2020年10月8日木曜日

【創作小説】レイヴンズ13

 

雨の夜、男は少女を助けた。
彼女が人間ではないと知りながら。
(全25話)


(大丈夫なのかしら……)


(大丈夫なのかしら……)


 千切れ雲がゆったり流れる、青空の下。
 私は村正と共に、居候している保志弘のアパートから程近い公園のベンチに座っている。今日は人間社会における休日、仕事や学業のない日と定義づけられているらしく、まだ昼前なのに家族連れが多くいた。子供らが砂場やらブランコやらで遊ぶのを、親が談笑しながら優しく見つめている。
「さぁーてクロたん! 元気に作戦遂行しようじゃないか!」
「え、ええ……」
 そんな中、ベンチ一つ陣取って大声を上げる村正と私は、彼らにどのように映っているのだろうか。砂場で遊んでいる子供が、ちらちらこちらを見ている。親たちなんかは隠そうともせず、私たちを見ながらひそひそと何事か言い合っている。決して居心地のいいものではない。
「ねえ村正……他に場所はなかったの? 私は烏の特徴そのままだし、ここ……空から烏に見つかるかもしれない」
 村正に小声で提案する。白日の下では、私が持つ烏特有の黒髪黒目が丸見え。人々には通報されたら困るし、烏には見つかったら困る。
 しかし村正は、私の言葉を「あっはっは」と笑い飛ばす。
「そーいうことは気にしなくてOK! こんだけ人間いたら、烏も迂闊には近寄らないって。それよりクロたんは、久々の太陽をしっかり全身で受け止めて、生物としていろいろ大事なものを取り戻すべきだよ!」
 ……そういえば、私は倒れているところを保志弘に救われてから、一度もあの部屋を出ていない。あの部屋にいることが当然で、必要なことだと思っていたから、すっかり忘れていた。
 意識すると、太陽の光が暖かく感じられる。部屋の中で、窓越しに受け取るそれとは全然違う。
「……もしかして村正、外に出たのは、そのため?」
 部屋に閉じこもっている私の身を案じてのことなのか。自意識過剰は承知の上でそう思って問いただすが、村正は首をかくんと傾げた。
「いや? 仲良くない同士で話し合うには、話さなければならない状況を作ってあげるのが一番でしょ? 保志君とナミじゃあ「一緒に外出ようか」って言うの無理だろうなーって思って、俺が強引にクロたんを連れ出したの。ここしばらく部屋を出てないクロたんに太陽光のプレゼント、は副産物」
 そうだ、私たちの今日の目標、村正曰く作戦は、「あまり親交のない者同士で親睦を深める」こと。私が親睦を深める相手は、この那字路村正。
 私を助けてくれて、何かと世話をしてくれている保志弘のことは、それなりに理解しているつもりだ。ナミについても、烏社会で長く付き合っているから、大体のことは分かる。
 けれど、彼らの友人である村正のことは、実はよく分かっていない。とても社交的で、明るくて、保志弘によく虐げられている。その程度の知識しかない。もちろん彼のことを信じていないと言えば嘘になるけれど、彼が何を考えて、私たちに関わってくれているのかを、知っておくべきだと思った。
「それで、村正。私たちはこれからどうするの?」
 「親睦を深める」なんて言われても、膝を突き合わせて話す、くらいしか思いつかない。なので、人と仲良くなることに長けていそうな村正に全権を委託した。
 すると村正は、ぐっと拳を作って自信たっぷりに。
「そりゃーもちろん、喋る!」
「……それだけ?」
「喋って喋って喋り倒す! 人と人が分かり合うにはコミュニケーションしかないのサ!」
「大雑把すぎない……? ほら、話す内容も大事だと思うわ」
「うん、確かにそーだねー。「仲良くしよう」つって債務相談とかするもんじゃないしねー」
 よく分からないたとえだけれど、納得はしてくれたらしい。
「じゃークロたん、俺に訊きたいこととかない?」
「村正に訊きたいこと?」
 村正はぱっと腕を開いた。質問受付中アピールだろうか。
「うんうん。保志君への愚痴でもいいよー? あ、いや、でも聞かれるかなー……まあ難しく考えないでさ! 言いたいこと、知りたいこと、なんでも俺にぶつけてご覧! 保志君に遠慮しても、俺には遠慮する必要なしだから!」
「そうね、村正に遠慮は不要ね」
「微妙に引っかかるが気にしない!」
 ちょっと涙目のような気がするけど、「難しく考えないで」いいかしら。
 さて、質問……言いたいこと……。
「……えっと……そうね、まず……村正と保志弘が、何故あんなに仲がいいか、知りたい……かしら……」
「おおっ! よくぞ訊いてくれましたっ!!」
 いきなり本題に入るのも何なので、当たり障りはないけれど気になっていたことを口にすると、手を叩いて喜ばれた。そんなに喜ぶ?
「何故、ね。何故かって問われたら、俺と保志君の考えが共振したから、だね」
「考えって、烏に対しての?」
「そゆこと」
 二人は人間でありながら、烏に対して敵愾心を抱いていない。ほとんどの人間は、たとえ自分や身内などが烏による被害を受けていなくても、そうされる可能性がある存在として、あるいは社会の風潮として、烏を嫌うものなのに。
 どうして、烏を嫌いにならないのだろう。その考えは、どこから生まれたのだろう。
「俺と保志君はさ、小学校のときから知り合いなんだ。あ、人間の学校の仕組みはわかる?」
「大体。一つの学校を卒業したら、より上位の学校に進むのよね」
「そ。俺らは一番最初の学校から、中学校、高校と一緒の学校に進んだんだ。そんだけ一緒にいれば、普通に仲良しさんにはなれるんだけどさ。中学校の時……」
 村正はそこまで喋って、口を閉ざした。ぶんぶん頭を振って、小さく呟く。
「あっぶね」
「どうしたの? 何か、悪いことを訊いたかしら」
「いーや、クロたんのせいじゃない。つい口が滑りそうになっただけー」
 真剣に狼狽している村正は、なんだか珍しい。いったい何を言いそうになっていたのだろう。気になったけれど、言いたくない以上踏み込むつもりはない。
「あ、中学の話ね。中学んときに、まー俺の方にいろいろあってさ。保志君に悩みを打ち明けたり、いろいろ話をしたら分かり合っちゃったのサ」
「いろいろ……」
 そこに複雑なものを感じ取って、思わず反芻した。すると、村正はその反芻を疑問と読み取ったらしく、少し困ったように笑う。いつもの、不機嫌など別次元の存在だといわんばかりの笑顔とは全く違った。
「そこ気になっちゃう? まー思わせぶりに言ったのは俺なんだけど」
「いえ、そういう意味じゃ」
「こんな状況になった以上、俺がどうしてこの立場なのか、言っておく必要はあると思うんだよね。より信じてもらうために」
 慌てて手を振ったが、村正はどうやら話す気でいるらしい。それに、村正の言い分は納得できた。
 信じてもらうために、自分を明かすということ。
 私は村正のことを知らない。だから、どこか距離感があったような気がする。それは単純に交流が足りないからというだけではなくて、信頼しきれていない、というのがあったのかもしれない。私は村正をもっと信頼したいと思う。結局これは、私が本当に知りたかったことに繋がるのだし、断る理由はない。
「……分かった。教えて」
「まっかせなさい!」
 胸を叩き、村正は話し始めた。
「俺の家、ああ実家ね? 那字路家はとっても真面目に「人間」やっててさ、「烏は根絶しちまえ」って過激派なんだ。そういう環境だったから、俺も小学校、中学校序盤くらいまでそう思ってた。自前の黒髪黒目も、一刻も早くどうにかしたいって思ってた。中学じゃ、髪染めるの禁止されてたんだよね。破ってる奴いくらでもいたけど」
 村正がつまんで見せた髪は漆黒。烏と同じ色。
「なんだけどさ、ターニングポイントがふらりと現れたわけですよ。偶然の出来事だった。烏にばったり会って、そいつと仲良くなったんだ。ナミじゃないよ、ナミと出会うのはもっと後。
 いい奴でさ、食い物探す役だったんだけど、人間を傷つけたりはしなかった。毎晩この公園で待ち合わせて、いろいろ話したなー。いやー懐かしいね! ちょっぴり恥ずかしながらも甘酸っぱい青春ってやつが俺にもあったんだよね!」
 額に手を当てて天を仰ぐ。その憂いのない表情から、思い出は良いものであるらしい。けれど、それでは話を始めたときの苦い笑みの意味が分からなくなる。
 ……よくないことが、その後で起こったのだ。
「けどまあ必然だったよね。毎晩毎晩家を抜け出す俺を不審がった親に後をつけられて、見つかった。もうそん時には、俺は「烏は害のない奴もいるんだ」ってわかってて、そいつは「害のない奴」って認識してたから、必死に親に抵抗したんだけど、駄目だった」
 駄目だった結果どうなったのか……なんて、訊けない。
「……それで、村正はどうしたの?」
「うん。親に従うだけじゃ駄目だって気づいたから、引っ越して親と距離とって、確固たる自分の意見を持とう! と決めた!」
「……曖昧すぎない?」
 正直な反応を示すと、村正は苦笑した。
「あっはは! そりゃそーなんだけどさ、中学生にできることなんてたかが知れてるって! とにかく、過激派の世界から距離を置くことが大切だって考えたわけ。で、そんな話を保志君にしたら、理解してくれたんだ。……そっから、普通の友達も親友も飛び越えて、戦友みたいなもんになったってわけ。どう? 俺と保志君のラブラブメモリーは分かった?」
「ラブラブメモリーはともかく、村正と保志弘が仲良くなった経緯はわかった。あと、村正がなぜ烏を嫌わないのかも」
「正確には「何故クロたんやナミを嫌わないのか」だけどね。気性の荒い烏だっているから、そういう奴らを同じように大切にするのは、さすがに難しい」
「それが普通よ。烏全てに優しくしてほしいなんて、私でも言えない」
 無条件に愛される方が逆に怖い。その点に関して、村正は「人間」らしくて安心する。烏の博愛を謳う人間を昔見たことがあるけれど、裏がありそうで「信じよう」などという気は起きなかった。
「……村正のこと、少しわかった」
「大絶賛信頼していただいて結構よ?」
「ええ。保志弘の次に信用する」
「あ。やっぱ保志君には負けるか」
 保志弘に関しては、最初に助けてくれた行動と、長く共にいた時間が彼を信頼させる材料になっているから。ごめんなさい村正。でも僅差よ。
 ……話題は区切りを迎えてしまった。何も話すことが見つからずに黙っていると、村正がひょこりと私の顔を覗き込んできた。
「よっし、じゃあ次は俺からクロたんに訊きたいことがあんだけど、いい?」
「? ええ」
 村正は私の問いに誠意で答えてくれたのだから、私もそれに応じるべきよね。そうしないと公平じゃない。けれど、村正が私に訊きたいことって何かしら。
「何?」
「クロたんから見た保志君って、どんな人?」
「……私の見解、ってこと?」
 保志弘について詳しい村正が、何故そんなことを訊くのだろう。保志弘のことを知りたい、って意味じゃないのは確かだけれど、意図が掴めない。でも村正は、それ以上補足をしてくれなかった。
 とりあえず、素直に答えることにする。
「えっと……保志弘は……変な人?」
「一言でざっくり言ったね! 同意するけど」
 同意するの? 友人なのに。
「悪い人ではない……と思う。私にとっては命の恩人だもの。でも、人間として見ると、とても変な人だと思うわ。自分の損得を度外視している気がする」
「……そっか。っはは、保志君はポーカーフェイスに見えて案外見破られるなぁー!」
 頭の後ろで手を組んで、村正はけらけら笑った。私の認識は、村正のそれから大きく外れているというわけではないらしい。
「損得の度外視、ね。なるほど、言い得て妙だ。確かに保志君は、損得で烏と渡り合ってんじゃない」
「村正も、でしょう」
「そりゃそうなんだけどね? でも俺と保志君は、少しばかり事情が違う。俺はそうしたいからするけれど、保志君にはそんな気負いさえないんだよ。息をするように自然なことなのサ」
 村正は小さく笑った。そして呟く。
「保志君にとって、烏と人を平等に見ることは、存在の確立でもあるから」
「?」
 その意味がよく分からなくて問いただそうとしたけれど、それより早く村正が立ち上がった。
「よっし! そろそろ保志君とナミが仲良くなってる頃でしょ! 帰ろうか、クロたん!」
 私に向かって手を差し出してきた。爽やかな笑顔は見慣れたもの。見慣れてはいけなかったような気がするけれど、もう見慣れてしまった。
「もう、作戦終了でいいの? 確かに私は村正のことを少し分かったけれど、村正は……」
「え? 別にいいよそんなの。俺はクロたんに理解してもらえればよかった。俺は何も訊かなくたってクロたんのこと信じてるし! それに、保志君に対する感想から、クロたんが保志君をしっかり見て評価してくれていることも分かったから、収穫たっぷり大収穫祭ってとこだ!」
 差し出された手を見つめる。彼がこうして、烏である私に手を伸ばしてくれることの幸福。
 私は手を取った。その手に引かれて立ち上がり、帰る。
 そう、帰るのだ。人間の社会の中に、私の「帰る場所」がある。私は烏だから、帰るべきは烏の住処のはずなのに。
 私が今帰るべき場所は。


 きっと、保志弘の元なのだろう。


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