2020年9月11日金曜日

【創作小説】レイヴンズ10


雨の夜、男は少女を助けた。
彼女が人間ではないと知りながら。
(全25話)


(理解して、それでも同意できないこと)


(理解して、それでも同意できないこと)


 オフィスビルの一室、烏対策部支部の扉を開こうとしたら、勝手にドアノブが回って開いた。更に、扉の向こうから飛び出してきた誰かとぶつかってしまった。この場合って、どっちの不注意になるのだろうか。そんな些細な疑問で、礼を欠いたりはしないんだが。
「悪い、怪我は……って、玲於奈?」
「先輩!」
 ぶつかった相手は玲於奈だった。高校生ながら烏対策部支部でのバイトを志願し、俺の部下という扱いで働いている優秀な少女。
 普段は冷静沈着な彼女だが……いや、だからこそ、かなり慌てているのが目に見えて分かる。
「どうした、そんなに慌てて」
「あ、あの、えっと」
 しかし玲於奈はどもる。本当に、玲於奈らしくない動揺っぷりだ。どこかに行こうとしていたのだろうか。俺を押し切って支部を出て行こうとはしないが、部屋の中に戻る様子もない玲於奈に、俺は支部入口で立ち往生してしまった。
 そんな状況なのに、支部の中からの制止やら何やらが中々来ない。どうやら、支部には誰もいないようだ。玲於奈の頭越しに見た限りでも、人影がない。
「玲於奈、一人だったのか」
「は、はい」
 こくりと頷く。
「どうした? 何か困ったことでもあったのか」
「いいえ、何も。あ、う……」
 きっぱりと言い切った後で、玲於奈は俯いてしまった。何かあったんだな。俺にその内容を伝えたいのだろうが、言葉を選んでいるようだった。
 しかしそれとは別のところで、何かに気づいたらしい。玲於奈ははっとして俺の顔を見ると、数歩後退って支部内に入った。
「ごめんなさい! 邪魔でしたね! あとぶつかってごめんなさい!」
 律儀に頭を下げる玲於奈に笑いかけながら、俺も支部に入った。昼過ぎの出社……会社じゃないけどまあいい、出社である。
「ああ、いや、別にいいよ。俺こそ悪かったな。痛くなかったか?」
「全然。問題ありません」
 ぶんぶんと、勢いよく首を横に振る。普段あまり見られない年相応の行動は可愛らしいが、それが表に出てくる程の動揺は、あまり笑えそうにない。俺たち以外の職員は支部にいないし、腰を据えてゆっくり話をすべきか。
「玲於奈、何か飲むか?」
「え? 今ですか?」
「ああ、今」
「そんなことしている場合じゃないんです!」
 大声で言った後で、玲於奈は口元を押さえた。
「ご、ごめんなさい……私が、その「場合」を伝えなきゃいけなかったんでした」
 何かを飲みながら話す行為が「そんなことしている場合ではない」と言われるとなると、重大なことが起こったのだろう。だが、今の彼女のままでは、上手く情報を伝達するのは難しいのではないか、と思う。
「分かった、とりあえず座ろう。落ち着いて、詳しく話を聞かせてくれ」
「はい……」
 自分の席に着くと、隣の席に玲於奈が座る。玲於奈は、そろえた膝の上で手を硬く握り締めて、ゆっくりと喋り出した。
「……今、支部の職員方は緊急出動中です」
 緊急出動。
 烏と人間の間で重大な事件が起こった、ということだ。
「危険な状況なのか」
「烏が……数羽で、通行人を無差別に襲ったそうです。通報時点で、既に三人が重傷、内一人が意識不明とか……」
 ……知らなかった。家からここに来るまでに騒ぎはなかったから、人目につく場所での事件ではないのだろう。けれど、どこであれ被害があったことは事実。人間が襲われたのも現実。玲於奈の慌てっぷりはよく理解できた。しっかりしているので忘れがちだが、彼女は普通の一高校生。実際こういった事件が起こり人的被害があると、戸惑うのは当然だ。
 玲於奈は、大きく息を吐いた。しかし力が入ったままの肩が、小さく震えている。
「昼間にこんな大きな被害……信じられないです」
「正直、俺もびっくりしている」
「私、行こうとしたんです」
 俯いたままの玲於奈の声は、本気だった。
「私も、「現場に行きたい」って言ったんです。何か、できることはあるんじゃないかと。あるはずだと、思って。でも……」
 俺が来るまで一人でここにいた。それが、彼女の意見に与えられた結果だから、たしなめるようなことはしない。おそらく玲於奈も、拒否されることを承知で言ったはずだ。そもそも彼女がここで働く条件に「重大な事件の際の出動を禁じる」というものがある。玲於奈を最大限守るための取り決めだと、彼女自身わかっているだろう。
「「ここで待機しろ」と言われて、一人残っていました。突然のことで、三人しかいなかった職員方が皆出て行きましたから、ここで留守番をするのも大事な仕事だとは、思ったんですけど……でも、被害も聞いてしまったから、私……」
「うん」
 玲於奈の細い肩が震えていたが、どうしたらいいのか分からず、頷くだけにした。下手に慰めたりするより、こちらの方がいいのではないかと思った。
 玲於奈はしばらくそのままで黙っていたが、やがて顔を上げた。表情はまったく晴れていなかったが、何かしら吹っ切れたような、覚悟したような口調で話を続けた。
「……私の両親が、烏の事件に巻き込まれて大怪我した、って話は、しましたよね?」
「ああ。「ここに入りたい」って言ったときに、理由として教えてくれたよな」
 玲於奈が、学生ながら烏対策部支部にいる理由。それは、両親に深い関係がある。
 玲於奈の両親は、烏の起こした事件に巻き込まれて大怪我を負った。詳しいことは聞いていないが、事件から数年経った今でも、後遺症の為に病院に通っていると聞いている。
 だから、玲於奈は烏を憎んでいる。
 それを咎めることはできない。当然のことだ。両親の、そして自分の人生をぶち壊し苦しめている烏が、今なお他の人間に猛威を振るっている。俺の両親は病死だったから、その憎しみのひとかけらも理解できないけれど、「憎い」という感情は分かるつもりだ。
 俺の勝手な考察なのだが、玲於奈は自分の両親を傷つけた烏を憎むのと同じように、他の人が自分の両親や、自分のような境遇に置かれることが許せないのではないのかと思う。自分たちはこんなに辛いから、憎い烏のせいで自分たちと同じような辛さを、他の人に味あわせたくない。正義感、というやつだろうか。そういうものが、玲於奈にはあると思う。
 だからここに来た。だから約束を破りかけた。玲於奈の動揺、行動、落胆や焦燥も、そんな義憤から来るのではないだろうか。
「私は無力です」
 握っていた手を組み、懺悔するように呟いた。
「ここにいるのに、何も出来ない。いえ、ここにいられるだけでも奇跡みたいに恵まれているって、分かってはいるんです」
「俺も分かっているつもりだよ」
 慰めでもなんでもなく、本心から言った。
「玲於奈が、辛いっていうことは。少しくらいは、分かっているつもりだ」
「烏が、憎いです」
「だろうな」
「でも、憎むだけじゃ烏の被害は減らないじゃないですか」
「その通りだ」
「でも、私ができることって、少ないじゃないですか」
「そうだな」
「段々、自分がやっていることって無意味なんじゃないか、って思うんです」
「無意味?」
 それは玲於奈の本心であり、弱音だった。
 頷く玲於奈は、ほんの数分前の動揺が嘘のように、穏やかに語る。
「ここにいる。それだけの私って、何の意味もないんじゃないかな、って」
「でも、諦めずにここにいるじゃないか」
「はい。私が、「ここにいたい」って望んだんです」
 玲於奈が俺を見る。心の奥底が見えそうなほど、澄んだ目だ。
「先輩だって巻き込んで、ここにいる。何もできないからって、捨てるわけにはいかない。必ず行動するチャンスはやってくる。そう言い聞かせて、やっとここにいるんです」
「いいんじゃないか、それで」
「……先輩って、ちょっと変ですよね」
「え?」
 突然の評価を受けて、俺は思わず裏返った声を上げてしまった。それがおかしかったのだろう、玲於奈が小さく笑った。
「私の迷いに答えを示すわけでもないし、私の憎しみを否定するでもないし。そうして欲しい、ということではないんですけど、それって普通じゃない……いえ、言葉が悪いですね。えっと……懐が広い? って思いました」
「そうか? まあ……玲於奈に関して言うなら、迷いは一応の解決を見ているし、烏への憎しみも、当然かなと思うんだ。その迷いや憎しみがあるから、救われた人だっているはずだよ」
「私の、迷いや憎しみが……」
 玲於奈は、自分の手を見下ろしている。
「玲於奈のおかげで、俺の仕事はかなり楽になった。「玲於奈くらいの若い子が頑張って仕事をしているから、自分も頑張ろうって思える」と他の職員から聞いたこともある。直接的な例を挙げるなら、巡回中危険に遭遇した時の的確な行動、とかかな。始まりがマイナスの感情でも、君の存在は確かにプラスになっていると思う」
 俺は、玲於奈の存在に希望を抱いている。彼女が、何かの為に無力を感じながらも戦い続ける姿を見ていると、まるで烏と人間の関係を好転させたいと願う自分のように見えてくるのだ。玲於奈は決して負けない。もがいて、必死に何かを為そうと努力している。だから、俺も負けないように、頑張ろうと思える。
「だから玲於奈は、無力感を感じても、今のままでいいんじゃないかな、と思うわけだ」
「……そうですか」
 ふう、と息を吐いた玲於奈の顔は、幾分すっきりしたように見える。高校生だから、学校でもいろいろあるだろうに、こんな深い悩みも抱えて、いっぱいいっぱいだったのだろう。微力ながら、悩みを軽く出来たならよかった。
「ありがとうございます、先輩。弱音吐いちゃいました」
「いいや。いい経験になったというか、玲於奈もちゃんと悩んでいたんだな、と安心したよ」
「先輩、私を何だと思っていたんですか」
「年不相応に冷静だから、無理してないかと気にしてたんだ」
「そんなことないです。……あと、取り乱してすみません。結局いてもたってもいられなくなって、現場に行こうと思ったそのときに、先輩が来たもので。先輩にこのことを話したら止められる、とかいろいろ考えていたら、受け答えが覚束なくなってしまいました」
「まあ、確かに俺は止めるな」
 玲於奈の立場、気持ちは分かっている。けれど、玲於奈をみすみす危険な場所に行かせるつもりはない。これは玲於奈を支部で働かせる際、支部長と交わした約束でもあった。
「でも行かなかった。偉いぞ」
「……はい」
 いろいろ思うところはあろうが、玲於奈は静かに頷いた。
 さて、重苦しい話は済んだ。事件の方は厳しい状況だろうが、応援を要請されるまでは俺も支部に留まり、留守を預かるのが仕事だ。
「できることを、丁寧にやっていこう。玲於奈、もう一度聞くけど、何か飲むか? そんな場合でもないのは分かったが、落ち着くのは大事だ」
「じゃあ……お願いします」
「うん」
 立ち上がって、コーヒーの準備をする。
 すると突然、電話が鳴った。出ようとしたら、玲於奈が先に電話に出てしまった。こういうときは正職員である俺が出た方がよかった気がするが、もう遅い。仕方なくコーヒーに専念する。応対する玲於奈の声音から、吉報ではなさそうだ。
 出来上がったコーヒー二人分を持って席に運ぶと、ちょうど玲於奈の電話も終わったところだった。席に戻ってくる。
「被害状況の報告でした。烏は追い払えたので応援は不要、怪我人は出ましたが、いずれも軽傷だそうです。あと……意識不明の人が一人、亡くなられました」
「……そうか」
 二人で静かに頷いた。無言のままカップを持ち、コーヒーを喉に流し込む。
 今の俺たちには、心の内で見ず知らずの死を悼むくらいしかできない。


 けれどそれが、俺が人間として出来ること。


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