ちゃんの席だけど、彼女は現時刻、高校で自分の職務を全うしている。文句は言われないだろう。
「一人のご飯より、一緒に食べた方が絶対美味しいじゃん?」
「コンビニ弁当の美味さが変わるか」
 俺が鞄から出したコンビニ弁当を一目見るなり、保志君は冷たく言い放つ。
「あー、保志君! それはコンビニ弁当を作ってくれたパートのおばちゃんたちに失礼だよ! この唐揚げにどれだけの愛情がこもっているか、保志君は知らないからそんなことが言えるんだ!!」
「いいよ知らなくて。お前と飯を共に食べる口実がなくなるなら」
「そんな冷たい人に育てた覚えはありませんっ!」
「お前に育てられた覚えがない」
「小学校時代から育んできたじゃない、絆とか信頼とかラブとか」
「俺が小学校時代育んだのはサツマイモとプチトマトだけだ」
「惜しい保志君、あとニンジンも育てた」
「どうでもいい」
 口で散々拒否しつつも、コンビニ弁当を広げる俺を止めない保志君。君のそんなところが大好きサ。
 唐揚げ弁当の蓋を取り、手を合わせていただきます。さあ最初の一口は……と思ったところで、保志君が鞄から出した袋が目に入った。近所にあるコンビニのマークが入っている。保志君て自炊が得意なわけじゃないから、昼は大体コンビニなんだよね。いつも通り、出勤途中に買ってきたんだろうな……ってとこまではよかったんだけど、中身を見て愕然とした。
「……保志君、まさかそれだけ?」
 保志君が手に持った袋から机に出したのは、メロンパンとカップのヨーグルト、紙パックの紅茶。それだけ。
「……そうだが?」
 悪びれもせず、保志君は答えた。軽く首を傾げるオプション付き。
 俺は息を大きく吸い込むと、右手の準備をして大声を上げた。
「馬鹿っ!!」
「いっ」
 大声で怯んだ保志君のデコに、準備した右手を突き出しデコピンを一発。普段なら、手首を掴まれるか手を叩き落とされるかで絶対に成功しないけれど、今回は珍しく大成功。喰らった保志君は銀紙を千回噛んだような渋い顔をしている。ギャラリーも、俺が保志君に一矢報いる瞬間に驚いていた。もっと大声で誉め称えてくれてもいいよ! 指笛カモン!
 それはさておき、保志君を説教する。
「そんな食生活が許されると思っているのかね保志君! 大の大人が、自分の健康管理もできないとは何事だ!」
「俺にとっての適正量だ。……多分」
 二十代の男が腹を満たせる量じゃない。絶対に足りない。前は俺と同じ弁当食べていたんだ、やせ我慢なのは分かりきっている。
 ただ、理由はすぐに想像がついた。クロたんの治療や彼女との生活で出費がかさんでいるのだろう。あとは、他の烏への警戒から精神的に疲労して、食欲が減退しているとか。
「ったく。今や体壊して困るのは保志君だけじゃないんだぜ? 俺の分けてあげるから食べなさい」
「勝手なことを……」
 割り箸についていた爪楊枝で、野菜や肉を保志君に渡してやると、保志君は素直に食べた。心因性ではなさそうだな、ちょっと安心。これくらいの手助けならいくらでもやってあげましょう、俺と保志君は魂の共鳴者ですから。
 いくらか少なくなった昼食を進めながら、支部を見回す。
「保志君。今日は人手が余るくらい余裕そうだけど、午後もここにいんの?」
「ああ、それ……」
 保志君は食べ終わったメロンパンの袋を結び、小さく頷く。何かを決意したらしい。
「お前の言う通り、今日はイベントの警備がチャラになったおかげで、人手は問題なさそうだ。午後は抜けて用事を済ませる」
「クロたんのことでしょ?」
 にやり。俺は予想的中を喜んだ。保志君が仕事を途中で抜けてまで済ませたい用事なんて、クロたん関係……もっと大きく言うと、烏関係に違いない。それだけ、保志君の思考において烏っていう存在は大きい。
 俺は、浮かべた笑みに期待を込める。保志君に悟らせ、認めさせるために。
「……」
 案の定、保志君は渋い顔で俺を見た。
「付いてくるって?」
「そうそうそういうこと!」
 俺は膝を叩いた。ちょっと爺臭い喜び方だけどご勘弁を。
「俺ももう無関係じゃないっしょ? それに困ったことがあっても、三人寄れば文殊菩薩様が知恵をくださるじゃん?」
「お前には知恵じゃなくて天罰が下るといいな」
「俺にも知恵が欲しい! 元々あるけど!」
「自分で言うな」
 物言いはひどいけれど、やっぱり拒否はしていない。断る理由がなかったんだろうし、そもそも「断る」という選択肢が保志君の中にあったかどうか……って、これはさすがに自惚れ過ぎかな。とにかく保志君の用事に付いていってもよさそうだ。
 ごちそうさまをして、容器を片付けながら確認する。
「保志君、行き先ってもちろんあの人のとこだよね?」
「ああ。クロウが行方不明になったことは耳に入っているだろうし、それこそ文殊菩薩並みに頼れる」
 保志君はごみをまとめると、鞄を持って立ち上がった。行動早っ!
「え、保志君もう行くの? 食後は休憩大事だよ?」
「「善は急げ」だ。誰でもできる仕事を回される前に、動いた方がいいし。……お前は仕事しなくていいのか?」
 俺は胸を張って答える。
「もっちろん! 午前中に収集した烏の情報は、既に巡回組に伝えてあるし、俺は仕事してなくてもバレないから!」
「それだけ存在感薄いってことは自覚してるんだな」
「「影の努力者」とか「縁の下の力持ち」って言って!」
 喋っている間に、俺も準備を整える。保志君は午後休む旨を書類に書き込んで、現在外出中の支部長の机に置いてきた。多分俺の分も書いてくれてるだろう。保志君を信じる。それが親友。
「今から行けば、時間的にも問題ないだろう」
 ここから目的地までは歩いて十五分強、食後の運動にはいいかもしれない。あれ、さっきは「食後の休憩が大事」って言ったよね、俺。どっちがいいんだ? えーっと、うん、まあいいや。俺は純粋に、保志君に置いて行かれないようについて行くだけだ。
「よーし、じゃあみんな! 俺は保志君とランデブーに」
「黙れ」
「うぉう!?」
 保志君の強烈な蹴りが俺の背中に炸裂する寸前、しゃがむことでギリギリ回避。まったく、意地っ張りのテレ屋さんなんだから。
「何、今の表現が不満なの? じゃあランデブーでなくハネムーンに」
「嫌がらせか? お前のそれは、俺に対する嫌がらせか?」
「まさか! 保志君に溢れんばかりの愛を囁いているだけでございますです」
「枯渇しろ」
「俺はいつでも保志君への愛で潤ってるよ、オアシスのように!」
 そんな馬鹿みたいな言い合いをして、みんなに微笑まれながら俺たちは支部を出た。


 爽やかな晴天の下、俺たちは他愛もない話をしながら一軒の家の前に辿り着いた。二階建ての煉瓦造りで、周りのコンクリートな家々とは温度差を感じる。冷たい世間に取り残されちゃったような寂しさも醸し出していた。
 保志君がぽちっと呼び鈴を鳴らす。きんこーん。
「はーい、どちら様?」
 スピーカーから、軽やかな女性の声。それを聞いて、保志君の横顔が自然に緩んだ。
「保志弘です。あと、何故か村正も」
「「何故か」じゃないでしょ。保志君了承してくれたじゃん」
「してない。お前が勝手についてきたんだ」
「保志君の素直じゃない言葉と嫌そうな顔が雄弁に語っていたよ? 「俺について来い」って。男気に惚れた」
「セレスおばさん、この地区の燃えるごみって何曜日に収集ですか」
「燃やさないで! あとこの地区も保志君の地区も俺の地区も収集日同じ!」
 言い合っている間に、がちゃりと家の扉が開く。
「久しぶり! お変わりなく、って感じね」
 銀髪に紫のワンピースの女性が迎えてくれた。呆れたような、それでいて懐かしむような顔で俺たちを見ている。目元の優しいしわが、ぴちぴちの美女にはない貫禄というか、人生経験豊富で包容力ありますって具合の、いい雰囲気を出していた。要は安心感があった。
「セレスおばさん、お久しぶりです」
「お久しぶりです!」
 保志君と俺も挨拶をする。
 保志君が「セレスおばさん」と呼ぶこの人、本名はセレベス。幼い頃に親を亡くした保志君の後見人であり……正真正銘の烏である。ちなみに俺は「セレスさん」と呼ぶ。
「あんたたち、こんな昼間に何しに来たの? まだ仕事の時間じゃないの?」
 腕を組んで壁に寄りかかるセレスさん。その言葉は俺たちの来訪が迷惑、という雰囲気ではなく、純粋に俺たちの心配をしているのが分かる。
「仕事は人手が有り余ってたんで、抜けちゃいましたー!」
「村正は違います。いてもいなくても変わらないんですよ」
「保志君、日本ポジティブ代表の俺でもさすがに心が痛いよ?」
「勝手に日本を代表するな、日本が落ちぶれる。で、セレスおばさんに相談したいことがあったので、抜けてきちゃいました。突然の訪問で恐縮ですが、お時間ありますか」
 セレスさんは、迷うことなくこくりと頷いた。
「ええ、もちろん。仕事ほっぽり出してまで会いに来た息子プラス1を、追い返すほど無情じゃないわ」
「セレスさーん、絶妙に俺を格下げしないでくださいよ! 俺は常に保志君と同じステージに立ってもがが」
「じゃ、失礼します」
 セレスさんの俺いじりに対抗しようとしたら、保志君に口を押さえられてそのままセレスさんの家に引っ張り込まれた。この義理親子はどうも俺をからかうのが趣味みたいなんだよなー。まあ愛情表現と受け取ってるから、なんら問題ないんだけどね。
 保志君は大学までこの家で生活していたから、勝手知ったる何とやら。俺も事あるごとに遊びに来ていたので、俺の家、保志君のアパートに続く第三の家って感じだ。
 廊下を進んでリビングに入ると、椅子に座らされた。ここでやっと俺の口が解放。ぷはっ。息苦しいっつうの保志君手加減してよ!! と抗議しようとしたけど、息が切れてる上に保志君はお茶をいれるセレスさんの手伝いに行ってしまった。よって抗議不可能。嗚呼、言葉に出来ない気持ち。
 ちょっとすると、テーブルにはお茶とお菓子が出される。保志君は俺の隣、向かい合うようにセレスさんが席に着いた。
「うん、とりあえず二人とも元気そうでよかったわ」
「一応、元気にやってます」
「嘘吐け保志君。聞いてくださいセレスさん、保志君たら今日の昼食メロンパンとヨーグルトと紅茶で済ませたんですよ? おかしいですよね?」
「え、それ本当?」
 じろりと睨まれた保志君は、少し気まずそうな顔。
「えーと、諸事情で……」
「さすがにそれは、村正に同意するわ。保志弘、ちゃんと食べなさいよ。仕送りとかいる?」
「いえ、どうにもならなくなるまでは自力でなんとかします」
「俺が面倒見よっか? まあ保志君と給料同じだから雀の涙だけど」
「絶対に嫌だ」
「素直じゃないんだから」
 はっきりと拒否した保志君に、セレスさんは苦笑した。そんな二人は、どこからどう見ても親子。俺の家じゃあ絶対見られない光景が少し眩しい。
 当たり障りのない近況報告が終わったところで、「さて」とセレスさんが呟いた。
「そろそろ二人の話を聞こうかしらね。今日のご用件をどうぞ」
「保志君、よろしくー」
「分かった」
 保志君は素直に頷くと、一つ呼吸を置いてから切り出した。
「……簡潔に言うと、烏のことです」
「まあ、予想はついていたわ」
 セレスさんは微笑と共に一つ頷く。
「何か厄介ごとにでも巻き込まれた?」
「そういうわけでは……強いて言うなら、自分から厄介ごとに首を突っ込んだ、ですかね」
「ふぅん、まあ保志弘の通常運転ね。何があったのかしら?」
「烏を、拾いまして」
「……拾った」
 どこかからかうような調子だったセレスさんが、ふっと真顔になった。基本お茶目で明るいセレスさんのこんな表情は、中々見られない。まあ、俺も今日が数年ぶりの再会だから、詳しく言えたもんじゃないけど。
 保志君が、クロたんを拾った経緯から現在までを簡潔に伝える。セレスさんは相槌を打ちながら一通り聞き終わると、足を組み直した。
「……なるほど。それで、私に相談したいのは何?」
「烏の方で、このことはどの程度広まっているかご存知ですか? それにより彼女にどの行動を勧めるべきか、決めたいんです」
「保志弘。その烏の子、名前は?」
「クロウと名乗っています。おそらくは本名です」
「……はあ。あの話、まさかあんたが絡んでいたとはねえ」
 セレスさんは腕を組んだ。
「クロウの失踪は、私も聞いたわ。広まっているどころか、この界隈の烏はその話で持ちきりよ」
「セレスさんも?」
 烏ながら人間界で暮らすセレスさんは、烏社会の中では結構な有名人である。理由は、人間界で暮らしているということもあるけれど、人間界と烏社会の橋渡し的な役割だからだ。
 烏は、生きていくにはどうしたって人間界に関わらないといけない。けれど右も左も分からないまま飛び込んでいったって、命を危険に晒すばかりで烏としてはよろしくない。そこで、人間界に溶け込み生活しているセレスさんを頼るのだ。食料があるところとか、どの時間帯なら人が少ないかとか、人と離れている烏では中々得られない情報も、セレスさんなら危なげなく入手できる。そのため、人間界にありながらセレスさんは烏たちに忌み嫌われることなく、むしろ尊敬されている。
 そんなセレスさんなら、烏社会の様々な情報を持っていてもおかしくはない。だけど、烏一羽失踪した程度の瑣末な情報が、セレスさんにまで行き渡っていたとは少し驚きだった。
「ええ。一、二週間ほど前かしら。「人間に襲われて行方不明になったから、危険のない程度に調べて欲しい」って頼まれたのよ」
「それって、誰が頼んできたんですか? 立場的に、偉いとかそうでないとか」
「若い烏が真っ先に来たわね。その後で長たちも来たけれど……クロウが逃がした烏たちがかなり慌ててたみたいで、情報がかなり広まったみたい」
 長というのは、烏をまとめる代表者のことだ。そんな烏まで調査を依頼したってことは、話は相当の広がりを見せているようだ。これで俺らのことがバレたら、と思うとぞっとしない。
 姿勢を正したセレスさんは、首を軽くかしげた。
「それで、保志弘。あんたはどう行動すべきだと思う?」
 保志君は少し俯いた。
「……少し、心配だったんです。クロウが烏の元に戻ることは喜ばしいですが、事が広まりすぎていたら、根掘り葉掘り訊かれてクロウが困るんじゃないかと思って。「人間に助けられていた」なんて素直に言っても、むしろ危険な立場になるのでは、と」
「あんたらしい懸念ね」
 セレスさんから苦笑が漏れる。テーブルに肘をつくと、息を吐いた。
「でもその懸念、重大かもしれないわ。言った通り、クロウ失踪の件はほとんどの烏が知っている。それに、長もこの件に口出しをしてきている。失踪していた間何をしていたのか、追求は免れないでしょうね。クロウは堪えられると思う?」
「……難しいと思います。所感ですが」
「俺も賛成。律儀っていうか、素直だからねー」
 保志君の言葉に、俺も同意する。口数少ない分、結構顔に出ちゃうタイプっぽいし。
「「クロウをこのまま帰さない」っていう選択肢もあるけど?」
「絶対駄目です」
「分かってるわよ、一応訊いただけ」
 超絶真面目な保志君の一言に、セレスさんはひらひらと手を振る。保志君も保志君で、クロたんに負けないくらい律儀だから、「烏の元に帰す」っていう約束を違えることなんか頭にないんだろうな。それがクロたんの幸福だって、ちゃんと理解してる。
「じゃあ、クロウの危機を回避する方法は一つね」
 セレスさんが微笑んで言った。
 クロたんは絶対に烏社会に帰す。仲間からの追求は免れない。でもクロたんは嘘吐けないだろう。
 三つの条件を満たす、一つの方法。
「……あ」
 文殊菩薩様の知恵降臨。
「クロたんが自信持って言える嘘を考える……! どっすか!」
 挙手と同時に回答すると、うんうんと頷くセレスさん。俺は正解したらしい。ガッツポーズ!
「「嘘を本当にしちゃう」ってのは大げさだけど、後ろめたさがないくらいに本当の嘘を考える。彼女だけで考えるのは無理でしょうけど、あなたたちが加わればいい具合の嘘ができそうじゃない?」
 それって、俺たちは人を騙す狡猾で悪知恵の働く人間ってこと? ……あながち間違ってないか。
「平穏に済ませたいなら、嘘を吐くしかない。私ならそう考えるけど、どうかしら保志弘?」
「中々難しい方法ですよね」
 保志君はしかめっ面をしていたけれど、やがて決意の顔になった。この顔の保志君はすごいよ。何でもやっちゃうスーパーマンの顔だよ。
「でも、クロウのためなら。やってみせます」
「嘘を吐き通すってのも、中々辛いとは思うけど……ああ、クロウが協力してくれるかどうか、って問題もあるわね」
 そうだ。クロたんがこの提案に乗ってくれるのか、そこが大きな問題っていうか大前提。クロたんがこの状況、あるいは帰った際の追求に対して、特に何も感じていないのならば、こんな作戦杞憂でしかない。
 でも、多分。
「……クロたんなら、多分乗りますよ。大丈夫」
「何でお前が分かるんだ」
 確信を持って言うと、保志君が心底不思議そうな顔で訊いてきた。あのねえ、保志君。君は鈍感すぎる。
「保志君。クロたんも嘘を吐くことの必要性には理解を示してくれるよ。それはね、クロたんなら保志君と同じようで違う考えを持ってるから」
「さっぱり分からない」
「相手を思いやる気持ちってやつ」
 ちょっと呆ける保志君。セレスさんはクロたんのことを知らないからか、口を挟まずどこか面白そうに俺と保志君を見比べている。
「保志君がクロたんのことを思って行動してるのと同じように、クロたんも保志君のことを思って、協力してくれると思うってこと」
「……クロウが俺を慮る必要があるか?」
 こいつどこまで鈍感なんだ。
「じゃあ訊くけど保志君。なんで保志君はこんな作戦に乗ったの? なんで、仕事切り上げてまでセレスさんのところに来て、烏の情勢を探ったの?」
「それは、俺が助けたことでクロウに余計な迷惑を、負担をかけたくないからだ」
「それと真逆のことを、クロたんは思ってる。わかる?」
「……自分を助けたことで、俺に余計な迷惑をかけたくない?」
「はい正解。っていうかね、考えてみなよ保志君。烏が人間に襲われて意識不明、でも別の人間が助けてくれたおかげで全快になり、仲間たちの元に帰りました。これを包み隠さず話した場合、一番ヤバいのって誰よ?」
 保志君は、ゆっくり呟いた。
「……人間、だな。少なくとも、クロウではない。だからこそ、クロウが俺を思いやる必要は」
「君は何処まで鈍感なんだね保志君。さすがの俺も怒るよ? 普通に考えて、烏たちはクロたんの説明を信じない。「人間が烏を傷つけた」その事実があれば烏はいくらでも人間に報復する。手近なのは、クロたんを助けた人間、つまり保志君でしょ? 人間が烏を助けるはずないんだから。裏があると見て真っ先に消しに来るよ」
「そうだな」
 自分の死ぬ可能性への感想を四文字で済ませたよ、この男は。本当、人間離れしてる達観。恐れ入るね。怒る気が失せた。
「……はあ。クロたんは、保志君に少なからず恩義を感じてると思う。恩を仇で返すようなこと、真面目で素直なクロたんが良しとするか、って考えると、すぐ答えが出ると思うけど?」
「……お前の考えは分かった」
 保志君は頷いた。鈍感でも、人の意見を取り入れる柔軟さがあるのが保志君の売りだ。もう何でこんなに鈍感なんだろう……いや、逆に、ってやつか。
「ああ、確かに、そうかもしれないな……」
 すっと保志君が目を閉ざす。そして、確信に満ちて、一切の揺らぎなく。
「クロウは、確かに俺を許してくれていた」
 ……ああ。やっぱり、保志君は。
 そんな俺のぼんやりとした考えを、セレスさんが手を叩いて吹っ飛ばした。
「さあ、やることが決まったんなら、早くクロウのところに行くといいわ。烏から聞いた話じゃ、近く大規模な捜索をするらしいから。手がかりを見つけた烏がいたらしいのよ」
「手がかり? どこにそんなもんが……」
 新たな疑問がやってくる。クロたんは保志君の部屋にずっと閉じこもっているのに、何の手がかりが見つかったって言うんだろう。
 烏にしか聞こえないという「声」だろうか。でもクロたんが「声」を使ったなら、もっと早くに居場所を突き止められていてもおかしくない。さっき俺が言った「保志君を思いやる気持ち」も全否定される。じゃあ窓から見えた姿だろうか。保志君の部屋は、地上の人間からしたら見上げる高さにあるけれど、烏なら問題ないだろう。人間に見つかる可能性を考えるとリスクは高いが……。
 考えていたら、今度は保志君に疑問を追っ払われた。腕を掴まれて椅子から立たされる。そんな強引な。
「今それはいい。考えるなら別のことにしろ」
「烏を騙す嘘の話? まーたそんな無理難題! ってか、それって皆で知恵出し合って構築するんじゃないの?」
「烏に詳しいのは、絶対に俺よりお前だ」
 保志君は鋭い瞳で俺を睨んでから、セレスさんに笑顔を向けた。このギャップは何? 俺を頼っちゃったことによる照れ隠し? そういうことにしちゃうよ?
「セレスさん、ありがとうございました。俺たちは失礼します」
「ええ。また何かあったら電話でも直接でも相談して」
 微笑むセレスさん。彼女が俺たちに協力してくれて、本当にありがたい。
 俺たちが、少なくとも俺が「烏と人は共存できる」なんて夢を持っていられるのは、正体を知られていないからとはいえ、人と共に生きているセレスさんという烏がいるからだ。セレスさんに出来て、他の烏に出来ないことはないと思うから、希望が持てる。
「はい、ありがとうございます。迷惑も心配もかけちゃって」
「私にとって、あんたたちは息子同然なんだから、そういうことは言わなくていいの」
「そう、俺たちは固い絆で繋がった義兄弟なのサ! 桃園の誓いってやつだね!」
「調子乗るな」
 冷たい保志君の呟きは置いといて。
「そういえば、セレスさんって保志君の家に行った事ないですよね? せっかくなら、クロたんがいる間に一度来てくださいよ! クロたんも安心するだろうし!」
「何でお前が勧める。まあ、確かにいい機会だが」
 クロたんは人間の中にぽつりと一人いるだけだ。悩みやら不安やらもあるだろう。同じ烏のセレスさんなら、解決とまではいかなくてもそれらを和らげてくれるはず。
「……それもいいわね。私、クロウには会ったことがないから、一度くらい会っておきたいわ。可愛らしい女の子だって言うしね。ふふふ」
 最後の方の笑いには、若干犯罪の臭いがしたけど、大丈夫かな? うん、大丈夫。きっと大丈夫。信じてる。
 三人で玄関まで行き、扉を開いたところで改めて御礼を言う。
「セレスおばさん、今日はありがとうございました」
「ありがとうございました! お茶美味しかったです」
「ふふっ、楽しみ……ああ、ええ。少しは助けになれたみたいでよかったわ。またお茶飲みに来なさいね」
 前半の、どこか恍惚とした表情と言葉は忘れよう。ひらひらと手を振るセレスさんに軽く手を振り返して、家を出た。
 ちぎれた雲が流れていく空を見上げながら、帰路を辿る。
「さあーて、保志君にも頼られちゃったし、ここは俺の腕の見せ所ってやつかな!」
「は? 誰がお前を頼った?」
「「烏を騙せる嘘を考えてくれ」って言ったじゃん。頼み込んだじゃん」
「そんな発言はしていない。そして別に頼ってない。適材適所だ」
「それを別の言葉で言い表すと「頼る」なんだよ。ふんふーん、本気出しちゃうぞー」
「……法には触れるなよ」
「大丈夫! 俺はともかく、保志君やクロたんを巻き込んだ上で違法行為はしません。その辺の分別はついてるよっ」
「それ、自己責任ならやるってことだろ。頼むぞ……?」
「まあ任せたまえよ、クリーンな妙案出してあげるからサ!」
 そう簡単に文殊菩薩様から妙案はいただけそうにないけれど、それでもめいっぱい考えて、考えて、考えてやる。保志君のために、クロたんのために。そして俺の夢、俺の願いのために。
 俺はただ、夢を見るだけの非力な人間だ。クロたんや、保志君のような力もない。こんなことしか出来ないけど、それを悔しがる前に全うしないとね。自分に与えられた役割をこなす。非力を呪うのはその後だ。それで十分間に合う。
 保志君と、クロたんと。自分を追い詰めるように言えば、二人の命がかかってる。どっちも大切な、同じ重さの命で、俺は守りたいと思う。守る手助けがしたいと思ってる。命だけじゃない、絆だって守りたい。
 乗り切ってみせる。やっと繋いだ絆を、守らなければ。


 仰いだ太陽がほんの一瞬、黒い影に遮られた気がした。


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