2020年10月8日木曜日

【創作小説】レイヴンズ12

 

雨の夜、男は少女を助けた。
彼女が人間ではないと知りながら。
(全25話)


(進めてる、ってことなのか?)


(進めてる、ってことなのか?)


 烏対策部にも休日はある。一般的な会社に倣って、土日祝日がそれにあたる。勿論烏の活動は年中無休なので、事件があれば即座に呼び出され、普段よりもハードなワークをしなければならない。だがそれはごく稀な事象だ。
 本日は祝日。よって俺は眠る。普段睡眠が足りていないわけでは無いが、睡眠を求めるのは人間の性、基本的欲求だ。カーテンを透かして部屋に入り込んでくる日光のぬくもりを感じながら、俺は眠る。
 ……いや、眠って、いた。
 残念ながら過去形だ。つまり、俺が寝ていたのは過去、過ぎ去った記憶の中。では現在、正確には八時。ちょうど、平日の仕事が始まる時間。そんな時間に、祝日という名の休日を迎えたはずの俺は、何をしているのかと言うと。
「ぐんっもーにん、えーぶりわぁーん!! 今日はクロたんとナミの提案によりー、親睦を深めようの会を開催しまーす! どんどんぱふぱっふー!」
 阿呆の話を聞いている。
 村正は今朝七時、俺の家に合鍵を用いて侵入し、俺と同じく眠っていたナミ、クロウ二名を叩き起こし俺の睡眠を妨げた上に「飯を作れ」と駄々をこねた非常に重い罪を抱えている。結局作ってやった俺も甘いといえば甘いが、奴はいつ捌かれるのだろう。間違えた、いつ裁かれるのだろう。いやもうどっちでもいい。どっちでもいいから早く潰えろ。
「朝から騒ぐな……近隣の住民に迷惑だ」
「保志君、だって祝日だよ? お祝いだよ? 朝から晩まで騒がないと意味が無いじゃない!」
「騒ぐのはお前の勝手だが、周りを巻き込むな」
「保志君が正論振りかざしてくるんだけどナミー助けてー」
「今日ばっかは保志弘の味方だわ……ふああ……」
 村正に寄りかかられたナミは、あくびをしながら拒否。それでいい。ベッドに腰掛けるクロウも口数少なく、しきりにあくびをしたり目を擦ったりしているから、眠いんだろう。眠いよな、寝たかったよな、もっと夢の中でのんびりしていたかったよな。全てぶち壊したのはあの眼鏡男だ。どうぞ肉弾戦でも魔術でも何でもいいからそいつをぶちのめしてくれ。いやクロウやナミの手を煩わせるまでも無い、俺が息の根を止める。
 そんな、俺の人生の目標を再確認しつつ、村正の言葉を吟味し、問う。
「……「親睦を深める」って、どういうことだ?」
「俺と保志君は仲良し、保志君とクロたんは仲良し、俺とナミは仲良し、ナミとクロたんは仲良しでしょ? だから、未だにちょっと距離感あるようなペア、すなわち保志君とナミ! 更に俺とクロたん! このペアで親密度上げようって話サ!」
 同じ境遇同士、烏と人間という種族の壁をとっぱらって、一度腹を割って話そう、ということか。友好な関係を築くには最適かつ単純な手段である。別にこれは嫌味でもなんでもなく、いい手段だと思っている。実際、クロウとは長く一対一で付き合っているおかげである程度分かるようにはなったが、未だナミとは若干距離がある気がしていた。境遇云々を抜いても彼と仲良くなりたいと思っていたので、提案を断る理由は全く無い。
 それはいいが。
「……「提案した」という当人たちが非常に硬い顔だが、大丈夫なのか?」
 二人とも、村正の説明を聞いて睡魔がぶっ飛んだようだ。更に、戦地に向かう兵士のような……実際そんな人物の顔は見たことないが、そんな感じの顔つきになっている。俺に指摘されて二人はぶんぶん首を横に振った。先に弁明したのはナミだ。
「な、な、んな、んなことねえって!! べ、別に緊張とかしてねーし? 今後のことも考えて、意思疎通っつうかある程度相手を理解するのは必要だから、これはその必要なえっとー、な!!」
 絶妙に意味がぼやけている。
 逆にクロウは、冷静に言った。
「私たち四人は、烏に狙われている。この状況を乗り切るためには、互いをより理解して、信頼し合うべきだわ」
 言葉は硬いが、その必要性を理解しているようだ。そもそもこの提案は二人のものらしいし、必要だと考えて村正に助力を頼んだのだろう。そこで村正を頼った理由を説明してもらいたいが……まあ、俺と比較しても適任なのは間違いないから、文句はない。
「……分かった、異論はない。で、具体的にはどんなことをするんだ?」
「それは簡単! さあ、クロたん手を出すんだ!」
 素早く立ち上がった村正は、クロウに手を伸ばした。反射的に叩き落としてやりたい衝動が半端じゃない。
 クロウは、戸惑いながらも村正に手を伸ばす。どうやら提案したとは言っても、どう実行に移すかは村正に任せたようだ。ナミもただ、村正とクロウを交互に見るだけだし。
 ゆっくり伸びるクロウの手が、村正の手を握った瞬間。
「よっしゃあ爽やかな空の下へごあんなぁーい!!」
「え!? あ、あの、待って村正! 外に出るのは見つかる危険が……!」
「村正!? どーいうことだ!?」
 クロウの手を引っ張って強引に立たせると、村正は彼女と共にこの部屋を出て行ってしまった。止める暇もない。クロウの危惧の言葉の尾とナミの叫びは部屋に取り残され、無情なドアの音が大きく響く。
 ばたん。
 ……つまり、より仲良くなるべき二人を二人きりにして、関わらないわけにはいかない状況に追い込む、ということか。もうちょっと穏便な手段はなかったのか。
 にしても村正、クロウを連れ出したが大丈夫なのだろうか。まだ烏の捜索が終わったとは断定できていないし、見つかったらかなり危険だ。それが分からないわけ……ない、よな。ああ、あいつは多分嫌と言うほど分かっているはず。それでもクロウを外に連れ出したのは、クロウを思ってのことだろう。彼女、ここに来てからずっと部屋を出ていないから。悔しいが、あいつの強引さに感謝しないといけないな。クロウとナミが安心して外に出られるような作戦を立てるのも、良いかもしれない。
 まあ、それは後の話だ。
「……」
 今は、目の前で突然の状況転換に気まずそうにしてるナミと、いかにして親交を深めるか、それが問題だ。提案者は向こうでも、リードする役は明らかに俺だろう。
「えーと、ナミ?」
「う、ん?」
 ぎこちないな……。だからこそ、意思疎通の必要があるんだが。
「そんなに硬くならなくてもいいぞ。取って喰ったりしない」
「さ、されたら困るっつーの! 烏は鳥だけど美味くねーからな! 多分!!」
「物の例えだよ。人間によく似た姿の生き物を掻っ捌くのは、さすがに無理だ」
「……正真正銘鳥の姿なら、捌いてたのか……?」
「だから、物の例えだって」
 冗談だったのに、部屋の隅っこに逃げられてしまった。初手大失敗。
 とりあえず、位置取りを変えよう。ナミの正面を避けるように床に座って、ソファの背に寄り掛かる。威圧感を与えないようにしつつ、親しみを持たせる目線の高さだ。
 さて、理解し合うには会話をしないと。会話、会話。何を話そうか。やっぱりこの計画について、が共通のとっかかりか。
「これ、ナミとクロウが発案したそうだな」
「ああ……迷惑、だったか?」
 首をかしげるナミに、俺は笑って否定した。
「そんなことはない。村正に叩き起こされたのは不本意だったが」
「あ、それは俺も。まさかこんな朝っぱらからとは思わなかった……」
「常識外れもいいところだよな」
「会ったときから全然変わんねー。他人の都合に合わせないとこ」
「全くだ」
 共通の話題が村正ってのは解せん。が、スムースな会話だ。いい調子。
「ナミは、いつ村正と知り合ったんだ? 村正から話を聞いたことがなかったから、知り合いだと聞いた時は、少なからず驚いたんだが」
「んー……数年前。仕事ついでにぶらぶらしてたら、偶然出会って、そっから少しずつ仲良くなった感じ」
 壁に寄り掛かり、膝を抱えるナミは、天井を仰いで記憶を辿った。
 数年前となると、学生の時分か。村正はその頃、烏関係で親とうまく行っていなかったし……いや今もそうか。とにかくそんな時期にナミと会ったわけだ。少し、俺とクロウの出会いに似ているかもしれない。状況ではなく、心境が。
「……あのー、さ」
「うん?」
 ナミが自ら口を開いた。
「俺、馬鹿な上に、自分でもどう説明していいかまとめ切れてねーんだけど」
「ああ、いいよ」
「俺は、烏と人間、仲良くしてもいい……っつーか、無駄に傷つけあう必要はないと思ってんだ。んなことしたって、どっちにもいいことないから」
 俯くと、ナミの金髪がさらさら流れる。あれって染めてる……んだよな。烏は総じて黒髪黒目、例外はない。セレベスさんの銀髪は「人間社会に溶け込むために染めた」と言ってたから、ナミもそうなのだろう。人間は単純なもので、見た目が違うだけで結構警戒を解くものだ。
「でも、正直不安もあってさ」
 はあ、とため息。
「……昔、裏切られたことがあるんだ」
 膝を抱えて顔を埋めたナミの声は聞き取りにくかったが、聞き逃すことはなかった。
「裏切り……?」
「ん。村正と知り合う前。別の人間と関わりを持ってたんだ。いい奴だった、嫌いじゃなかった。表だっての交流はできなくても、うまくやっていけてるって思ってた」
 少しだけナミの顔が上がる。すねたような顔。
「だけどある日、待ち合わせして、待ってたら烏対策部の奴らが来たんだ。必死に逃げて何とかなったけど……あれは、あいつが俺をとっ捕まえるために仕組んだんだって気づいた。当日本人の姿はなかったし、今も本当のとこはわかんねーけど……待ち合わせの時間ぴったり、人員は最小限。疑いようがねえ」
 人間が烏に苦しめられているだけではない。烏が人間に苦しめられる構図も、確かに存在する。当然といえば当然だが、意識は希薄であったかもしれない。自分のことではなくとも、息が詰まった。
「その後村正に会って、仲良くなれたけど、やっぱあの時のことが引っかかる。また裏切られるのが怖い。村正があんな調子だから、だからこそ、次があったら、俺もう絶対立ち直れない」
「ナミは、強いな」
「……はあ!?」
 ナミの吐露が終わると同時に、俺は言った。そのタイミングにか内容にか……おそらくどっちもだろう、ナミは「理解できない」と言った風の声を上げた。
「い、意味わかんねー。この流れはどう考えても「臆病だ」って笑うとこだろ!!」
「笑いを誘っていたのか?」
「違うけど! そーじゃねーけど! 笑われたらマジ傷つくけど!」
「そうか。……まあとにかく、ナミは強いと思うよ、俺」
 訝しげに俺を睨むナミに、率直な感想の理由を述べる。
「裏切られても信じようとしてるんだろ? それって強さだと思う。臆病って言うのは、そこで信じることを諦めた奴のことだ。ナミは強くて立派だと思うよ」
「……本人の前で、よくそんなこっぱずかしいことを……」
「こういうのって、正面から言わないと伝わらないだろ」
「だとしてもだよ……はずい……」
 一気に顔が赤くなったかと思うと、俯いてしまった。クロウに似た純粋さだ。だから、俺は信じようと思うし、信じて欲しいと思う。
「なあナミ。「信じる」って言葉を行動で証明するのは、すごく難しい」
「……うん」
 顔は見せないまま、少し上下した。
「だから、仮に俺がナミの言葉を、思いを信じたとしても、それを証明して君を安心させることは、多分できない」
「……うん」
「だから、約束にしよう」
「え?」
 立ち上がって、驚き顔を上げるナミに近づく。
「約束はな、行動で示すのが非常に簡単だ。そもそも「信じる」なんて抽象的過ぎる」
 小指を出す。それを見て、俺の顔を見て、ナミは呟く。
「まさか、指きり……?」
「そうだ」
「……」
 しばらくの沈黙。
 の、後。
「っは、ははははっ、あはははははははは!!」
 ナミに大爆笑された。腹抱えて、すごい笑顔で。今まで見たことの無い笑顔は眩しいけれど、状況が状況だからちょっと複雑だ。結構真剣に言ったのに。心が痛い。
 しばらく笑い、それでも収まらずひーひー言いながら。
「っはー、いや、あのさ、うん、約束って、そりゃ指きりは約束だけどさ……! まさか、あんたがそんな、幼稚なことするとは、思ってなくて……!」
「そんなに笑わなくてもいいだろう……「幼稚」は言い換えると単純で分かりやすいんだ」
「う、うん、分かった、分かった。……ほらよ」
 ナミも小指を出した。互いの小指をしっかり結んで、宣言する。
「俺はお前を、クロウを、裏切りで傷つけない」
「ああ。んじゃ俺も、改めて約束するよ。お前も、ついでに村正も、裏切りで傷つけない」
「よし、約束」
 手を上下に揺らして、指切り拳万。
 指を離す。
「……っへへ、確かに「信じる」より信じられる気がする」
 ぴこぴこと繋いでいた小指を動かすナミ。笑顔にはもうぎこちなさがない。打ち解けられた、のかな? よく分からないが、そう思っておこう。
「信じてもらえてよかったよ。……って、矛盾か?」
「そーか? まあ難しいことはいいや!」
 明るく言ってから、ナミの黒い目が俺を見る。
「うん。クロウがあんたのこと大事にしてる理由、わかった気がする」
 大事にされてる、か? まあ俺や村正のことを結構考えてくれてるみたいだから、それを「大事にしてる」と言うのなら、そうなんだろう。
 烏に思われる……非現実的な響きだ。だけど、俺が望み続けたものでもある。
「あんたのこと、「ちょっと分かんねえな」って思ってたけど……いや今も良くは分かってねえけど、悪い奴ではなかったな。今更だけど、よろしくな!」
 考えていたら、ナミが手を出していた。握手を求めるポーズ。前は俺からだったな。思うところはいろいろあるが、握手をためらう理由にはならなかった。
「ああ、よろしくな」
 小指の次は手のひらを。より固くなっていく繋がり。
「……俺のことは結構話したから、保志弘のことも話してくんね?」
「俺?」
 確かに、ここまでナミの過去とか心境を聞いただけだった。分かり合うには、ちゃんと俺自身のことも伝えないといけないだろう。等価交換だ。
「分かった。何が知りたい?」
「んー、やっぱ、何で烏と仲良くしようとしてんのかな、ってとこ?」
 目的、か。なるほど確かに大事だ……が。
「……実は」
「ん」
「これと言った理由はない」
「……あ?」
 呆然とするナミ。悪い気はするが、結構本当のことだから仕方ない。
「まあ言ってしまえば、忌み嫌う理由がないから、かな」
「……そんだけ?」
「さっきナミが言った「傷つけ合ってもいいことない」っていうのには同感だ」
「……なんかもっと、壮大な理由があんのかと思ってたぜ」
 唇を尖らせて言われてしまう。
「期待はずれで申し訳ないな」
「別にいーけど」
 ナミは体育座りから胡坐に体勢を変えた。今まで縮こまっている印象しかなかったが、これが彼の本来の性質なのだろう。リラックスした、あけっぴろげな感じ。
「でも、「これこれこうだから絶対仲良くすべきだ!」って気負うより、よっぽどやりやすいよ。一朝一夕にひっくり返せるような因果じゃないし」
「まあ、確かにな」
「だから、その辺りはのんびりやっていくさ。でもナミとクロウのことは、そうはいかない」
 烏に見つかったら終わり。勿論見つからなければいいわけだが、そこまで楽観はできない。万が一、あるいはいつか帰る日に備えて、俺たちは出来る限り早く、納得のいく嘘を考えなければいけない。あとは身を守る方法とか、二人の不安を解消するための生活環境の構築とか。
「とにかくまずは、烏を欺く嘘をちゃんと考えないとな……」
「俺が烏んとこに戻れればいいんだろーけど、戻ったらどうなるかわかんねーし」
「そうだな。人質にされたら、どうにもならない」
「こういうときは烏質?」
「ああ、そうか」
 顔を見合わせて笑う。その穏やかさが、ゆっくり心を満たしていく感覚。こんな絆が、もっと強まって、広がっていけばいいのに。
 ……やっぱり楽観できない自分が、憎らしかった。


 こっちは何とかなったが、村正とクロウは大丈夫だろうかと、ナミと一緒にお菓子を食べながら思った。


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