2020年9月5日土曜日

【創作小説】レイヴンズ02

  

雨の夜、男は少女を助けた。
彼女が人間ではないと知りながら。
(全25話)


(私はどうして、ここにいるんだろう……?)


(私はどうして、ここにいるんだろう……?)


「…………んー」
 ぼんやりとした意識の中で、瞼を貫通する光を感じる。
 まどろみの雲が晴れていく。
「…………はぁ」
 目覚めと同時にため息が口からこぼれた。非常に後ろ向きだが、まだ寝ていたいのに目覚めてしまった、というがっかり感からくる正直な反応だ。
 眩しい光を手で遮りながら、目を開ける。最初に見えるのは、当然自分の手。その向こうには、日の光で濃淡を描く高い天井。ゆっくり手をどかすと、天井からぶら下がったライトがある。自然の光がたっぷり注いでいるから、光は灯っていない。
「んー…………」
 ごろりと寝がえりをうつ。すると、サイドテーブルに置かれた小さい時計と目が合った。長針と短針を読んで、今が九時過ぎであると知る。随分のんびりと寝過ごしてしまったようだ。
「……もう、そんな時間……」
 とりあえず体を起こそうとふかふかの枕から頭を上げて、緩慢な動きで上体を起こす。でも茶色の毛布が温かくて、なかなかその先の行動に移れない。
「……」
 ……あれ、私の毛布って、茶色だったかしら?
 ……っていうか、私の部屋の時計って、アナログだった?
 ……私の部屋のランプって、吊り下げ式じゃなかったわよね?
「ここ……」
 寝ぼけていた頭が、急激に覚醒した。
「どこ……!?」
 よくよく見るまでもなく、見覚えのない部屋だった。自室でない、というだけで警戒レベルは一気に最大級になる。先ほどまでのまったりとした眠気は完全に吹き飛び、代わりに緊張感と、ついでに今の今まで変化に気付けなかった自分への苛立ちが満ちていった。
「……誰も、いない」
 集中して気配を探るも、この部屋には私以外は誰もいないようだった。耳を澄ませても、窓の外を飛ぶ鳥のさえずりしか聞こえない。わずかに警戒レベルを下げる。
 とにかく、ベッドを降りることにする。足を毛布から出そうとして、足に力が入らないこと、何かがまとわりついていることに気づいた。
「……?」
 茶色の毛布をそっとめくる。
 すると、自前の足に包帯やガーゼがぐるぐると巻きついていた。きつくはないが簡単に緩みそうもない、絶妙な処置が施されている。
「これは……?」
 その意味が理解できずに首を傾げる。
 が、すぐに分かった。というより、思い出した。額に手を置いて呟く。
「……そうか。私、気を失って……」
 夜、空を飛んでいる間に、人間に見つかったのだ。その時一緒に飛んでいた仲間を逃がすために、私が囮になった。攻撃自体はほとんどかすっただけで済んだけれど、最後に翼を撃ち抜かれて地面に落ちた。灰色の道路に体を打ちつけたところで、記憶が途切れている。この包帯やガーゼは、打ちつけた際の傷を保護しているのだろう。
「……誰が?」
 では一体、誰がこんなことを。仲間が拾ってくれた? それとも……?
「ここがどこだか分かれば……」
 カーテンに遮られて見えない窓の向こうを見るのが、一番手っ取り早いだろう。
 ベッド脇のスリッパを一応使い、ゆっくり立ち上がろうとする。けれど、全身に痛みが走ってふらついた。何とか踏ん張って、痛みをやり過ごす。
「っ……」
 気を失ってから何日経っているか分からないけれど、痛みがここまで主張してくるとは思わなかった。結構な高さから落ちてしまったのだろう。生きているのが奇跡、というレベルだったのかもしれない。
 一息ついてから、痛みを最小限に抑えるためのろのろと窓へ歩み寄った。そっとカーテンに手をかけ、開ける。
 その向こうに広がる世界は。
「……違う」
 私が知っている景色ではなかった。空が近い。大地が遠い。建物が密集した街。
 ここは、私が生きられる場所ではない。
「……じゃあ私……人間に、助けられたっていうの……」
 そんな馬鹿な。
 自分の発言を、脳が否定する。私が人間に拾われるはずない。ありえない。しかも、丁寧に怪我の治療まで。そんなの、信じられるわけがない。
「もしかして、人間と見間違えた……とか?」
 手を見下ろす。外見は人間と大差ない私たちだ。普通に道を歩けば、警戒はされるけど簡単には見破れない。
「きっとそう。それしか考えられない」
 自分に言い聞かせて、この問題は終了とする。取り組むべき問題は他にもあった。
「……これからどうしよう」
 とりあえずベッドに座りこむと、跳ね返る衝撃で体がまた痛んだ。下手に動くのは無理そうだ。でも、人間の部屋に居続けるというのも、あまりいい気分ではない。
 情報収集も兼ねて、今一度まじまじと部屋を見回してみる。全体的に白っぽく飾り気はないが、それなりに生活感、温かみがあって、雰囲気は悪くない。窓から見える景色の高さからしてアパートの一室だろうけれど、広く見えるから不思議だ。
「……?」
 部屋を見回す中で、L字ソファの前に置かれたテーブルに目が行く。その上には、白い紙が置かれていた。情報があるかと思い、痛む体に鞭打ってテーブルに向かうと、予想通りその紙には丁寧な文字が書き付けてあった。ソファに腰を下ろして、紙を手に取る。
「『お腹が空いたら、冷蔵庫の中のものを食べてください。あと、帰宅するまで部屋で絶対安静』……」
 さらに文の最後に、付け足したように書かれた二文字がある。
「『白江』……」
 何をどう見ても、このメモを書いた人物の名字だろう。私を助けてくれた、運の悪い人。
「……どんな人かしら」
 メモを手に顔を上げたら、急激な空腹感に襲われた。思ったより長く昏睡していたのかもしれないし、単純に食物の存在を意識したからかもしれない。……年頃の娘としては前者を推したい。
「……メモに従うのは、ちょっと癪だけれど……」
 背に腹は代えられない、とはまさにこのこと。メモをテーブルに戻し、ソファの背に手を置いてゆっくり立ち上がる。「早く食い物をよこせ」と五月蠅いお腹を抱えながら、痛みに耐えてのろのろ歩いた。
 辿り着いたキッチンの奥に、白い家電が鎮座している。躊躇いと空腹をほんの一瞬天秤にかけたのち、冷蔵庫の扉をがぱりと開けた。
「……おにぎり?」
 冷気の中目に入ったのは、ラップにくるまれたおにぎり二つ。巻かれた海苔の隙間から、ピンクと黄色がそれぞれのぞいている。
「……」
 棚からそれらを取って、扉を閉める。ひんやりしたおにぎりと、「大好物だラッキー」と騒ぐお腹を抱え、ゆっくりソファに戻った。
 座った際の衝撃からくる痛みに耐えて数秒。目視によるおにぎりの安全性の確認に数秒。躊躇いに数秒をかけてから、手を合わせる。
「……いただきます」
 まずはピンクが混ざった方の透明のラップを剥いで、がぷり。
「……鮭」
 慣れた味が私の中の何かをほぐしていく。自然と顔がほころんでいくのが、自分でも分かった。美味しい。食べ物が美味しいことは、この世の幸福だ。
「……」
 食物を摂取したことで、空腹を実感した。そこから先は半ば一心不乱。喋る相手も内容もないので、無言で鮭おにぎりと向き合い、食べ進めていく。
「……」
 おにぎりは豪快なサイズで、そこそこのスピードで食べている割になかなかなくならない。白江の手作りだとしたら、男なのではないかと思う。偏見だけれど。
「……でも」
 一つ目のおにぎりを食べきり、口いっぱいの幸福を嚥下して、久しぶりの声を発する。
「私をここまで運んできたんだとしたら、やっぱり男、よね」
 女ひとり抱えて、この部屋まで運びこめるだけの腕力とか体力を、月並みの女が持っているとは考えにくい。だとしたら、白江は男である可能性が高い。どんな人だろう?
 と、考えながら、手が勝手に次のおにぎりを求めていた。思考を一旦切って、包みを解く。
 次のおにぎりには、卵を用いたふりかけが混ぜ込まれていた。これも大好物だ。
「……」
 今度は味わって食べる。片手間に、白江について考えてみた。
 ……白江って、どんな人だろう。予想は男だけれど、もしかして女性かしら。私を助けた目的は何なのか。どんな人物像なのか。
 可能ならば今すぐこの部屋を出て家に帰りたい所だけれど、怪我の状態からいってそれは不可能だし、手当をし、食事を用意してくれた白江に、お礼の一つも言わず出て行くことは気が引けた。それに彼自身に興味もわいてしまっている。後付けの理由といえなくもないが、白江の顔を拝んでから帰るべきだ、と私は考えていた。
「それがいいと思うのよ……もむ。……ん、ごちそうさま」


 空腹が満たされた私はベッドに戻り、幸せな気持ちのまま眠りについた。


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