雨の夜、男は少女を助けた。
彼女が人間ではないと知りながら。
(全25話)
(きっと、嵐の前の静けさってやつだったんだ)
(きっと、嵐の前の静けさってやつだったんだ)
今日は特別編成で、午前中に授業が終わった。だから、午後から烏対策部支部での活動に参加している。でも、最近は烏絡みの傷害事件はめっきり減っており、ありがたいことなんだけど仕事は少ない。暇を持て余しているような職員が見受けられた。私は何とか、支部局長から烏の出没地域に関してのデータ作成の仕事をもらい、表計算ソフトと格闘している。
例によって先輩は書類をいじくりまわし、村正先輩は姿を消している。あの人は一体どこで何をしているのだろう。まあ、村正先輩が仕入れた情報で動いた結果、事件を未然に防ぐことが出来た例がいくつかあるから、支部局長も強く言うことができないんだと思う。でもさすがに一言くらい言っておくべきじゃ……なんて考えていたところで、ひと段落ついたらしい先輩から声がかかった。
「そうだ、玲於奈」
「はい、何でしょう」
パソコンの画面から目を離す。
「そっちの仕事はどれくらいで済みそうだ?」
「そうですね……あと三十分ももらえれば、終わると思います」
この作業に入ってから二時間は経過しているし、そもそも最近は烏が出没していない。扱うデータ量自体が少ないから、長くはかからないだろう。
「その後、予定はあるか? 少し相談というか、頼み事というか、うん……頼み事だな」
「頼み事?」
思い浮かぶのは、黒子ちゃんのこと。一週間ほど前に出会った先輩の親戚で、今は波君という男の子と共に先輩の家で預かっているとか。ちなみに二人の名前の漢字変換は完全に私の想像。
私と同じくらいか年下と踏んでいる彼女たちは、私の中では好意的に映っている。先輩との接点が増える、という下心が完全にないとは言わないけれど、それを抜いても彼女たちと仲良くなるのはやぶさかではなかった。
「もしかして、黒子ちゃん関連のことですか?」
単刀直入に訊いてみると、先輩はこくりと頷いた。
「前にクロ……子、とナミと会ったんだって? 二人とも嬉しそうに話してた」
「ええ、そうです。突如現れた村正先輩に振り回されていたということは、とても純粋で優しい子達なんだなと思いました。そういえば、あの帽子使ってくれてるんですね。嬉しかったです」
黒子ちゃんについて先輩が教えてくれたのは、人目を気にして家にこもりがちだという彼女が気兼ねなく外に出られるようにと、一緒に帽子選びをしたときのことだ。その時選んだ帽子を、出会ったときに彼女が使ってくれていたことは、ちょっと、いやかなり嬉しかった。似合ってたしね。自画自賛、ではない。あの帽子は先輩が選んだもので、私はただイメージの彼女と重ねて「似合う」と評価しただけだ。
「外出るときにはいつもかぶってるよ。で、まあ頼みっていうのが……」
「はい」
「家に来ないか?」
「はい。……えっ?」
「白江」の表札。そういえば先輩って「白江保志弘」だったなあ、と考える。いつも「先輩」と呼んでいるから、名前を改めてなぞってみると新鮮だった。そういえば何で「先輩」なんだろう、他にも先輩はいるし、村正先輩は「村正先輩」なのに。
っていうか!! 今現在先輩宅前ですけど!?
は、初めて来た、このかなり高層なアパート! うちは実家で一軒家だけど、建物の背が高いだけですごく高級感がある。エレベーターでここまで上がってきたけど、混乱マックスで実はここが何階か分かっていない私。
先輩の頼みというのは、「家に来て黒子ちゃんと波君と会ってくれないか」だった。二人も「私と仲良くなりたい」と言ってくれたらしく、そうなると前みたいに路上で立ち話するより腰を据えてゆっくり話した方がいい、というのが先輩の考えだった。そこには私も同感したし、二人と仲良くなりたいし、先輩の家気になるし、正直予定なんかなくて暇だったし、といろいろな要因を素早く重ね合わせて再度了承。今に至る。
「ただいま」
これといった装飾もないキーリングから鍵を選び、鍵穴に突き刺す先輩。がちゃん、と鍵が開いて、扉が開く。迷いなく入っていく先輩の後について、初めての先輩宅に足を踏み入れた。って、先輩が自宅に迷いなく入っていくのは当然か。
「お邪魔します……」
声震える。だって、だって先輩の家だよ? 先輩ここに住んでるんでしょう? どうしよう、なんでか分からないけど緊張する……! これ、先輩と一緒に帽子選びして帰ったとき以来のどきどきかも。
玄関に棒立ちしつつ慌てていると、居間からひょこりと顔を覗かせる金髪。「金髪が顔を覗かせる」って変だ。いやいや冷静に指摘してる場合か。金髪ってことは、波君だね。
「おっかえりー……て、おうっ!? 保志弘が村正以外の人を連れてきた!!」
背中だけでも、先輩が呆れているのが分かった。
「ナミ……俺は村正をここに連れてきたいと思ったことなんて一度もない。奴が勝手についてきているだけだ」
「村正はいつも「保志君が「部屋で一人は寂しい」って言うからー」って言ってたぞ」
「分かった。諸々済ませたら村正ぶっ飛ばしに行ってくる。ああ玲於奈、とにかく上がってくれ」
「は、はい」
ローファーを脱ぎ、玄関の隅にそろえて置く。
リビングは広々としていた。ここの間取りが特殊なのか、それとも先輩の趣向なのか、リビングにベッドが置いてある。
「……すごい部屋ですね」
「そうか? まあ、リビングにベッドがあるのは珍しいか。もう一つ部屋があるんだが、ベッドが入らなくてな。仕方なくここに置いている」
「そうなんですか」
「玲於奈! こっち座ってくれよ」
波君がソファに招いてくれたので、そっちに向かおうとする。けれど、その前に気づいた。
「……あれ?」
今まで気づかなかった方が、ちょっとおかしかったかもしれない。それほどテンパっていたのかと思うと恥ずかしい。
「黒子ちゃんは?」
と呟いて、部屋を見回して、発見。
ベッドで寝てる。
「はは……クロ子は夜行性だから」
先輩も苦笑した。
とりあえず波君に従ってL字型のソファに腰を下ろす。ふかふかしていて中々いい。波君も座るのかと思ったら、彼はとことこベッドの方に向かっていき、黒子ちゃんの肩を掴んで揺さぶり始めた。
「おーい、起っきろー!!」
「え、ちょ、せっかく寝てるのに、そんなことしなくても!」
「だってお客さんだし、クロ子だって「玲於奈に会いたい」って言ってたし! 大丈夫大丈夫、クロ子を起こすのは慣れてっから!」
いい笑顔で言う波君は、ちょっと村正先輩に似ているような気がした。言葉がフラグに聞こえてくる。
けれど、寝ぼけた黒子ちゃんが彼を殴ったり蹴ったりして、フラグを回収することはなかった。彼女はゆっくり上半身を起こすと、半眼状態で部屋を見回す。
「……」
私と目を合わせる。
ゆっくり、目が開いていく。
「……っ!!」
黒子ちゃんはすごい勢いで布団をはねのけると、部屋を駆け抜け廊下にある扉の向こうに逃げ込んだ。洗面所だろうか。
「ミッションコンプリート!」
ぐっと親指を突き出す波君。そういえば彼は村正先輩の友達なんだっけ……じゃあ似てしまうのもしょうがないか。いつか大怪我とかしませんように、と祈っておく。
ばたばたと音がして、黒子ちゃんが戻ってきた。服は前会ったときと同じく、紫のパーカーに黒のスカート。ちょっと髪に寝癖がついているのはご愛嬌。
「え、えっと……久しぶり、ね、玲於奈」
「うん、お邪魔してます。起こしちゃったみたいでごめん」
「そんなことない」
黒子ちゃんはぶんぶん首を横に振ると、私の隣に座った。波君も座って、ソファは満員。そしてタイミングを見計らったように、先輩がお茶とお茶菓子を出してくれた。
「ゆっくりしていってくれ。呼んでおいて悪いが、用事があるのを思い出したんで行ってくる」
「先輩、もしかして村正先輩をぶっ飛ばしに行くんですか」
玄関での会話を思い出して訊くと、先輩は笑った。
「それもある」
「……」
あるんだ。本気で行っちゃうんだ。
その成り行きを知らない黒子ちゃんは不思議そうな顔をしていたけれど、日常茶飯事だと割り切ったのか、先輩から目をそらして飲み物を一口。すごい子だなあ。波君なんか、発端が自分だからかなり青ざめて、ぎこちない笑みを浮かべているというのに。
「じゃ、いってきます」
「「いってらっしゃい」」
先輩の声に黒子ちゃんと波君、二人が応じる。扉が開いて、閉じた。
さて、部屋に三人きり。
……どうしたものか。そりゃ、二人と親交を深めたいっていう思いはある。でも何を喋ればいいのか分からない。二人が何に興味を持っているかわからないし、学校でもマルと益体もない会話しかしないし、流行とか知らないし、話せることと言ったら、最近のニュースと烏関連のことだけ……。
ん、「二人が何に興味を持っているかわからない」? そういえば私、二人については名前と境遇しか知らないんだ。そこをとっかかりにしようか。
「えっと……前会ったときは名前しか教えてなかったから、改めて自己紹介、してもいい?」
二人に訊くと、頷いてくれた。知らないことは知ればいい。私は二人を知りたい……けれどその前に、二人に自分を知ってほしいから、もう一度自己紹介する。
「改めまして、黄橋玲於奈。高校二年生。……そうだな、好きなものは音楽と、陸上」
「陸上? って、走ったり跳んだり?」
黒子ちゃんの質問。すごく直感的な知識だ。
「ざっくり言うとそんな感じ。私は走るのが得意なんだけどね」
「ナミと一緒。ね」
「え、そうなの波君?」
黒子ちゃんと私の視線を受けて、波君は少し照れくさそうに笑った。
「いやあ、知り合いの中では得意な方ってだけだよ! あーほらそれよりさ、せっかくだから俺らも自己紹介テイク2、やってもいいか?」
「うん。私、二人のこといろいろ知りたい」
素直に言うのは若干照れる。でも本心だし、直球勝負しないと意味ない。
「んじゃ俺からな? 俺はナミ! えーっと、うーんと……好きなもの……? なんかこう、楽しいことが好きだな! さっき言った通り走るのも好きだし、あと地味に整理整頓とか」
「整理整頓……?」
「村正の家の片付け手伝わされてから、何となく。クロ子の実家の部屋も相当にぼぐっ!!」
黒子ちゃんが波君の口に、お茶菓子として出されたクッキーを思いっきり詰め込み強制終了。まあ乙女としては「自分の部屋が汚い」なんて言われたら、恥ずかしいに決まっている。実際、私に向き直った黒子ちゃんは真っ赤な顔をしていた。
「……ごほん。次は私の自己紹介ね」
「そ、そうだね」
墓穴を掘る趣味は無いので、流れに逆らわないでおく。黒子ちゃん、若干目が怖いし。
「私はクロ子。えっと、好きなことは、食べること。と、寝ること」
「なんていうか、本能的ね……私も食事と睡眠は好きだけど」
言いつつ、クッキーを一口。黒子ちゃんも一口。波君は……突っ込まれたため大量。頬が膨らんでハムスターのようになっているのが、ちょっと可愛い。
「ご飯って、いつもどうしてるの? 先輩、朝早いんじゃない?」
先輩が普段どんな生活をしているのかもちょっと気になるので、黒子ちゃんの趣味? にかこつけて訊いてみる。
「朝は作って行ってくれるわ。昼は適当に、家にあるものを自分たちで」
「ふーん。ていうことは、二人とも料理はそれなりに?」
訊くと、黒子ちゃんと波君は顔を見合わせた。
「……それなり」
「おう、それなり……だな。はっはっは」
できないのか。ってことはインスタント祭りなのかな。ちょっと二人の体が心配になった。
そんな私の心を読んだのか、波君がぶんぶん手を振ってフォローし始めた。
「ああいやでも、ほら、俺ら朝遅いし、基本家にいるから、食事摂取量少なくても余裕だし! それに夜は保志弘が飯作ってくれるし! 保志弘の料理美味いし! 栄養満点だし!」
「それならいいんだけど……」
困らせるのも悪いので、波君のフォローに納得しつつ、先輩の料理能力に思いを馳せる。
「簡単なものならできる」って言ってたっけ。二人が来てからは作る回数も増えていそうだし、本当に結構な料理上手になっていたりして。……うん、先輩がエプロンつけて料理する姿は様になる。いいなあ。
「玲於奈は?」
「え?」
「玲於奈は料理、上手?」
黒子ちゃんの言葉に、私はお茶に伸ばした手をぴたりと止めた。
料理? 料理、そうね、料理……う、うん。料理。えっとね、どうだったかしら。確か人に自慢できる得意料理の一つや二つ……きっと……。
「……下手、です」
女として、「料理大好き」とまではいかなくても、多少はできておきたい……とは思うんだけど、私は実に不器用なのであった。家庭科で評価2は余裕です。
「……よし、今度三人で料理作ろう。三人でスキルアップを図ろう」
「何か面白そうじゃん! やるやる!」
「ええ、楽しそう。何を作る?」
「……や、焼き肉?」
「それ焼くだけじゃね?」
「おにぎり」
「それは炊いたご飯握るだけだよ」
「閃いた! ホットケーキ!」
「それは混ぜて焼くだけ」
「……先輩に習おうか」
「賛成」
「賛成」
「先輩って何作るの? 得意料理とか知ってる?」
「んーと、ミートソーススパゲッティ?」
「よく作ってくれるわね。得意料理というより、好きなのかも」
「パスタか……ソースを手作りすれば、なかなかいい難易度の料理かもしれないね」
「おおっ、じゃあ保志弘のパスタ教室だな!」
「今度話してみよう」
いつか実現することを願って、料理教室計画は終了した。
うんうん、なかなかいい調子で親交深めてるんじゃないかな。学校でもまともに友達作れてない割に、やればできるじゃない自分。偉いぞ自分。さて、次は何を話そうかな。
「……あ。あの、玲於奈」
考えていたら、黒子ちゃんが声を上げた。向こうが話題を作ってくれるならありがたい。私は彼女の横顔を見た。黒い髪に黒い瞳……まるで烏みたいな。
黒子ちゃんも私を見る。かなり至近距離での真正面見つめ合い。こんな経験久しぶりで、ちょっと後ろにのけぞってしまった。でも黒子ちゃんは気にせず続ける。
「この前、保志弘から聞いたわ。玲於奈が何で私のことを知っていたのか」
「……ああ」
思い出す。前に会ったとき、「何で私を知ってるのか」って黒子ちゃんに訊かれた。でも先輩が彼女のことを説明してくれたのはプレゼント選びのためだったから、先輩の面子の為に黙っていた方がいいかと思って、その場はうやむやにして「先輩に訊いたほうが良い」と答えたんだ。
ということは、あの帽子がどういう経緯で彼女の元に辿り着いたかを、聞いたってことか。
「帽子、ありがとう」
少しはにかみながら、黒子ちゃんが言った。
…………。
はっ! 危ない危ない、その純粋さとか可愛さとかに目と思考を奪われていた。何か、私とは全く縁がなさそうなキラキラエフェクトがかかっていた気がする。私、そんな趣味あったっけ……? いや無い、はず。でも黒子ちゃんは純粋に可愛い。
気づいたら、波君もソファに倒れ込んでいた。顔を両手で覆って何事かを呟いている。
「ど、どうしたの波君」
「ああ……だって、クロ子超可愛い……」
同志か。
波君はしばらくゴロゴロした後がばっと起き上がると、私に笑顔を見せた。
「ん、とにかく玲於奈のおかげで、俺ら安心して外に出られるようになった! 俺からも、ありがとな!」
…………。
あれ、こっちにもエフェクトが……何だ、先輩は自宅に天使を二人も住まわせているのか! すごい先輩! なるほど大天使の元には天使が集う訳だ。
……何言ってるんだ私。二人の綺麗さにあてられてる。落ち着け。
そんなふわふわ思考を断ち切って、私は軽く手を振ってみせる。
「いや、そんなに感謝されるようなことじゃないでしょ……まあ、どういたしまして、とは言っておくけど」
「あっ、そーだ! なあなあ玲於奈、玲於奈ってこの辺り詳しいのか?」
突然の話題転換に驚きつつも、一応頷く。
「多分……。登下校の道と商店街と、大通りくらいしか知らないけど」
「今度さあ、玲於奈の好きなとこ案内してくれよ! 俺ら、今の行動範囲滅茶苦茶狭いんだけど、保志弘に相談したら「玲於奈の方が詳しいと思う」って言われてさあ」
「ああ、なるほどね」
珍しそうに商店街を歩く先輩を思い出す。確かに私の方が行動範囲が広そうだ。いいところあるかな……登下校に使ってる道、裏道だから人少なくて、二人が歩くには適しているかも。途中の川にかかってる橋は見晴らし良いし、大通りの隣の通りにある喫茶店も紹介したい。
「……うん、分かった。今度行こう。どうせなら晴れの日がいいね」
「そうね。最近はあまり天気がよくないけれど」
「あ、でも玲於奈との連絡手段がねーな、俺ら」
黒子ちゃんと波君が顔を見合わせる。
「そっか、携帯とか持ってないよね」
「携帯って携帯電話、よね。持ち運べる電話、文明の利器。村正が使っているのを見たわ」
「なんかすごい認識だけど……まあそうだね。先輩も携帯持ってないんだっけ」
「「無くても不便はないから」って」
「俺には、難しくて扱えない言い訳に聞こえたけど」
そう言えば、先輩が支部でパソコンに触っているところも見たことがない。機械全般苦手なのだろうか。やけに古くさいところがあるんだな。
「あ、そうだ。連絡を取る方法なら、先輩を仲介するのがいいんじゃない? 私は少なくとも週に三回は先輩に会えるから、晴れてる日を天気予報でチェックして……って」
私は部屋を見回す。静かな部屋には……テレビが、ない。一応、棚にはラジオがあるけれど……何この部屋、時流から隔絶されてない?
「……妙にオシャレな割に、文化を取り入れてないなあ……」
「子供の頃テレビをいじって壊して以来、自重しているそうよ」
黒子ちゃんの言葉に、私は頭を抱えたくなった。機械音痴じゃなくて、臆病が原因か。テレビが壊れるなんてそうないでしょ。……まあ、最悪テレビはなくても生活できるか。冷蔵庫や電子レンジはちゃんと使えているみたいだし。でも新聞くらいはとっておいて損はないと思うけどなあ……いやいや、先輩を憂うのは後でいい。
頭を振って話を戻す。
「じゃあ、もう私が決めるよ。平日は学校あるから、土日で天気が良さそうな日があったら、先輩に伝えてもらうようにする」
「わかった」
「りょーかい!」
約束を一つ。笑顔を三つ。
学校にあまり友達はいないし、話す内容は流行の音楽やらテレビ番組やら俳優やら、せわしない話ばかりだから、このゆったりした雰囲気がとても心地いい。この二人にどんな背景があるかは分からないままだけど、無闇に踏み込む必要はないだろう。
それからしばらく、私たちはお茶とお茶菓子を堪能しながら他愛ない話を重ねた。おかげで二人のいろんなことが分かったし、私のいろんなことも知ってもらえたと思う。こんな場を設けてくれた先輩に感謝しなければ。なかなか帰ってこないけれど、私が帰るまでには戻ってくるだろうか。
外が暗くなって来た。時計を見ると、六時を過ぎている。おしゃべりも落ち着いたから、そろそろお暇しよう。
脇に置いていた鞄を抱えると、気づいた黒子ちゃんが訊いてきた。
「玲於奈、帰る?」
「うん……暗くなって来たからね。先輩帰ってこないけど、大丈夫?」
黒子ちゃんは一つ頷いた。そういえば、普段先輩が仕事に出ている間は、ずっと二人で家にいるんだもんね。
「遅いのは気になるけれど、留守番自体は問題ないわ」
「そっか。黒子ちゃんも波君も、今日はありがとう。楽しかった」
「俺らも楽しかったぜ!」
「ええ。ありがとう玲於奈」
波君のはじける笑顔と、黒子ちゃんのはにかむような笑顔。めっちゃ純粋、やっぱ天使。
カップや皿を片付けて行こうかと思ったけれど、黒子ちゃんが「大丈夫」と言ってくれたので、私はお言葉に甘えて玄関に向かった。黒子ちゃんと、追って波君が来る。
「あ、あのさあ……玲於奈」
すると波君が、少し言いづらそうに頭をかきながら私を呼んだ。黒子ちゃんも不思議そうな顔をしている。
「何?」
「えっと……ちょっと変なことかもしんねーけど、訊きたいことがあるんだ」
「うん……私に答えられることなら」
「あのさ……」
俯いていた波君は、顔を上げた。
「烏のこと、どう思う?」
「……え?」
予想していなかった質問に、私はぽかんとしてしまった。まあ、答えられる質問だけれど、答えるより先に「何故」という疑問が先行した。黒子ちゃんも予想外だったらしく、目を見開いて黙っている。
波君は私の戸惑いに気づいたのだろう、慌てて手をぶんぶん振りながら弁明した。
「あ、あの、変な意味じゃねーんだ! ほら、保志弘も村正も、烏に対して比較的寛容じゃん? でもそうじゃない人だっているだろ? 烏と関わってる玲於奈は、どんな風に考えてんのかなーとか、その、えっとーだな!?」
「あ、ああ、うん分かった。分かったから落ち着いて」
私以上に戸惑っているような波君に、逆に私の思考が冷静になった。どう答えようか考える片隅で、波君が烏への感情を気にするのは、もしかして黒子ちゃんが理由なのかな、と考える。烏のように黒い目や髪を持つ彼女は、誤解されることも多いのではないだろうか。だからあまり外に出られない……というのは考え過ぎかもしれないけれど、当たらずとも遠からずな気がした。
私はひと呼吸置いてから、自分の意見を述べた。
「……私、両親が烏に襲われたんだ。後遺症があって、もう何年も前なんだけど、未だに病院通ってる」
「! あ……その、ごめん」
ばつが悪そうな波君に、私は笑ってみせる。
「いいよ別に。まあそんな理由で、烏のことは好きになれない。はっきり「嫌い」って言ってもいい。支部にいるのも、「私の両親や、私みたいな人が出ないように」っていう、今時恥ずかしい正義感。……でも私にとって、烏は悪だから」
「……そっか」
波君は静かに頷いた。黒子ちゃんは俯いて、何事かを考えているように見えた。
えっと、質問には答えたし、帰っていいのかな?
「でもさ!」
ドアノブに手をかけたところで、波君の大声。びくっと肩を揺らして彼を見る。ちょっと複雑そうな、でも何だかすがるような笑顔だった。
「世の中にはいろんな人間がいるじゃん? だからさ、烏にもいろんな烏がいると思うんだ! 玲於奈や玲於奈の親を傷つけるようなひでー烏がいればさ、その……玲於奈と仲良くしたいって、思うような烏も、いるかも、って思わねえ? 全部をすぐ許すなんてできねーけどさ、えっと、そういうのも、あるんじゃないかなって、俺は、思う!」
そこに、何か悲痛な思いを感じた。理由は分からないけれど、今にも泣いてしまいそうな波君の顔を見ると、何だかこっちまで苦しくなる。いつの間にか、黒子ちゃんも私を見つめていた。表情は無だけれど、その目はやっぱり波君のそれに似ていた。
……いろんな人間がいる。先輩のような聖人君子のような人がいれば、テレビのニュースでは悪事を働く人間が日々報道されている。
人と烏は同じ、なんだろうか?
そんなこと、考えたこともなかった。烏といういきものを嫌っていたから。烏は憎しみの対象でしかなかったから。同じだなんて、考えられない。
「……よく、分からないな」
率直な感想が、口からこぼれた。
「でも、そういう烏がいたら……いいね」
率直に。
「人と仲良くしたい」なんて風変わりな烏がいるのなら。それはそれで、悪いことじゃない、よね。害を為さないなら。隣を歩けるなら。私がそれを許せるか、信じられるかどうかはさておき、それは悪いことじゃないと、思うから。
それを聞くと、波君が笑った。とても嬉しそうに。
「そっか……うん、ありがとな玲於奈! 変なこと訊いてほんとごめん! 本当、気にしないでくれ!」
「いいって、別に。あ、私の両親のことも、気にしなくていいからね。お互いそういう気遣いはなくていいでしょ?」
「ん、分かった。帰り、気をつけてな!」
ドアノブに手を伸ばして、ひねる。廊下に出て、二人を振り返った。
「またな、玲於奈!」
「今日は本当に、楽しかった。玲於奈、またね」
二人は笑って、手を振ってくれた。
「またね」
私も小さく振り返した。扉が閉じて、二人の姿を遮断する。
ゆっくり体の向きを変えて、廊下を進む。帰りに案内がないのは少し不安だけれど、来た道は覚えているから、問題なく帰れるはずだ。
先輩が誘ってくれたおかげで、黒子ちゃんと波君と、より仲良くなれた気がする。いろんなことを話せて、とても楽しかった。料理教室やら町の案内やら、いろんな約束もできたし。どれも実現するかは分からないけれど、「そうなればいい」と期待や希望を抱けるのは気分が良かった。
また、近く二人に会いたいな。なんて柄にもないけど、本心だからしょうがない。
アパートを見上げる。先輩の部屋と思しき窓から、柔らかい光があふれていた。それを少しの間見つめてから、私は帰路についた。
私が居る間に帰ってこなかった先輩に、そして村正先輩に何が起こっていたのか、知るのは数日後のことだった。
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