2020年10月8日木曜日

【創作小説】レイヴンズ15

 

雨の夜、男は少女を助けた。
彼女が人間ではないと知りながら。
(全25話)


(雨が、好きになるかもしれないわ)


(雨が、好きになれるかもしれないわ)


 窓の外を、閃光が走った。
「うおっ、光った! すげー」
 ナミが言った直後、轟音が響く。
 ここ数日、非常に天気が悪い。空には灰色の雲がずっと居座っている。雨は降ったり止んだりを繰り返し、強い風が窓を鳴らしては、今のように雷も。そろそろ太陽光のぬくもりが恋しくなってきた。
 私とナミは、保志弘のいない日中は基本的に暇を持て余している。なので最近は、窓の外の悪天候を眺めるのが日課になっていた。二人でベッドに並んで座り、取り留めのないことを喋る。
 よく喋るナミは、ありがたい存在だった。私一人ではただ無言で空を眺めるだけだっただろうけれど、ナミの言葉に頷いたり、考えたり、返事をしたりするだけでもいい刺激になる。一人でいるよりも生き生きしているような気がする。
「お、雨も降り出した」
「そうね」
 窓に雨粒が張り付き、流れ落ちていく。点、点、だったものがあっという間に縦線だらけになり、透明度の低いカーテンになった。音も強く、聞いていると何となく「痛い」と思ってしまう。空を飛んでいるときにこんな大雨が降ったら……と考えたら、余計に仮想の痛みが増した。
 烏は大抵雨が嫌い。ずぶ濡れになるのは不快だし、翼が水を吸うと上手く飛べなくなるから。
 人間はどうかしら。やっぱり、雨は嫌いなのだろうか。
「はーあ。やっぱ雨って、好きじゃねーなあ」
 ナミが自分の膝に頬杖をついて、ため息混じりにそう言った。
「そうね。私も、好きではないわ」
「雨の下に居なくても見てるだけで憂鬱にならねえ? 青いはずの空が灰色になって、鮮やかな色が無くなって、寂しいというかなんというか」
「……ええ」
 正確には、それは雲のせいで雨のせいではない気がするけれど、雨で煙ると世界がぼんやりとする。刺激が薄れる、という意味では間違いではない。
 色が無くなる。あるはずのものが無くなる。寂しくなって、感傷的になる。
 今、私が一人だったら、この先の自分の身を考えて落ち込んでいただろう。
「でも、逆の考え方もできる」
 今は一人じゃない。だから、分かることがある。
「空に惑わされない分、普段気づかない他の色がよく見えるわ」
「んー……、ん? じゃあ、今クロウには何の色が見えるんだ?」
「……」
 そう返されるとは思っていなかった。少し考える。
「えっと……んん……ナミの髪が、とっても鮮やかな金髪だ、とか」
「それ今再認識!? 普段俺の髪どう見えてんの! 俺を見てくれてるっていうのは純粋に嬉しいけど、素直に喜べねー!」
 頭を抱えるナミの金髪は、人間に溶け込むために染めたもの。昔の黒い髪より似合うと思う、どこか烏らしくなくて。烏の有り様から浮いている点は喜べないのかもしれないけれど、似合っていると思う。
「私、ナミの金髪好き」
「っえ、へ? あ、ああ……! さ、ささ、さんきゅ!」
 素直に口にすると、ナミは一瞬ぽかんとしてから、顔を逸らしてしまった。何か悪いことを言ってしまっただろうか。
「ナミ?」
「あー、うん。そ、そのさ、クロウ」
「ええ」
「髪褒めてくれんの、すっげー嬉しい。烏からは非難されまくったからな」
 ナミがその髪色を利用して上手く人間社会に溶け込み、烏としての仕事を成したおかげで批判はかなり減ったけれど、年を重ねた烏あたりは未だ不満を持っていると聞く。大変な思いを、今でもしているのだろう。
「で、それとは別な話っつか、まあ似たような話っつか……その……」
「何?」
 何か言おうとして、でも口を閉ざす。顔が少し赤くなっていて、どうやら重い雰囲気の話ではないみたいだけれど、気になるので先を促した。
「はっきり言って」
「あ、あのだな……! お、俺は、その、えっと、髪も嬉しい、けどさあ、それだけじゃなくて、俺の……お、俺個人のこと、は」
「ただいまー」
 そのとき、ナミの声を掻き消す声。同時に扉を開く音。
 体を捻って玄関を見ると、家主である保志弘が帰ってきた。上着やズボンがところどころ濡れて、色が濃くなっている。
「お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
 慣れた挨拶を交わす。
「「この大雨じゃ烏はほとんど出ないだろう」ってことで、早く上がれたよ」
 時計を確認すると、確かに普段保志弘が帰ってくる大体の時間よりも二、三時間ほど早い。心なしか嬉しそうな保志弘。やっぱり保志弘でも、仕事は面倒とか思うのかしら。
 保志弘と村正が烏から人間を守るための組織・烏対策部で働いていることを知ったのは最近だ。烏と敵対する組織だろうとは思っていたので、予想は当たっていたことになる。けれど今更この関係を解消することはできないし、その必要もないので私たちの関係に変化はない。むしろ、保志弘は気が楽になったのか、たまに仕事場での話をするようになり、距離感は近くなった気がする。
「……くっそぉー!! 保志弘のばかやろー!!」
 ナミとの会話が中断されていたことを思い出し、彼に視線を戻すと、半泣きで叫んでいた。
「え、悪い。何が?」
 戸惑う保志弘にナミが言葉を重ねる。
「あとおかえりー!!」
「ああ、ただいま」
「ばかやろー!!」
「えっと……ごめん、なさい?」
 怒っている理由がよく分からない上、そもそも怒っているのかどうか定かではない。叫び終えたナミは、まだ不満そうにむーっとしていたけれど、やがて深い深いため息をついてその表情を崩した。終始よく分からなかったけれど、本気で怒っている様子ではないので安心した。
 片付けを済ませた保志弘が、窓の向こうを見やる。
「降ってるなあ……もう少し弱くなってくれると嬉しいんだが」
「何で? 何かあるのか?」
 ナミの問いは私の疑問でもあった。返事を求めて保志弘を見ると、彼は楽しげに笑っていた。何かを心待ちにしているような、期待の色が見える。
「ああ。ちょっとした用事がある。二人にも少し手伝ってもらいたいんだが、いいか?」
「……私にできることなら」
「俺も別にいーけど。何するかはまだ言えないのか?」
「秘密だ」
 ぴっと指を立てて口元に当てる保志弘。
 珍しくはしゃいでいる彼の挙動に、私とナミは顔を見合わせるしかなかった。


 夜も深まった頃。
「やっと収まってきた」
「だな。もう雷も鳴ってねーや」
 カーテンの隙間から外を確認する。雲があるため星や月は見えないけれど、雷鳴は耳に届かないし、窓を叩く雨も弱まった。
「保志弘、雨かなり弱くなったぞ。もう夜だけど、用事済ませられそーか?」
 振り向いたナミが、保志弘に問う。彼は笑顔で頷いた。
「ああ、問題ない」
「「手伝い」って言っていたけれど、何をすれば?」
「特別難しいことをするわけじゃないから、安心してくれ。えーっと……」
 ソファに座っていた保志弘は、立ち上がるとクローゼットに向かった。扉を開いて、中をごそごそ探る音がする。
 やがて保志弘は、いくつか袋を抱えてリビングに戻って来た。
「二人に渡すものがあるんだ。はい、クロウにはこれを」
 その中から二つの袋を、手渡された。
「……? 開けて、いいの?」
「ああ」
 許可を得てから、袋を開けて中身を取り出す。入っていたのは、丁寧に折りたたまれた深い紺のパーカーと、黒い帽子。帽子はよく見ると紫の花模様が入っていて、可愛い。
 けど、これ、どうすれば? というか、どうして?
 戸惑う私を置いて、保志弘はさらにナミを呼んだ。
「ナミも。はいこれ」
「うえ?」
 私と同じく戸惑う彼にも、袋が渡される。こちらの中身は、臙脂色のジャケット。袖や襟に黒のラインが入っている。
 私とナミは、服を広げた状態で顔を見合わせた。けれど、お互いの顔に問いの答えが書いてあるわけもない。結局保志弘に説明を求めた。
「なあ、これどーいうこと?」
 ナミの言葉に、保志弘が相も変わらぬ笑顔で答えた。
「プレゼントだ」
「……今日って、なんか、人間的にそういう日? 人間の祝祭はほとんど知らねーんだけど」
「いや全くそういうことはない」
「じゃあなんで?」
「「なんでもない日おめでとう」だ」
「……」
 はぐらかされた、のだろうか。もう一度、ナミと顔を見合わせて、首をひねった。
 保志弘は押し切れたと思ったらしく、まあ実際押し切られた形なのだけれど、ぱんぱんと手を叩いた。
「さ、とにかく着てみてくれ」
「着て、どうするの……?」
 保志弘自身も普段のコートとは違う私服のパーカーを着ると、やっとこの行動の意図を述べてくれた。
「外に出よう」


 村正に強引に連れ出されて以来の外。濡れたアスファルトの匂いが立ち込めているけれど、ひんやりとした空気の冷たさは悪くない。深呼吸すると気持ちがよかった。
 小雨なので今は問題ないが、万が一のためと持ってきたビニール傘をぶらつかせながら、先を行く保志弘が言った。
「烏は二人を探しているから、無防備に外に出るのは危険だ。だからこそ、今まで不自由な生活を強いていた」
「仕方のないことよ。了承しているわ」
 私が見つかり捕まれば、保志弘や村正、ナミにも被害が及ぶ。烏が相手である以上、それは命の危険と言っても差し支えないだろう。
 外に出ないだけでも、生命の危険は激減する。その手を拒否してまで外に出たいという欲求はなかったから、現状を苦だと思うこともない。
「ああ。でも、村正がクロウを連れ出したときに気づいたんだ。ずっと部屋の中にいるっていうのはよくないな、って。動いたり、外の新鮮な空気を吸ったり、変化する風景を眺めたりっていうのは、肉体的にも精神的にも必要……っていうのは、残念ながら村正に言われたことだ」
「へえー、村正も考えて物言うときがあるんだな」
 ナミ、その感心どころはどうなの。
「ま、したり顔で言うものだから、即座に殴り飛ばしたがな」
 保志弘、それは得意げに言うところじゃない。
「……というわけで、二人が安全に外を出歩ける方法を考えていた。それは同時に、いかに烏の目を免れるか、ということになる。難しい問題だった」
「そりゃそうだ。烏は人間とは違う視点だから、烏の視点を想像するだけでも難しい」
 高みにある烏の視点。俯瞰する世界の違い。烏の世界から見た、人の世界。
「……ああ。だから、帽子を」
 帽子のつばをつまんで口にすると、ナミは首を傾げたが、保志弘は振り向いて頷いた。
「そういうこと。上から見られているなら、上を防御すればいい。というわけで、クロウには帽子、ついでにパーカーを」
「どうしてついでにパーカー?」
「村正からの伝言。「真っ黒の服は烏だって見破られやすいし、クロたんの服結構刺激的っていうか、おなかとかガードして欲しいので俺がパーカーあげちゃう!」だと」
「しげきてき……」
 どうだろうか。私は服飾に疎いから特に気にしなかった。人間から見るとそうなのかもしれない。烏が人間の常識を想像するのも、中々難しいものだ。
「じゃ、なんで俺にもジャケット?」
 歩きながら、くるりと回転するナミ。金髪と黒い服によく似合っていた。
「ナミの金髪は十分人間らしいから、じゃあ烏はどこで君を認識するんだろう、って思ったら、やっぱり服かと。雨上がりだと涼しいし、長袖の方がいいかなということでチョイスした」
「そっか。えーと……もらっていいのか?」
「俺に合うサイズじゃないしなあ」
 朗らかに笑う保志弘。確かにそうだけれど。
 私たちを思ってここまでしてもらったからには、きっちりお礼を言わなければならない。
「ありがとう、保志弘。私たちの為に」
「ん、ありがとな!」
「どういたしまして。帰ったら合鍵の場所を教えるから、好きなときに散歩してくれ。雨の日なら烏自体が少ないし、傘も差せるから安全だと思う。夜もいいが、あんまり遅くに出歩かないようにしてくれれば、何も文句はない」
 私はあのまま部屋に閉じこもっている生活で十分だと思っていた。それ以上を望むつもりはなかったし、それが最善の策だと信じていた。
 なのに保志弘はそれを「駄目だ」と言って壊した。烏の生態、視点、思考、あらゆる点から隙を見つけ出して。
 どうしてそこまでするのか。問いが喉まで出かかったけれど、飲み込む。答えなんて分かっているもの。
「そうしたいから、よね……」
「クロウ、何か言ったか?」
「いいえ」
 ナミの問いに、首を振って答える。そっか、と応じて、ナミはにっと笑った。夜の中で太陽のように明るい。烏の象徴とされる漆黒の、入り込む隙さえない。
「クロウ、また雨が降ったら、一緒に出掛けような!」
 次の雨はいつかしら? なんて考えて、ちょっと笑ってしまう。家を出るまでは、雨のことを考えると憂鬱になっていたのに。
「そうね。……雨が、好きになりそうだわ」
「そう思ってくれると嬉しいな。俺、雨は好きなんだ」
 保志弘は言った。保志弘は、雨より晴れの方が好きそうなイメージがあったから意外。本当に勝手なイメージだけれど。
「えー、雨ってどこがいいんだ? ま、俺もこれからは好きになりそうだけど」
「……秘密だよ。さて、そろそろ帰ろうか」
「ええ」
 少し変質した価値観を抱え、三人で並んで歩く。


 「秘密」と言った保志弘の目が、少し、辛そうに見えたのは気のせい?


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