2020年10月11日日曜日

【創作小説】レイヴンズ24


雨の夜、男は少女を助けた。
彼女が人間ではないと知りながら。
(全25話)


(決戦前夜、悔いのないように)


(決戦前夜、悔いのないように)


「娑婆の空気は美味い」
「保志君、それちょっと面白いからやめて。真顔で言われると超面白い」
「別に笑いを取りにいっているわけじゃないぞ」
「分かってるから余計に面白い。ぶはっ」
 適当な軽口を叩きながら、俺たちは病院を出た。
 晴れやかな午後。素晴らしき退院日和。苦難を乗り越えて、新しい希望の為に歩き出すには、最適な日だと勝手に思う。
 そんな素敵な日ではあったが、退院に立ち会ったのは村正のみで、非常に遺憾だ。まあ、これは文句を言っても詮無い事で、むしろその方が、俺も浮かれすぎず適度に緊張を保てるというか、現状把握を冷静に行えるというか。そういう意味でも、今日この日の遺憾なる退院は、素晴らしかった。
「さて保志君。これからどうしようか?」
 タクシーを待ちながら、村正が問うてくる。
「選択肢があるのか?」
「そりゃ、保志君の中で未来が一択なのは分かってるよ。問題はそうじゃなくて、その一択の未来の為に採るべき行動はどれか、って話」
「選択肢があるのか?」
「と、言うと?」
「対話しかないだろ」
 最善策を提示したつもりだったが、村正は盛大にため息を吐いた。失礼だ。
「何か問題があるのか?」
「大ありだよ保志君。現実的じゃなさすぎて、さっきとは別の意味で笑えるぜ」
 タクシーがやってくる。一旦議論を切り上げて、それに乗り込んだ。村正は助手席を陣取り、烏対策部支部が入っているビルを指定する。退院直後に仕事復帰……などというブラック企業などでは決してなく、「顔を見せて職員らを安心させてくれ」という支部長の意向である。俺としても、一週間近くの入院は皆に迷惑をかけただろうから、早く謝罪したい所だ。まあ、書類整理しか能のない俺を誰が心配しているのか、と考えると、落ち込みそうになるが。
 タクシーが動き出すと、議論が再開された。
「「話し合い」って、言うには簡単だけどさ。どうやるつもりなのさ?」
「直接乗り込んで話をつける」
「保志君、これはそこいらの派閥抗争とは訳が違うのよ?」
「分かってる。でもそれが駄目なら、何とかアポイントメントを取るしかないな」
「こっちは伝手がないよ。ナミもセレスおばさんもいないんだから」
「そこは情報通が何とかしてくれるんじゃないのか?」
「持ち上げても無理なもんは無理」
「……お前にしては、珍しく慎重だな」
 思った事を率直に口にする。
 と、村正は前を向いたまま応えた。
「……そりゃあ、さすがにね。いや、結構ガチでさ、今回の保志君の件で思い知ったわ。上手く立ち回らないと危険だって」
 ……困った。これでは奴の引け腰を怒れない。
 上手く立ち回らなければ危険。それは俺自身の実感でもあった。
 今までにない烏との親密な交流が、今までにない危険を呼ぶ可能性を忘れていたわけではない。勿論俺も村正も、それに対しては十分な覚悟と考慮をしてきたつもりだ。そこは間違いない。
 けれど、未知に対しての覚悟など、実際それが訪れたときには大して役に立たないものだった。結局、そのような未来予知で対処できないからこそ未知は未知なのであり、俺たちはあまりに上手く行き過ぎた経験故に、未知から訪れる危険を甘く見積もっていたのだろう。その代償が俺の負傷。一歩間違えれば死んでいた大惨事である。ああ、そう言えば村正も、烏に追いかけ回されて病院送りになっていたか。お互い、不甲斐なさを実感するしかない。
 だが、と俺は楽天的暴論を振り翳すことにする。
「上手く立ち回れば、どうとでもなるだろ」
「……」
「俺たちは、取り返しのつくギリギリの最低最悪を経験した。これ以上は取り返しがつかない失敗だ。つまり死ぬ。よって、「これ以上」は存在しないものとする」
「……それって言い換えると、「死ななきゃ安い」って?」
「そういうことだ。やり直せるなら問題ないさ」
 村正が、深く溜息を吐いた。その後、沈黙。
 うん、さすがに自分でもどうかと思う。命を軽んじているような発言だ。
 もちろん、俺だって命は惜しい。死ぬのは嫌だ。死は怖い。あの時だって、クロウを信じてはいたけれど、やはり僅かでも死ぬ可能性を感じて、震えを抑えるのに苦労した。
 ……だからこそ。怖いからこそ、もうあんな思いは味わいたくないからこそ。死なないように、緻密に綿密に策略を練り、実行するしかない。死なない限りは何度でも、捨てる気のない命を賭ける。
「……保志君。こんな弱音は最後にするから、一言物申したい」
「ああ、言ってみろ」
 村正が肩越しに俺を見た。
 ……怒っている。何処が弱音だ。完全に、俺に対する非難の目だ。けれど、目は逸らさない。甘んじて受け入れる。
 息を吸う音が、はっきりと聞こえた。
「俺さあ今回本当に保志君死んだと思ったわけクロたんのあの電話はガチであーこれ保志君まずったなー死んだなーってねえ分かる保志君親友に親友助けてって言われて現場直行したら親友血塗れでぶっ倒れてるの見たときの気持ち分かる親友に心肺蘇生法を施す側の気持ちが分かるかって訊いてんのあれから保志君の無事を確認するまで一睡もできなかった俺の安眠と絶望を返せよあー本当信じられないそんでそんな奴が「死ななきゃ安い」とか馬鹿抜かすのあーあーマジ信じらんないよねどんな神経してんのお人好しも一周回れば狂気だし君の希望が命を賭けるに値するものだって知ってあっ俺もしかして覚悟足りなかったんじゃねって軽く凹んだわ同じもの見てると思ったら保志君の方がもっと先を見てたみたいなそんな絶望味わいたくないし親友が馬鹿の一つ覚えの如く今一度敵本陣に突貫して玉砕して今度こそ死んだら俺も墓穴掘って後追いするくらい後悔すると思うから今この瞬間から俺も保志君と同じものを見て同じものを手に入れる為に努力を惜しみません」
「……ああ、ありがとう」
 結果、決意表明ではないか。いや、そもそも「一言物申す」と言いながら一言でもないので、そういう細かいことはどうでもいいのか。
 とりあえず、こいつが味方でいてくれた俺の人生は大体何とかなっているので、本件も何とかなるだろう。
 言いたい事を言い切った満足感からか、村正は深呼吸をした後、後ろに身を乗り出してくる。やめろ、運転手さんが迷惑そうにしている。ただでさえ先程の発言で引いてたのに。
「それでさ、その対話のことなんだけど。向こうは俺たちを、クロたんを唆した悪人だと思ってるわけじゃん。滅茶苦茶憎んでるわけじゃん。そこを狙って、こっちから仕掛けるってのはどう? 具体的には、日時と場所を指定して「話し合いませんか」などとド直球に。報復したはずの保志君が生きてるって知ったら、れっちゃん辺りカンカンに怒ると思うなー。まあ最悪彼女が単身乗り込んできたら、取っ捕まえて交換条件として対話を求めればいいんじゃないかな? とか」
 俺の対話案をのっけから否定してくれた割には、かなり細かく考えているじゃないか。クロウやナミの親友であるレドニアをダシにする案はいただけないが……俺が生きているという事実が、烏を動かす絶好の餌になる、か。
「俺が生きていること、俺が出向くことをアピールするのは悪くないな。だが捕虜だの何だのという下衆案はできたら使いたくない。長さえ呼び出せればいいんだろう?」
 俺が直接話をつけたいのは、烏のグループにおける最高権力者、長だ。烏は地域ごとに集団を作って生活するが、その中のリーダーが長と呼ばれる。グループにおいて絶対的権力を持つ彼の言質を取れないことには、対話に何の意味もない。
 究極、長だけ対話に引き出せればいい。だが、権力者である長を呼び出すのは難しいだろう。かといって、下手に刺激すれば対話以前の問題で、問答無用で襲撃、なんてこともあるかもしれない。
「じゃあ、対話の条件として「長が来るように」って言えばいいんじゃないの? 「こっちは非武装の人間だ」って言っちゃえば、非力なもんだと舐めてかかってくれるだろうしね。可能な限り手の内明かして、下手に出た方が相手も乗ってくれる」
「なるほど、確かに……っと」
 車が止まった、と思ったら、窓の向こうに見慣れたビル。目的地に到着したらしい。謎の議論を熱く交わしてしまっていたので、運転手さんに一言詫びてからタクシーを降りた。タクシー代は村正が払ってくれたので、後で返そうかと思っていたら「退院祝いってことでOKよん」とウインクされた。むかつくので蹴り飛ばしてから、ビルに入る。
 一応退院予定日は伝えていたが、職員のほぼ全員が揃っていて、部屋に入った時に歓声が上がったのには驚いた。今日は休日なので玲於奈もいたのだが、彼女は俺が無事なことを知っていたにも関わらず、何故か泣いていた。
 皆に囲まれて回復を祝われたり、安心されたり、「仕事がたまってるぞ」と圧力をかけられたりしていたら、ふと思った。
 ああ、俺、間違ってなかった。生きていて、良かった。
 しばらくもみくちゃにされ、快気祝いをいただくと、支部長から「さっさと帰って、数日後に万全の状態で出勤しろ」との命令が下った。ちなみに村正は本日、有給を使ったらしい。中々休みを取らない村正に、支部長も喜んで休暇を出しているようだ。
 村正と二人で話し合い、これから村正宅で今後の予定を立てようと決めたところに、声がかかった。
「先輩方。ちょっといいですか」
 目元が若干赤い玲於奈である。
「うん、どうした?」
「退院すぐのところ申し訳ないのですが、折り入って相談が」
「うんうん、何何? 先輩方にどーんと任せてみてよ!」
 胸を叩く村正に、玲於奈は少し視線を泳がせてから、小さな声で言った。
「……もう一回、クロウちゃんとナミ君に会いたいんです」
 予期せぬ言葉に驚いた。何を言うべきか迷う間に、玲於奈が続けて説明してくれる。
「私、二人に伝えたいことがあって……でも、私一人ではどう足掻いても無理です。お二人なら、何か有効な手段を持っていないかと……思うのですが……」
 言いながら俯いていく玲於奈。
 玲於奈は、クロウとナミが、自分が嫌う烏であることを知らないまま接していた。俺たちもその事実を知りながら隠していたのだから、共犯だ。それを知った彼女は酷く混乱し、傷ついていたから、もう二人との関わりは完全に断ちたがっているものだと思っていたのだが。
「……ナイスタイミングだ、玲於奈」
「え?」
 理由は分からないし、伝えたい内容も分からない。彼女が言いたくないなら無理に訊く気もない。
 だが俺は、彼女が受容と拒絶、どちらの言葉を伝えたいにせよ、二人を受け止めて、向かい合ってくれただけで嬉しかった。
「俺たち、ある作戦を立てていてな。上手くやれば、クロウとナミに会える」
「本当ですか!」
「たーだーし」
 顔を輝かせる玲於奈の肩に、村正が腕をかける。
「滅茶苦茶危険よ? でも、この期を逃したら二人には会えなくなるかもしれない。どうする?」
「……やります。けど……お二人、何をする気なんですか?」
 村正が目を合わせてくる。笑ってやると、奴も楽しそうに笑った。お互い、腹をくくったときの顔だ。
「烏に喧嘩を売りに行くのさ」


 物騒な言葉を聞いて戦々恐々としていた玲於奈だったが、村正の家で事の詳細を伝えると、完全に呆れた顔になった。
「その内実は、烏の長と直接対話するってことですか。もちろん危険でしょうけど、心配して損しました。てっきり武力抗争でもするのかと思いましたよ」
「いやあ、でも最悪、話聞いてもらえずに殺されちゃうからねえ」
「もちろん、そうならないように手を打つさ。こちらの話を聞いてくれる状況にさえなれば、勝ちなんだから」
「具体的には、どのような手段を?」
「さっき話してたのは、下手に出る戦法。俺たちはお願いする側、向こうはお願いされる側。場に誘い出すにはこれが一番有効かと」
「なるほど。でも、対話の中身……こちらの提案を呑んでもらうには、相応の対価というか、交換条件みたいなものが必要になりませんか?」
「あー、そらそうだ」
 三人寄ればなんとやら、作戦会議が見事に捗る。俺はこういうのは苦手だから、大抵は村正に任せているのだけれど、そこに玲於奈が加わることで、よりテンポが良くなっている気がする。あれ、俺が戦力外ってことは、三人寄ってることにならないのか? ……うん、まあいいか。
「そうだねえ……ってか、あれ? 俺って保志君が「対話したい」ってのは聞いたけど、何を話したいか、何を望んでるかって訊いた?」
「訊いてない」
「……」
 答えると、二人がすごい顔で俺を睨んできた。何故。
「保志君、そういう大事なことはさっさと言ってよね!」
「先輩、それ最重要事項です」
「そうか? ああ、まあそうなのか」
 玲於奈がため息を吐く。年下かつ部下に見限られるのは辛いものがあるな。
「それで、先輩は烏に何を求めるんですか?」
「ああ、それは……」
 俺はその内容を話した。大したことではない。至極簡潔な約束、というよりは願いだった。
 聞いた二人はしばらく黙った後、顔を見合わせた。
「……聞きました? 村正先輩。欲が無さ過ぎて引きません?」
「え?」
「うん、正直俺もそう思った。「クロたんとナミを寄越せ!」とか言うんじゃないかとてっきり」
「おい」
「まあ、これが先輩の先輩たる所以、とでも言いますか」
「ちょっと」
「そうだねえ。らしいっちゃあらしいお話だね」
「聞けよ」
 二人は口々に俺の渾身の欲望を馬鹿にした。だが……二人とも、どこか嬉しそうで、満足そうで。納得して、同じ方向を向く事を了承してくれたことは、すぐに分かった。玲於奈に関しては、彼女の目的がそもそも不明なので、彼女の意思に沿っているかは分からないが、文句はなさそうである。
「そうなるとさ、別に交換条件とか出さなくても呑んでくれそうだね」
「ですね。そもそも、こちらに烏にとって有益なものなんて、特に無いですし」
「食料の確保とか、できるわけもないもんねえ。じゃ、対話の内容は保志君に丸投げしちゃおう」
「えっ……」
 いつの間にか丸投げされていた。まあ、対話を求めているのは俺だから、その中身を考えるのは俺の責任なのだろうけれど。
「今みんなで全力で考えるべきことは、対話を行う日時と場所、あとはそれを相手方に伝える方法、だね」
「手っ取り早くて安全なのは、ナミかセレスおばさんに頼むことだな。だが……」
 最善をとるなら、烏社会で発言権を持つセレスおばさんが望ましい。が、問題は現在二人とも烏の元へ帰っていることと、こちらから二人を呼び出す手段が無いこと。
「二人とも、烏の所に帰っているんでしたよね。向こうに電話とかないんですか。烏って大抵、人がいなくなった集落とかに住み着くんですよね?」
「万が一電話があって、奇跡的に電話線繋がってたとしても、電話番号割り出すの難しいよ! 烏の住処って魔術で隠してることがほとんどだから、探すのも大変だし」
「じゃあ手紙」
「住所もまた然りー」
「伝書鳩」
「だから行き先不明なんだって!」
「旗でも振るか」
「先輩振れるんですか?」
「まさか」
「うーん、じゃあ狼煙で」
「段々時代遡ってない、君たち?」
 ……結局、この日の作戦会議は、こちらの要求を伝達する手段が見つからないまま終わる。後日案を出して練り直す、という結論でお開きとなった。


 そんな会話をした、数日後。運命の女神が存在するならば、彼女は微かながらも確かに、俺たちに笑ってくれたのだろう。
 部屋がかの一件で大惨事となり、補修工事が入ったことで住処を無くした俺は、しばらく村正の家に泊まることにしていた。俺は怪我が治るまでは療養を言いつけられていたし、村正もここぞとばかりに有休を消化して、今回の作戦を成功させるための下準備を徹底して行っていた。具体的には、二人で作戦の内容を練り上げたり、作戦決行の日時や場所を決めたりだ。他にも村正はいくつかの場所に電話をかけていたようだが、まあどうでもいい。気にしない。多分、役には立つだろうがろくでもないことを企んでいるだけだ。
 その日も、俺たちはひたすら作戦の話をしていた。夜も更けてきたのでそろそろ寝るか、と布団を敷き横になった時、がんがん、と窓が鳴った。
 面倒臭そうにカーテンの向こうを覗き込んだ村正が、ぱっと雰囲気を明るくして声をあげた。
「おっ、ナミじゃん!!」
 窓にはナミがいた。窓の外側に取り付けられている柵に足をかけて、窓を叩いたのだ。病院で目を覚ました時に彼の顔を見ることはできたが、すぐにセレスおばさんたちのところへ行き、そのまま帰ったため、大した会話はできていなかった。向こうで大変な目に遭っていないか心配していたが、彼は比較的元気そうで、俺と目が合うと、いつもの笑顔を見せてくれた。
「いきなりどーしたよ! まさか追い出された?」
 窓を開けた村正が訊くと、ナミは部屋に入りながら首をぶんぶん横に振った。
「ちげーよ! 何とかクロウに会いに行ったら「伝えて欲しいことがある」って言われてさ、他の烏に見つかる前に取って返してきた!」
「そうか、クロウに会えたのか!」
 あんな別れ方をしたのだ。彼女のことは心配だった。
 ナミは小さく頷いた。
「クロウ、ちょっと顔色悪かったけど、長への報告は上手くいったっぽい。しばらく軟禁されてたらしいけど、今は自分の家にいるよ。「保志弘はちゃんと生きてる」って伝えたら、「よかった」って泣いてた」
「クロたんはとりあえず無事か! ひゅう一安心!」
「……そうか、泣かせてしまったか」
 申し訳ない。詫びは当人に直接言わなければならないな。対話当日に言うこと追加。
 彼女の安否がはっきりした今、問題は彼が運んできた言葉だ。
「それじゃあ、クロウが伝えたいことって何だ?」




 なんの前触れもなくナミが唐突に現れ、私に救済の言葉を置き、私の言葉を携え飛び立った数日後。
 彼は前回と同じく、真夜中近くに現れた。夜中に窓を叩かれるのは正直怖いのだけれど、堂々と表から入ってこられては他の烏に見つかるかもしれないから、仕方ない。
 私は既に軟禁を解かれたので、自宅にいる。ちょっと建てつけの悪い窓を、長年の生活で掴んだコツを用いて開け、彼を迎え入れる。その後、すぐにコガに連絡をとった。コガと協力関係を結んだことは、ナミには大分驚かれたけれど、心強いことに変わりはない、と喜んでいた。本当はセレベスさんとも情報を共有したいのだけれど、コガによると、重鎮という立場上セレベスさんは表立って私の援護ができない様子だという。
 数分後に、コガが正面の扉をノックして、堂々と入ってきた。夜の見回りという名目で出てきたらしい。ついでに私の様子も見てくる、と明言してくるあたり、用心深くて感心する。それなら彼が私の家に入るのを目撃しても、怪しまれることはない。
「うん、元気に帰ってきてくれてよかった」
 微笑むコガに、ナミが胸を張ってみせる。
「まーな! 一言二言伝えるくらい、楽勝だっての! 俺捜索網も手薄になってるし、余裕余裕!」
 Vサインまで見せてくれるのはいいけれど、コガの用意周到さと比べると、どうしても不安になってくる。大丈夫だろうか。いや、私が彼にどうこう言える立場でないのは、分かっているのだけれど。
「向こうの反応はどうだった?」
「クロウのことは、二人とも素直に喜んでくれた。コガのことも話したけど、二人ともそこまで驚いてはいなかったなー」
 ナミが突然現れたその日。彼が保志弘の無事を教えてくれて、とても嬉しかった。私は、彼を殺していなかった。それは私にとっての希望。彼が私に見せてくれた理想が、生きている証明だった。
 それを伝えた後、彼は「長の元に行く」と言った。自分を探している烏たちを引き上げさせて、人間との無駄な争いを避けるためだったのだろう。一緒に戻ってきたセレベスさんは、既にそちらに向かったという。
 けれど、私は彼を引き止めた。今ならナミは、まだ自由に動ける。ならば私の無事と、コガが味方になってくれたことを保志弘たちに伝えてもらえないか、と頼んだのだ。せっかく帰ってきてくれたのに、今一度危険に晒すようなことをして申し訳なかったけれど、私が動けば長たちが変に勘ぐるかもしれないから、彼に任せるのが得策だと考えた。
 ナミは二つ返事で了承し、その夜のうちに人間の町へ戻っていった。そして、私の言伝を確かに完遂し、今に至る。
「で……さ」
 ナミは少し言いにくそうに、頭をかきながら切り出した。私とコガは、同時に首を傾げる。
「どうしたの、ナミ?」
「何か不都合があったのかい?」
「それがー……あいつらにも言伝を頼まれてな。いや、それが嫌とかじゃない、ないんだけど、内容がさあ……」




「……この日時に、この場所で。あいつら、長と話がしたいらしい、です」
 ナミの帰還報告のために、私たちはあの建物にやってきた。私がかつて長に呼ばれて弁明した、公民館だ。
 烏たちが帰還を口々に喜ぶ中、おずおずと手を挙げたナミは、地図とメモを長に渡しながら震える声でそう告げた。
 保志弘たちからの要求。それは、「長と直接話したい」というものだった。その内容については一切教えてもらっていないらしいが、保志弘と村正が考えることだ、この状況に関連した何らかの目的と、何らかの勝算があってのことだろう。
 けれど、その目的が分からない以上。
「無駄だ」
 長の一言が、全てを物語っていた。
 私たちと彼らは敵対する種族であり、私を始点とした一連の事象は終わったのだ。こちらの当初の目的としての、私やナミの帰還は達成され、一命を取り留めたものの保志弘への報復も行っている。後者に関しては、彼の生存に不服な烏もいるだろうけれど、運ばかりはどうしようもない、と一応納得のいく結末は得られたのだ。この誘いに応じることで、烏が得をすることは多分ない。
 しかし、長の言葉への同意が湧く場で、一際凛と響く声。
「ちょっと待った!! つまり、クロウやナミを騙したあの男が、生きてるってことだろ!」
 レッドである。コガは私の味方になってくれたけれど、レッドにそれを強要することはなかった。彼女は良くも悪くも烏らしい烏で、人間に対して良い感情を持っていない。それに直情型な彼女のことだから、私が真実を話しても「人間に騙されているんだ」などと言って信じてくれないだろうことは、容易に想像できた。だから私からも「協力してほしい」と誘うことはなかった。
 そんなレッドは、長の前だというのに敬語も使わず、よく通る声で続ける。
「あたしはそんなの許せない。あいつがこれ以上あたしたちに何かを求めてくるのも許せない。烏を甘く見たことを後悔させたほうがいい!!」
「ちょっ、レッド! 熱くなりすぎだろ!」
 ナミが慌ててなだめる。私も彼女の腕を引っ張って抗議した。さすがにそれは……レッドが烏を率いて出ようものなら、保志弘や村正を守り切る自信が無い。
「落ち着いて、レッド。保志弘には確かに報復したのよ。彼が助かったのは、運が良かったから。こればかりはどうしようもない」
「だけど、これで「烏の報復は大したことない」なんて思われたら、舐められるくらいなら……言葉でも力でも何でもいい、烏がどんな存在であるか、思い知らせてやるべきだ」
 レッドの言葉に、烏たちが同意の声を上げる。ナミと顔を見合わせると、困惑した表情をしていた。多分、私も同じ顔だ。
 彼女の言い分は、分かるのだ。方法が乱暴だから、私やナミは止めようとしているけれど。
 現在において、烏と人間の勢力は拮抗している、と私は思う。烏には人知を超えた能力があり、人間には組織だった武力がある。烏は人間から情報や衣食住を得ているし、人間は烏から同じく情報や、仕事を得ているとも言えるだろう。ある意味、現状は共存と呼べるのかもしれない。
 けれどこれは、互いに認め合っているわけではない。お互いを憎んでいるのに、相手を否定し完全に絶やす一歩が踏み出せていないだけだ。
 しかし。レッドの言うように、今回の件を烏の甘さだと認識されたら。牙を抜かれた獣を恐れる理由など、ないだろう。もしかしたら、烏という種族が危険ではないという情報として、人間社会に広がっていくのかもしれない。そうなれば、烏はどうなる? 烏の数は、人間のそれよりもかなり少ない。人間が徒党を組んで本気で襲ってきたら、きっと根絶やしにされる。
「……烏が心配なのは、分かるよ。でも、ちょっと落ち着こう。僕たちが決めていいことじゃないからね」
 コガがレッドの肩に手を置いて言うと、彼女は唸りながらも俯いて、小さく頷いた。
 そこで、烏たちの視線は自ずと最高権力者、長に向かう。
 長は目を閉じて考えているようだった。重々しく口が開く。
「かような人間らと、これ以上関わるべきではない」
「……っ」
 私と保志弘たちのつながりを否定されているようで、ぐっと力が入る。
「しかし、レドニアの発言も一理ある。烏としての威厳を保つのも、また我々のすべきこと」
 声が上がる。けれど、長はそれ以上言葉を紡がず、黙ってしまった。彼も悩んでいるようだった。
 この誘い文句だけでは、何かを企んでいるとしか思えないだろう。事情を知らない烏が見れば、これは烏を騙した人間からの誘い出しなのだ。どんな罠か分かったものではない。長は、そんな危険が伴う誘いに応じるべきか否か、判断しかねているのだろう。
 長の決断を待つ静寂の中、突如ぱんぱん、と手を叩く音が鳴り響いた。
 誰もが視線を向けた先には、銀髪の女性烏、セレベスさんがいた。彼女はナミが一度帰ってきた際に、共に帰ってきていた。重鎮と呼ばれるだけあって、彼女の帰還は夜中だったというのにすぐ広がり、大騒ぎとなった。騒ぎが収まってからは、長を含む大人烏たちとの話し合いを繰り返していたそうだが、さすがに内容までは教えてもらっていない。多分、教えてもらってもわからない。
 そんな彼女は、部屋の壁に背を預けて、綺麗な銀の髪を片手で払いながら言った。
「全く、腰が重いのね。こんなのちゃっちゃと行ってとっとと済ませればいいじゃない」
 場にそぐわない軽い言葉に、長は目を開けてじろりと彼女を睨む。
「私は、最悪の想定をしなければならないのだ。セレス、お前とは背負う重みが違う」
「あら、私が背負っているものをご存知なのかしら?」
 眼光を弱めない長と、にこりと笑うセレベスさん。二人の間には、見えない火花が散っているようだった。ナミは一歩後退っている。
「とにかく、突っ撥ねるにしたって、直接言った方がすっきりするんじゃない? どうせ、こっちだって戦闘要員を集めて行くわけでしょう。向こうの作戦なんて知ったことじゃない、いざとなれば魔術でなぎ払えばいい。たかが人間、楽勝じゃない。ここで退くことこそ「烏としての威厳」を損ねているんじゃないかしら」
 保志弘たちは、三人で来ることを告げている。もちろん、それ以外の人間が協力している可能性はあるけれど、こちらが本気になれば、その人数を殺すことなどわけないだろう。多分その「三人」とは私の知る面々だろうから、絶対にそんなことはさせないけれど。
「それは人間に対しての報復や見せしめになるし、宣戦布告にだってできる。烏が、人間に、負けるわけがない。そうでしょう?」
 セレベスさんの言葉は、完全なる煽りだった。烏たちはその言葉に煽られて色めき立つ。長だけが静かに、今一度目を閉じた。
 烏を本気にさせて、危険なのは人間だ。純粋な戦闘の能力や心構えにおいて、一般の人間は烏に到底及ばない。けれど、烏がこの誘いに乗ってくれなければ、この状況には進展も後退もない。だから保志弘たちは、リスクを承知で手の内を晒し、現状を打破しようとしている。
「……」
 ざわめきはゆっくり消え、長の声を待った。私を含めた烏の誰もが、長の険しい顔を見つめている。
「……」
 一息吸って、長は。
「出向いてやろう」
 一言。
 一拍置いて、場が沸いた。烏の力を示す時だと声が上がる。拳が上がる。
「よっしゃあ! 今度こそぶちのめす!」
 ぱしん、と手のひらに拳を当てて笑うレッドに、ナミが恐る恐るといった様子で声をかける。
「いや、あのー……あんま無理はしないでほしいっつーか、レッドは待ってた方がよくね?」
「は? 何甘ったれたこと言ってんだナミ! あたしは自分の大切な物は、自分で守る! クロウもナミも、あたしの大切な友達なんだから、手を出したこと後悔させてやる!」
「く、苦しいわレッド!」
「分かった、分かったから放してくれー! 窒息する!!」
 肩にレッドの腕がかけられ、そのまま首を絞められる。彼女の体を挟んで反対側には、同じ状況のナミがいた。お願いだから、大事な物をその手で自ら壊すような真似はしないでほしい。
 拘束を解放すると、レッドは頭をかきながら笑った。
「あは、ごめんごめん。愛情表現が強すぎた?」
「大事にしてくれるなら、それなりに扱ってほしいのだけれど……」
「次からは気をつける!」
「レッドが行くなら、僕も行くとして。もちろん、クロウとナミも行かなきゃだよね?」
 コガの言葉に、長の視線がこちらに向く。その射抜くような目は怖くて直視しづらいけれど、ここで怯んでお留守番となるわけにもいかない。
「……そうね。危険は承知だけれど、これは私の問題でもあるのだから」
「俺の問題でもあるぜ」
 私はナミと頷きあう。
「遊びではないぞ」
 長の声は重く、厳しい。しかしそこに批難の色はない。私たちはまだ若い烏だから、心配してくれている……のかもしれない。
 何が起こるかわからない。きっとその時になれば、私は大勢の烏と同じ方向を向くのではなく、大勢の烏と相対することになる。その場合、命の危険だってあるだろう。それはとても怖い。
 それでも。いや、だからこそ。
「行くわ」
 私の一言が、四人の答えだった。
 長は私の目を見つめ返してくる。今は恐れがない。決意は強く、私を支えてくれる。
「……他に連れていく烏に関しては、協議の後に通達する。一同は解散せよ」
「それってつまり……OKってことか! やったー!!」
 ナミが一番に声を上げた。そしてレッドとハイタッチをする。その後すぐにナミは別の烏に声をかけられ、何言か言葉を交わすと、こちらにやってきた。
「悪い。これから長たちに申し開きしないといけないみたいで……」
「ああ……そうよね」
 保志弘からの招待にかき消されていたが、ナミは数ヶ月の行方不明の後やっと帰ってきた身である。私の時のように、いろいろと詮索されるのだろう。
「ちょっと怖いけど、頑張って」
「うえ、マジかよ……」
「僕も一緒にいるから、安心して」
「ありがとーコガぁー」
 そこに、セレベスさんもやってくる。
「何かやらかしてくれるとは思ってたけど、直球で来たわねー。ま、最高権力者から言質とるのが一番手っ取り早い、ってのは賛成。さすが私の息子with親友」
「セレベスさん……」
 にこっと、先ほど長に見せたそれよりも柔らかい笑みを見せたセレベスさんは、次の瞬間険しい顔になる。頭からつま先まで視線が動き、まじまじと見られた。
「え? な、何ですか……?」
「クロウ……あなた胸小さくなってない?」
「は?」
 首をかしげる間もなく、セレベスさんの手が私の体に伸びる。
「もしかして食欲不振? 駄目よ無理にでも食べないと。成長期なんだし、まあ私的には胸なくても問題ないけど、あって困るものじゃないでしょ? レッドのちょっと分けてもらった方がいいんじゃない? っていうか顔色もちょっと悪いわよ。ちゃんと寝てる? 寝不足は美容の大敵よ?」
「セレベスさん待って、衆目に晒されたこの場でクロウの身体中に手を回すのやめて本当やめて見てらんない!」
「それ見てるって意味だよねナミ」
「何見てるの……!?」
「わー誤解だ誤解だー!!」
「あっ、あたしのクロウに何すんだー!」
 そこにレッドも飛び込んできて、何だかしっちゃかめっちゃかになった。やがてセレベスさんは大人烏に文字通り取り押さえられ、ナミや付き添いのコガと共に事情説明の為この場に残ることとなった。
 大半の烏は解散の号令に従い、建物を後にする。私もレッドと共に建物を出て、途中で別れた後家に着いた。
 ベッドに一人座って、考える。
 これがきっと、最後の戦いだ。どんな結果になろうとも、これで私たちと保志弘たちの関係には決着がつくことになるだろう。それがどのようなものであるかはわからない。けれど、私が望む結末であってほしいし、それがナミや、保志弘や、村正たちの望む結末であればいいと思う。
 ただ、それを選ぶということは、烏の意向に背くことであり、即ち烏を敵に回すことになる。一度烏という社会から逸脱すれば、その後無事に烏社会に戻れるかどうかも危ういだろう。
 それでも私の中には、確かに希望があった。
 それは他でもない、烏である私に、人間である彼らがくれたものだ。
 だから。


 覚悟を決める。


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