2020年10月8日木曜日

【創作小説】レイヴンズ19


雨の夜、男は少女を助けた。
彼女が人間ではないと知りながら。
(全25話)


(そう上手くいくわけ……ないよねぇ)


(そう上手くいくわけ……ないよねぇ)


 夕方、情報収集の名目で烏対策部支部を抜ける。真面目にデスクワークする職員たちを見るとちょっと罪悪感が湧くけど、ちゃんと聞き込みしてくるから大丈夫大丈夫。だからそんな目で俺を見ないでおくれ、支部の皆様。まあ、保志君のあの冷たい視線を毎日受けている俺にとって、他の人の視線などまるで頬を撫でる風のようサ! その保志君は、今日は早く上がったらしい。村正寂しい。でも一人で頑張るよ。
 最寄り駅から伸びる大通りには多くの店があり、多くの人がいる。俺はひたすら、これらの人々から烏についての情報を聞き出す。顔見知りも増えて、これを始めた頃よりよっぽどやりやすくなった。地道な努力が実を結ぶんだよね、うんうん。
 それはいいけど、最近はやっぱり烏の動きが大きいようだ。セレベスさんが言っていた通り、烏排斥派の過激行動に反応しているんだろう。「買い物帰りに襲われかけた」とか「夜にビルの上でたむろってる」とか、幸い被害は無いけどひやひやすることがいくつかあるらしい。そういや俺も、仕事帰りに家の近くで烏見たんだよね。クロたんとナミのことが嗅ぎ付けられたんじゃないか、とかなりびびった。これも、幸い何もなく去ってくれたので、俺は今日も元気に仕事をしておりますよん。
 話を聞いた限り、烏の目撃情報は町に万遍なく存在していた。俺一人で全ての地域を聞き込むのは難しいから、この辺で一度情報をまとめた方がよさそう。花屋のおっちゃんと軽く世間話をしてから別れを告げ、大通りから離れる。
 段々と人が少なくなり、辿り着いたのは小さな空き地だ。一昔前の、土管とかありそうなやつ。土管も他の物もないけど、空き地を囲む柵は低く、軽く腰を落ち着けるのにうってつけなんだこれが。
 肩にかけていた鞄から携帯電話を取り出す。黒の二つ折りをぱかっと開いて、履歴から支部の番号を呼び出し、通話。スリーコールで出るのは、応対係の女の子だ。
「もしもしー? 那字路でっす。聞き込み一段落ついたんで、とりあえず報告しまーす。メモいい? 大丈夫? ……OK、始めるよー」
 俺は、手帳を開いて書き取った聞き込みの内容を伝えていく。時折応対係ちゃんが質問を入れてくるので、それにも答える。ふふん、できる男風。
「……ってわけで、俺からの報告は以上! 調査、見回りに反映してくださいな。え、これから? あー、俺今日見回りないでしょ? 直帰していい? ……いい? よかったー、じゃあ那字路村正、これにて本日のお仕事を終了させていただきまーす! お疲れ様でしたー!」
 通話終了、ついでに俺の本日のお仕事も終了。気分晴れ晴れ! 天気は若干曇り気味だけど。
 さて、これからどうしようかなー。買い物して帰ろっかな? 家の食材が減って来たし、保志君の家の食材もちょいと心配。今日特売日だったよねー何が安いのかなー、と思いを馳せつつ、柵から腰を上げようとした、時。
「およ?」
 携帯電話が鳴った。味気ない初期設定の着信音だ。先ほどしまったばかりの携帯電話を鞄から取り出し、今一度ぱかりと開いて。
 開いて、相手を確認して……硬直した。
「……」
 出るべきか、出ないべきか。静かな道で鳴り続けているはずの着信音が遠くなる。どうする、どうしよう。ていうか、何でいきなり。どうして。頭がぐちゃぐちゃになる。
 着信音が途切れた。留守番電話に切り替わるが、すぐに通話終了となる。それを見て、俺の頭が冷静さを取り戻した。恥ずかしー、取り乱しちゃった。今の混乱は全く俺らしくない。何事にも冷静に、それは俺の矜持だったはず。
「……」
 息を吸って、吐く。仕事中だと思われたのか、かけ直してくることはない。俺は不在着信の一覧を呼び出し、一番上の番号を……登録してある名前を、選択した。
 ワンコール、ツーコール、スリーコール。
 がちゃり。
 ああ。出ちゃうんだ。まあ当然だよね、今まで電話かけてたわけだし。
「……ご無沙汰です」
『久しぶりだな、村正』
 その声は、最後に会った数年前と比べると、少し枯れている気がした。
「初めて俺に電話かけたんじゃない? 親父」
『そうかもしれんな』
 素っ気ないこと。まあ、俺の声も久々の会話を喜ぶそれじゃないんだけど。むしろ、今すぐにでも電話切りたいくらいなんだけど。
「わざわざ電話なんて、そんなに大事なことあった?」
『仕事は、どうだ』
「……そんなことじゃないでしょ、本題」
 沈黙。あと二秒返事なかったら切ってやろう、そんな決意を固めた一秒後。
『……まだ烏と馴れ合っているのか』
「……」
 親父は、というか那字路家は、烏排斥派だ。玲於奈ちゃんのように、誰かが烏に襲われたなんてことはないけれど、烏を滅茶苦茶嫌っている。じゃあ何故嫌っているか、っていうと、「烏は悪い」。ただ、それだけ。人間の安全を脅かす、だから悪なのだと、子供の頃はずっと聞かされていた。俺もそれが自分の意思だと誤認していた時期がある。若かったね、全く。今も若いけどさ。ぴちぴちだけどさ。
 でも、烏と出会い、保志君と出会い、ナミと出会って、俺は自分の意思を持った。烏は悪じゃない。いや、言い方が違うか。悪じゃない烏も存在する。それを理解し、悪じゃない烏と共に生きたい、という思いを己の意思とした。
 残念ながら、親父には理解してもらえなかった。俺と烏を引き裂いて、傷つけて、なのに「それがお前の幸せだ」なんて馬鹿言ってくれるもんだから、俺もぶち切れて、家を飛び出した。うん、こういう結果に導いてくれたという意味では、確かに俺の幸せにはなったのかもね。今の俺は、俺なりに俺らしく考えて生きているから。
 俺が何を考えて行動しているか、分かっているくせに。親父はそうやって親父面をする。俺を心配する体で、俺を縛ろうとする。何かが体の底で、燃え始めた気がした。
「親父には、俺の意思をちゃんと伝えたはずだ。忘れたなら何度でも言うけど。烏と人は同じだよ。悪い奴も良い奴もいる」
『お前は分かっていない。烏は人間に危害を加える。人間の社会を壊そうとする。そんな奴らの何処に善がある。それも、人間と同じなどと』
「人間全部が善人じゃないでしょ。烏だってそうだって言ってんの。もちろん人間との相違点は多々あるけれど、それをあげつらって迫害するのは人種差別と何ら変わらない」
『空を飛び不可思議な魔術で人を殺すような奴らが、人間と同じなわけがないだろう。奴らは人間じゃない。獣だ。人間と同じだというのは錯覚に過ぎん』
「俺が烏のことをどう考えようと、親父には関係ない」
『お前の親だ。お前を心配して何が悪い』
「あんたは自分の考えを他人に押し付けているだけだ」
『お前は獣に幻想を抱いているだけだ。いい加減夢から覚めろ』
 ふと、クロたんの顔が浮かんだ。彼女の優しさも、それを引き出した保志君の献身も「幻想」だと言うのだろうか。このクソ親父は。
「……その考えを変えようとしないから、目に見えるものも何も変わらない。俺はあんたを変えたいとは思わないけど、その代わり俺が見たものを、知ったものを、「幻想」だなんてあんたに貶められる権利はないと思うね」
『今日、お前の母親が烏の襲撃を受けた』
 ……。
「容態は」
『重傷だ。腕をやられて、もしかしたら切断しなければならない』
「それで?」
 自分でも非情だな、とちょっと思った。
 案の定、親父の声に怒気が含まれる。
『「それで?」じゃないだろう。烏はお前の大切なものを傷つけて、人間はそれに対抗する術を持たずに、黙って泣き寝入りをするしかない。それで「平等だ」などと言えるのか。「烏と人は同じだ」と、それでも言えるのか』
「烏を片っ端から捕まえてる過激派がいるらしいじゃん。捕まって虐げられるどの烏にも、親がいて兄弟がいて友達がいる。傷ついてんのはお互い様だ」
『人間が家畜の心配をしないのと一緒だ。いちいちそんなものに気を配っていては、人間が先に死ぬ』
「「家畜」って、言うに事欠いてそれかよ」
 なんか、切れちゃいけない堪忍袋の緒が、導火線になっちゃってる気がする。駄目だ、これを燃やし切ってはいけない。そんな気がして、俺は早く話を済ませようと結論を急いだ。
「あんたの今日の目的は母さんの入院報告? じゃあ時間できたら病院に顔出すよ。それでいいね、はい終わり」
『俺一人の意見すら変えられないで、そんな夢を持つな』
 最後の最後で、親父はそう言った。
 あー、今すっごく保志君とクロたんとナミに会いたい。すっごく、笑いたい気分なのに。
「……るせぇよ」
 導火線が灰になって、跡形もなくなって、胸の底に落ちて行った。
『お前がおかしい、間違っていると気付け』
「うるせぇよ!! あんたは嫌いなもんに歩み寄ろうとしないで、ただ世間の風潮に乗っかって、知りもしねぇ奴を「嫌いだ」と言って安心しているだけだろう!! あんたは、俺の意見なんか聞く気もねぇくせに、俺が今まで何をしてきたか知りもしねぇくせに、よくそんなこと言ってくれるよな!? あんたは烏に会ったことあるか? あんたは烏と喋ったことあるかよ!? 俺はあるよ、あるから烏の善性を信じて守りたいと言えるんだ!!」
 叫んでいた。叫びながら、「ああ恥ずかしいなー」と頭のどこかが冷静考えている。保志君には見られたくない痴態だよ本当。親の言葉に逆ギレとか、反抗期じゃん。「若い」とは言ったけど、そこまで若くなくていいよ俺。
 でもそんな思いは一割くらいしかなくて、九割は完全にぶっ切れていた。
「あんたこそ、俺の意見を変えたいなら烏と関わりを持ってからにしろよ。俺と同じ体験をしてから、言えよ」
『……お前は本当に馬鹿だ』
「馬鹿から馬鹿が生まれるのは当然だろ。あと……烏を取っ捕まえてる過激派団体、あんたが発起人らしいな?」
『……何故知っている』
「絶対許さねぇからな。俺は……」
 そのときだった。
 ――ばさり、と。羽ばたく音が、頭上から降ってきた。
 俺は空を見上げた。曇天を背負って、黒い翼を持った人のような姿のものが、下りてくる。天使にも見えて、幻想的な雰囲気さえ感じた。この電話中。このタイミング。運命と言えるかもしれない。
 ぶっ切れていた俺の頭が、一気に冷えた。十割冷静な、いつもの俺がカムバック。
「……はは。敵が多くて困っちゃうね、本当」
 耳に当てていた電話をそっと下ろして、通話を切る。もうこっちから話すことなんて無いし、向こうにもないだろう。この言い合いが平行線を辿るしかないことは、お互いよく分かっている。不毛な言い合いにかまけている暇は無い。
 烏が五羽。俺を囲むように立った。知り合いの顔はない。
「あんた、今烏の話してたよね」
 俺の正面に立った、烏の女の子がそう言った。うーん、可愛いっちゃ可愛いけど、クロたんみたいな純朴さが足りないかな。気が強そうのは嫌いじゃないけど、俺的には下の上……って、そんな場合じゃないか。
 やっぱり、怒るという行為にろくなことはない。静かに話していれば、彼女らに気づかれることはなかったようだ。クロたんとナミの名前を出さなかっただけまだ救いはあるけれど、二人の捜索が未だ継続していること、過激派の行動により烏たちが過敏になっていること、二つの要因を頭からぽろっと落としてしまった自分の短絡さは否めない。
「ま、してたねえ」
 とりあえず、返事はこんなものにしておく。否定してもいいことなさそうだし、これくらいは問題ない。会話をうまくつなげて、このやばそうな状況の打開策を考えよう。
「怪しい。あんた、何者?」
「俺? 俺はしがない社会人ってとこかなー。そういう君たちこそ、五人で人っ子一人囲まなくてもいいじゃない! いやあ、俺っていつの間に、烏をも魅了するフェロモンを出してしまうようになったか! あっはっは!」
 口では陽気な言葉を吐きつつ、冷静に状況を分析する。左右は空き地と店、逃げ場がない。前後には道が伸びている、だが前に進むと大通りだ。俺が烏を引き連れて駆け込んだらパニック必至。実質行けるのは後方だけか。住宅街だけど、大通りを行くより危険は少ない。
「っこの、へらへら笑って……」
「落ち着いて、もう。すぐ頭に血上らせるんだから」
 拳を作って一歩踏み出そうとした少女を、隣の少年烏が制した。そのまま、少年が俺を見る。黒髪の隙間から見える黒い目は、冷たい。
「僕たち、烏を次々捕まえている人間の団体を探しているんです。何か情報を持っていませんか」
 烏にしては丁寧な口調だが、交渉の為のものであることは間違いない。こういうの見たことあるなあ。あ、警察の取り調べだ。あれって、相手から情報を得る為に、怒る役と抑える役に分けるんじゃなかったっけ。俺取り調べられる側かあ。カツ丼出るかなーカツ丼食べたいなあーお腹空いたなあー……。
 じゃねえよ。さすがにおちゃらけ過ぎ。加減が難しいなあ。
「んー? まあ、俺を使えば情報は手に入るかもしれないけど……こっちにメリットがないね」
「……つまり、情報を得る当てがあるわけですか」
 声色で確信する。なるほど。やっぱり彼も「烏」なのか。
「っはは、やっぱあんたらは、俺を使うことしか頭にないわけだ。俺に利益なんか与える気は毛頭ない、と」
「……媚を売る必要はないでしょう。いや、「従ってくれれば危害を加えない」というのが一番の利点でしょうか」
「ああ、そりゃ確かに僥倖だわ! ……でもまあ、どうあれ従う気はないね」
 今ここで烏に情報提供して、親父が関わる過激派集団が潰れるのもいいかなー、なんて思うんだけど……あの親父のことだ。おふくろが怪我したタイミングだし、危険な目に遭ったとしても余計に烏を憎むだけだろう。それに、俺も人間だ。どれだけ嫌いでも、わざわざ肉親を危険に曝すようなことはしたくない。
 交渉は決裂した。
「くそ、やっぱり一発痛めつけて従わせる!!」
「だ、だから駄目だってば!」
 少女が少年の制止を振り切って、俺に飛びかかってくる。固めた拳を引いて、殴る構えだ。
「喰らえっ!!」
「おっと」
 避けるのはそう難しくない。冷静に、相手の目と拳、腕や足の出し方を見極めて、一歩引くだけで十分だった。彼女の動きが単調すぎるのも幸い。一発打っただけで、即座に次の攻撃につなぐ様子も無く、二、三歩そのまま足を進めて止まった。
「もー、暴力的な女の子は好きじゃないな! アグレッシブなのは悪くないけどね。でもいきなり人に殴りかかるってのは」
「お前……」
 少女が、驚いたような顔を俺に向けた。ん? 俺の避けテクに見惚れたか? これは保志君との特訓と実地訓練により身につけた、俺の瞬発力を最大限に生かすもので、そう簡単に他者に真似できるものでは……。
「何で……クロウとナミの匂いがするんだ……」
「……」
 場が凍る、とはこのことだ。
 そして、俺の心臓まで凍りかけた。
「――っ!!」
 這い上がり浸透しかけた冷たさを砕いたのは、本能。
 ヤバい。このままじゃ俺が、親友が、誓いが、決意が、大切な全てが、壊れる……!!
「ま、待て!!」
 少女の声に従えるはずも無い。烏たちより少しだけ早く、俺は動いた。包囲網を抜けて、住宅街へと走る。
 後ろから烏たちの声と、翼の音が聞こえた。ほぼ同時に、耳元を何かが擦過する。何だ、と思う前に視界に入る黒い羽根。攻撃魔術か。飛び道具は厄介だ……と考えたところで、こちらにも少々頼りないが飛び道具があることを思い出した。
 肩にかけた鞄をまさぐり、取り出したるは閃光手榴弾。効果をギリギリまで絞ったことで日本でも使えるようになった、対烏用アイテムだ。ピンを抜いて軽く振り向く。翼を広げた烏たちが俺を追ってきていた。距離は完璧。
「効いてくれ、よっ!」
 後ろに手榴弾を投げ、進むべき道が一直線であることを確認し、目を強く閉じる。きっかり二秒、目蓋を焼く白。それは一瞬で、それが薄れると同時に目を開き、また後ろを確認。数人は直撃。だが三人ほど、効果が薄かったのがいる。俺を指して追いかけてきた。
「ああ、もう」
 足の回転を早める。道を曲がって、住宅が密集する方向へ向かった。空から追いかけてくるならば、広い道は俺に不利だ。この辺りは俺の家が近いから、地図は頭の中にしっかり入っている。知る限り細い道を逃げ回って、根競べをするしかない。
 こうして、俺は年甲斐もなく、命がけの追いかけっこをすることになった。


「よっと!」
 ブロック塀に手をかけ、一息で飛び乗る。直後、俺が今まで走っていたアスファルトに、羽根が飛び込んできた。羽ばたく音が背後に迫る。ブロック塀が途切れる。隣の家の塀に飛び移って、アスファルトに下りる。足の痺れは無視するしかない。止まるわけには行かないのだ。
 鞄は邪魔なので、既に手放していた。烏に拾われて何かの情報が漏れないよう、人様の家の庭に投げ入れてしまったので、後で取りに行かなければならない。それまで大事に持っていてください、ナガノさん。表札の確認は怠ってないのサ! まあ財布も入れっぱなしだから、交番に届けてくれてもいいんだけど。
 五個に満たない閃光手榴弾を瞬く間に無くし、反撃の手を失くした俺は、鞄から取り出していた携帯電話を使って、支部に連絡を入れた。あれから十分。そろそろ来てくれてもおかしくないんだけれど、電話の向こう側が慌ただしかったから、別地で大きな事件があったのかもしれない。そうなると、こっちに来る人手が少なくなる。俺は移動しているし、烏も俺を見失うまいと低く飛んでいるから、見つけるのは困難だ。
「うわっ!?」
 びゅん、と頭の横を羽根が飛んで行った。髪が数本切れる。
「おいおい、俺から情報を得たいなら、一歩間違えたら死ぬような攻撃は止めてほしいなあ!!」
 大声で主張するが、返事はまたも羽根。足下に何枚も飛び込んでくる。
 ズボンも上着も、きわどい攻撃を何度も受けた為に所々裂けていた。帽子は強烈な羽根の嵐に持って行かれ、伊達眼鏡は邪魔だったので、大分前に自ら投げ捨てている。これもしかして、支部の皆が助けにきたとしても、俺だって認識できないんじゃね?
 左に見えた塀と塀の間に飛び込み、すぐに塀に手をかけ向こう側に移る。言わずもがな、他人様の庭。不法侵入である。こっちは命が危険なので、許してください。後日菓子折り持ってお詫びに行きますから!
幸い、着地点の横に植物用の日除けがあったので、その下に隠れた。日除けはくすんでいて、上からはよく見えないだろう。隅に縮こまって見上げると、烏の影が見えた。いきなり視界から消えて、混乱しているはずだ。
「さて、どーすっかな……」
 花やら葉っぱやら盆栽やらに囲まれながら、考える。
 打開策がない。打てる手は片っ端から打っているのに、悉く実を結ばない。「俺、今日の星座占い何位だったかな?」って考えてしまう程度には、運が悪すぎる。親父か。親父がこの悪運を運んできたんだな? くそ、やっぱあいつと関わるとロクなことがねーや。
 烏たちは、やっとクロたんとナミにつながる手がかりを見つけた。俺を逃がしてくれはしないだろう。今は目を逸らせているが、放っておけばここ一帯を隅から隅まで探し始め、やがては俺を見つけるだろう。俺だって、ここにずっと留まっているつもりはないが、何の案もなしに一時的安全地帯から出るような馬鹿はできない。何か策を考えてから、それに向かって全力疾走するのが望ましい。
 俺一人で彼らを撃退するのは不可能だ。俺はもう一度、頼みの綱である支部に電話を入れる。スリーコールで出たのは、さっきとは違う新人さんだ。
話を聞くと、俺の予想通り、別件でほとんどの職員が出払っているらしい。一応俺のところにも数人派遣されているそうなので、少しは安心したが、まあここにいたら見つけられるもんも見つけられないでしょう。
 電話を切って、考える。味方は来てくれる。ただ、俺と烏を見つけられなければ意味がない。どうやって烏に気取られずにこっちが見つける、もしくは向こうに見つけてもらうか。
「……」
 ……一つ。条件がそろえば、確実に出会える方法を思いついた。ただ、とんでもなく難しい条件だらけだ。悪運続きの俺に、その条件をクリアできるか分からない。だけど、賭けてみる価値はある。っていうか、他にできることない。
 俺はもう一度、支部に電話を繋いだ。今度はワンコールで出る。いい子だわ新人さん。
 俺は、ある人物が俺の救助に加わっているか訊いた。返事は、YES。よし、第一関門クリア。早く上がったはずなのに何故俺の救援に加わっているのかは疑問だけれど、おそらく人手不足を理由に呼び出されたのだろう。「今どの辺りにいるか訊いて連絡してくれ」と言って一旦電話を切る。三分もしないうちに携帯電話が震え出した。応じると、どうやら大通りから二ブロック進んだ道で捜索中らしい。ここは……通りから五ブロック。いけるか? 多分、大丈夫。第二関門ギリクリア。
 俺も現在の大体の位置を教え、伝えるように言ってから電話を切る。さあ、最終関門どんと来い。運任せもいいところな神頼み。いや、彼頼み。現実に存在する者を対象に願うだけ、まだ現実味はあるけれど、それでも奇跡と言うより他にない。
 さあ、聞き届けてくれたまえ。
 俺はここだぞ、保志君。


 俺はここにいる。俺はここにいる。俺はここにいる。
 まるで思春期真っ只中な恥ずかしい台詞を強く強く念じながら、俺は再度追いかけっこに興じていた。あの日除けの下で待ち続けるのが一番安全かもしれないけれど、俺捜索隊が俺を見つける前に烏に出くわし、仮にも全滅させられては元も子もない。「ミイラ取りがミイラになる」は他人事で十分。そんなわけで、俺は自ら烏をおびき寄せるための囮となった。少しずつ大通りに近づきながら、右往左往……じゃない、縦横無尽に、戦略的に駆け回っている。
 少し休んで回復したとはいえ、ただの人間様である俺の体力はかなり厳しかった。体力が棒状に表示されるならば、余裕で半分以上減っていることだろう。色がついていたら、黄色になっているはずだ。そろそろ赤くなってもおかしくない。どっかに回復アイテムないかなー。ほら、だってマラソンだって途中で水分補給するでしょ。誰か、テーブルの上に特製スポドリ置いといてくれてないかな。バナナでもいい。
「!」
 道を曲がったところで、烏が前方に見えた。後ろをちらっと見たところ、いつの間にか追ってくる烏の数が半分ほどに減っている。二手に分かれて挟み撃ち作戦らしい。そういや烏は、人間には聞こえない「声」で会話ができるんだっけ? それで話し合って作戦を練ったのだろう。増援でないだけマシだけど、なかなかにピンチだ。
 でもまあ、諦めるわけにはいかない。諦めたら試合終了、ならぬ人生終了なのである。
 ざっと地形把握。前方の烏との正面衝突を避けられる脇道は、ない。道がないわけではないけれど、細すぎて逆に追い込まれる。あとは、抜けると大通り一歩手前に出てしまう道しかない。選択肢はない、直進続行。
 迫る烏。数は前に三、後ろに二。数が少ないからって侮れない。彼らには攻撃する術があり、俺にはそれを防ぐ術がないのだ。そして案の定、前の奴らは魔術を発動する構えを取る。羽根で足止めをして、後ろの奴らが取っ捕まえる作戦かな。
 ここまで逃げている間に思ったが、彼らは俺を殺したいわけじゃない。俺からクロたんとナミの情報を聞きたいだけなのだ。いや、こめかみ擦過するような恐ろしい攻撃を何度も受けましたけど。殺意感じましたけど。髪の毛数本昇天しましたけど……とにかく俺の命が欲しいわけじゃない。俺がどんだけ無茶をしても、死ぬことはないだろう。
「ていうか、俺にはもうそれ以外の方法ねーしなぁ……!」
 要するに、今の俺にできることは、烏に挟まれようが羽根を発射されようが、猪突猛進しかないわけです。うーん、青春。沈みかけた夕日も、いい具合に青春を感じさせてくれる。今日はちょっと若返ったような出来事が多かったし、フィナーレにはもってこいだ。人生のフィナーレじゃないよ? 今日という厄日のフィナーレだよ?
 少しだけ走るスピードを緩めて、タイミングを計る。それを疲れと見たのか、後ろから聞こえる羽ばたきが強くなった。前方の烏も、こちらに両手をかざして羽根発射体勢を整える。彼らとの距離を見計らって……。
 隙あり。
「――っ!!」
 今日一番の全力疾走。スプリンターじゃないんだけど、スタートダッシュには定評があった元陸上部員の走りを見よ!
 突然の速度上昇に、後ろから聞こえていた規則的な羽ばたきの音が崩れた。前方も、いきなり距離を詰められたことに動揺する。すぐに体勢を整えたけれど、それで十分。タイミングがずれたなら、彼らを突破できる可能性は一気に上がる。
 こちらに向けられた手の平に光の円が出てきて、そこから羽根が発射される。今までのように、一枚二枚なんてもんじゃない。絶対に止めようとする意思を感じる、十枚二十枚以上。だけど止まらない。止まれない。突撃。
 その代償が、体に一気に突き刺さる。
「……!」
 何が何だか分からないまま、反射神経だけで体を動かす。走る勢いのまま、烏の足元に思いっきり飛び込み、手をついてそのまま前転。更にもう一回、背をつけない前転をかまして、伸ばしきった腕の力で地面を押し、ジャンプ。空中で体を捻り、半回転して着地。足を滑らせて衝撃を逃がすのは忘れない。
「いって……うわ、やられたね」
 華麗なる一連の動き。……だけど、そこから意識が介入したため、全身の痛みがぎゃーぎゃー騒ぎ始めた。体を見下ろすと、もう布地や神経が通っていない部分だけの傷だけでは済まなくなっていた。両腕両足、胴体から出血。それもかなり。この後すぐに立って走ろうと思っていたけど、無理だ。着地体勢から動けない。烏の力量を見誤った。体力も気力ももう限界突破。その場に座り込みたいくらいだ。それをしないのは、烏に対して抵抗の意思とはったりをかますため。それと、俺の意地。
 まだ終わってはいない。少なくとも、俺が勝手に終わらせるわけにはいかない。
「やっと、止まったな」
 こちらに向かってくるのは、嗅覚が鋭い烏ちゃんだった。さすがに息一つ上がっていない。代わりに、すっごく顔が怖い。
「女の子は笑ってるほうが可愛いと思うんだけどねー……」
 軽口には取り合ってもらえず、彼女は俺の胸倉を思いっきり掴んで立ち上がらせた。女子とこんなシチュエーションになるとは。ていうか、こんなヤバイ状況でも軽口を叩く自分に呆れる。と同時に許容する。まあしょうがないよね、これが俺のアイデンティティ。むしろどんなときでも自分を忘れない、これ大事なことでしょ。
「お前、クロウとナミの居場所を知っているのか? 今ここで、過激派団体のことと一緒に全て吐け。隠しても無駄だ」
「うーん……俺烏対策部だから、日々たくさんの烏に会ってるんで……名前まではちょっと分からないんだけど? ていうか痛い。手放してくれると、お兄さん嬉しい」
「だとしても、二人の匂いが強い。どういうことだ。答えろ」
「あ、ちょ苦しい苦しい! 呼吸困難じゃ喋るのもままならないんですけど!?」
「知るか! さっさと答えろ! 答えれば放してやる!」
 この会話の間に、他の烏に囲まれていた。うーん、これはもう突破する術が思いつかない。だけどこのまま黙秘権行使し続けたら、俺窒息死する。状況を打破するための酸素も体力も知恵も欠乏。詰んだ。
 でも、それってここにいるのが、俺一人の場合であって。
 こん。と、何かがぶつかる音がした。後ろからだ。烏たちもそれを見やる。女の子も気を取られて、胸倉掴む手が少し緩んだので、苦しい中首をひねって見る。
 道路に転がってる、あれは……。
「げっ」
 瞬時に理解して、それに背を向け目を硬く閉じる。その一瞬後、瞼を焼く閃光。
 本日何度目かの、閃光手榴弾だ。
 光はすぐに収まる。胸倉掴んでいた烏ちゃんの声に、目を開けて烏たちを見てみるが、思ったほど光にやられている奴は少なかった。俺が投げまくったから、形や効果を把握していたんだろう。
 そこに、足音が近づいてくる。希求した声と共に。
「……手間かけさせるな、本当に」
 俺は、成功条件が厳しすぎる作戦を、見事成功させたことを知った。
「うおおおお保志くぅうううううううううん!!」
「離れろ気色悪い」
「おぶっ」
 保志君の声を聞いた途端に俺のあらゆるゲージが回復して、烏包囲網をかいくぐり保志君に突撃。したら、抱きつく前に裏拳で弾き飛ばされた。そんな!
「ひ、ひどいぜ保志君! 俺めっちゃ頑張ったのに、怪我してんのに!!」
「お前の怪我とかどうでもいいから黙ってろ話の邪魔」
 おお、今日お初の視線だからか、冷たさが三割り増しに見えるよ。
 保志君は、手にもう一つ手榴弾を持っていた。ピンを抜いていないそれを軽く弄びながら、烏たちに言った。
「烏対策部だ。うちの職員及び一般市民を、これ以上危険に晒さないでくれ。このまま帰ってくれたら、こちらも手は出さない」
「何を偉そうに……お前一人で何が」
 女の子が噛み付くけれど、保志君が冷静な態度を崩すはずもない。むしろ冷酷なほどに。
 後ろから複数の足音が聞こえてきた。保志君と一緒に俺を探してくれていた支部職員の数名だろう。……あれ? 何で保志君だけこんなに早く俺のとこに来たの? 愛? ねえこれって愛だよね?
「一人じゃない。全員、実銃を装備した職員だ。麻酔銃なしで撃つ許可も出ている」
「……」
 麻酔銃なら怖くないのかもしれないけれど、実銃は命に関わる。もちろん烏の魔術で防御することは容易いだろう。でも、そこまでしてくる本気に、烏たちは怯んだ。
 だけど、そこで止める保志君じゃない。軽く投げ上げた手榴弾を、ぱしんと掴み取る。
「あと、閃光手榴弾はさっきので最後だ。残っているのは普通の手榴弾。要するに殺傷能力のあるものだ。近隣住民は既に避難している。……賢明な判断を期待するよ」
「……っ」
 烏たちは顔を見合わせた。うーん、さすが保志君。今持ってるのも閃光手榴弾なのに。俺らみたいなただの公務員が、殺傷能力ある爆弾なんて使えるはずがない。でも、真顔でそういうこと言うから怖いんだよね。そこに烏たちの知識不足が加わり、嘘が現実にすり替わる。
「……くそっ!」
 女の子がそう吐き捨てると、踵を返した。周りの烏もそれに応じ、翼を羽ばたかせて飛び立つ。ばさり、ばさりと今日BGMのように聞き続けていた音がゆっくり遠ざかっていった。同時に、俺の緊張の糸も、ぷっつん。
「あー疲れた……、あ?」
 何事も無かったかのように明るく言おうとしたら、いきなり足の力が抜けた。その場に座り込む。咄嗟に地面についた手から痛みが走って、支えにならずそのまま道路に仰向けに転がる。
 そんな俺に呆れてんのか、それともガチ心配しているのか、よく分からない顔の保志君が俺の傍らにしゃがみ込む。
「……大丈夫か、お前」
「あはは。いやね、俺も寄る年波には勝てねーなぁと」
「そうじゃなくて」
「ん?」
 他の職員たちが駆け寄ってきて、俺の怪我の具合を見た後、救急車の手配を始めた。そこまで大事にしなくていいのに、とは思ったけれど、今は自力じゃ動けそうにないので、甘えておくことにした。
 そんなことより保志君の、こう……すごく複雑そうな顔が気になって仕方ない。何か言おうとしてるけど、言いたくないみたいな戸惑いも感じる。現に、保志君は僅かに目線をそらして、口を開こうとしない。
「何? 保志君が俺に対して言葉を濁らせるなんて、珍しすぎるわ。だから今日の俺、運悪かったんじゃね? 絶対そうでしょ」
「……親父さんと、何かあったんだろ」
「……」
 保志君が何言ってんのか、一瞬分からなかった。でもすぐに理解して、思考が回る。あーそうか、俺が期待した最終手段の副産物っていうか、弊害っていうか、そういうやつね。
「気付いちゃった?」
「気付いたというか、見えたというか」
 ああ、こりゃ保志君ガチ心配してるわ、俺のこと。一年に二回見られればラッキーなやつです。
 保志君は、俺と家族のいざこざを知っている、数少ない存在だ。そのせいで俺が荒れていたのも知っているから、余計心配かけちゃってんのかも。
 でもね保志君。俺の家族のことは、些細な問題なのサ。
「あっはっは! んなこた別にいーの! 俺があいつを説き伏せられねーのが悪いんだし、昨日今日始まった因果じゃないし!」
「だが」
「そんなことより」
 何か続けたそうにしていた保志君を遮る。
 俺のこと心配しすぎて忘れてるみたいだけど、保志君。これは滅茶苦茶ピンチなのですよ?
「俺のせいで、クロたんとナミの居場所に大体の見当をつけられた。これから捜索の目が厳しくなるはずだ」
「……」
 周りに聞こえないよう声を潜めて言うと、保志君は「ああ、なるほど」な顔をした。やっぱり忘れてたねこのやろー。そんだけ俺を気遣ってくれたのは嬉しいけど!
「だから、二人に気をつけるように言っておいてよ。俺の怪我に関しては、別に言わなくていいから」
「……分かった」
 そう呟いた保志君は、ふと何かに気づいたように顔を上げた。どうしたんだ、と思っていたら、俺の腕を自分の肩にかけて俺の上半身を起こした。
「どしたの保志君?」
「俺は今日早番だったが、お前に用があって支部に戻った。そこでお前の捜索に駆り出されたんだが、お前への用事を今思い出した。よって決行する」
 言うなり腕まくりをする保志君。え? え? 何この不穏な感じ!?
「あの、保志君? 言っとくけど俺、怪我人よ? いつもみたいに攻撃の軌道予測はできるけど、回避はできないのよ分かってる!? 腕まくり止めて! こっち睨まないで!!」
「ナミに変なこと吹き込みやがって……!」
「ぎゃー!! 全然意味分かんないし口調! 口調が漆黒モード入ってますけど保志君ー!? 誰か助けてー!!」
 叫んでみるけど、職員は苦笑しつつ見守るばかり。いや、この保志君を止めようなんて自殺行為なのは分かるけどさ! 怪我人殴ろうとしてる奴は止めようよ!?
 あと一歩で殴られる、ってところで、サイレンが聞こえてきた。救急車だ。うーん、やっぱり大袈裟な気がするけど、来ちゃったからには仕方ない。視線を戻すと、保志君は殴る体勢を解いていて、何事もなかったかのように救急車にサインを出していた。ひゅう、危ない危ない。
 保志君がまたも俺の腕を肩に回し、俺を立たせる。痛みはあるけれど、少し休憩できた分体力が戻ったので、支えられれば何とか歩けそうだ。別の職員が反対側を支え、救急車へ歩いて行く。歩きながらその職員が、「近くを捜索していたら保志君がいきなり走り出して、追いかけていったら俺を見つけた」という経緯を教えてくれた。やっぱり俺の作戦は成功していたらしい。
「いやあ、とりあえずサンキュー保志君」
「お前が全快したら、全力で殴ってやる。治療に専念しろよ」
「いーやーだー!!」
 素直にお礼言ったのに、この反応だよ。でも保志君は笑っていたから、単純に照れくさいだけなんだと脳内補完。愛い奴め。


 優しくて強い君が一緒だから、俺は未来を決して諦めたりしないんだ。

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