2020年10月8日木曜日

【創作小説】レイヴンズ14


雨の夜、男は少女を助けた。
彼女が人間ではないと知りながら。
(全25話)


(どうしちゃったんだろう、私……)


(どうしちゃったんだろう、私……)


「玲於奈ー、今日放課後空いてるー?」
 六時間目が終了し、帰る為に荷物をまとめていると、クラスメイトにして数少ない友人、国間マルがそう訊いてきた。
「バイトはない、と思うけど」
 緊急の呼び出しがあったら、そちらを優先しなければならない……とまでは言わなかった。マルは、私が烏対策部支部で働いているなんて知らないからだ。厳密にはバイトじゃないのだけれど、便宜上そう伝えている。多分、その辺のコンビニか飲食店かでバイトをしているとでも思っているのだろう。「バイトをしている」と明かした際「あんたみたいな無愛想が接客とか無理でしょー!」と大声で言っていたから。確かに私は無愛想だと自覚があるので、その意見に文句はなかったが、複雑。
 それより、と私は既に鞄を肩にかけて学校を去る気満々のマルを睨んだ。
「あんたこそ部活はどうしたのよ」
「ぎくっ」
 ……今時「ぎくっ」て口で言う人いる?
 マルは漫画のキャラクターのように、あたふたと慌て始めた。
「い、いや、勿論手芸部は絶賛活動中ですよ? トゥデイもエブリバディーがナイスな作品作るために集っていますとも!」
「じゃあ何でその集いに手芸部員のあんたがいないのよ」
「えっとーえっとーえっとですねー、課題がガチヤバと言いますか、成績がしんどいといいますか、明日の小テストに人生賭けてるといいますか、甘いもの食べたいといいますか、遊びたいような気もします!」
 意味不明な単語を並べ立てた挙句、敬礼した。全く理解不能だけれど、一応推察してみよう。……成績がやばいので明日の小テストは落とせない、その為には課題をしないといけないので部活を休むことにした、しかし遊びたい。
「勉強しなよ」
 率直な意見が口から飛び出した。が、マルはへらりと笑う。
「人間、勉強ばっかしてちゃいけないのだな。貫徹前に現世を味わっておきたいのだ!」
「究極の駄目人間か」
「ああーん見捨てないでー!」
 縋り付いてくるマルを振り払う。テスト前に幾度と無く聞かされる彼女の持論には、正直ついていけない。成績やばいなら真面目に勉強すりゃいいのに、授業中はよだれたらして寝てるか流行りの小説読んでるか早弁してるかだから、そういうことになるのだ。せめて学校でだけでもちゃんとしていれば、多少遊びまわってもいい成績とれると思うのに。
 自分の鞄に荷物をつめ終わり、チャックを閉める。そこで習慣として、携帯電話の存在を思い出した。
「マル、その辺に先生いる?」
「んー? 多分いないよ」
 確認してから、制服のスカートについているポケットの中の携帯電話を取り出す。この高校は、携帯電話は基本持込禁止。そんな決まりを律儀に守っている生徒はそういないけど、見つかったら没収確定なので、携帯電話の所持には誰もが気を払っている。女子は大抵、ブレザーのポケットよりも見えづらく、男性教師がそう簡単に追求できないスカートのポケットに携帯電話を押し込んでいた。大層なストラップをつけている女子はそれでも隠しきれていないけど、私の携帯電話は最低限のストラップしかついていないので、今日も隠し通せている。
 取り出したる二つ折りの携帯電話。サブディスプレイには、着信の表示。
「およ、メール? 誰から?」
 マルがひょっこり覗き込んできた。ちょい邪魔。
 携帯電話、オープン。プリセットの壁紙の手前に「メール着信あり」と表示されている。メールボックスを開くと、未開封のメールの差出人は「村正先輩」とある。
「村正先輩って誰? この学校にそんな人いた?」
「違う、バイト先の先輩」
 件名は「今日の午後について」。おちゃらけた性格のくせに、メールの件名は絶対に忘れないところは、社会人らしいというか何と言うか。そういえばあの人、社会人なんだよね。遊びまわる自由人みたいな雰囲気漂わせてるけど、定職見つけちゃってるし。
 メールを開く。「今日の午後、何もなかったら買いたいものがあるので少し付き合って欲しい」といった文面だった。いつもの村正先輩らしくない、ちょっと丁寧な言い回しだったけれど、頼み事だからそういう文面にしたのかな。
「……マル、ごめん。先輩からの頼みとあっては断れない」
「まーそーだよねー。うんうん、別に良いよ! また別の日にしよ!」
 私が先に応じたのはマルからの誘いだから、勿論申し訳ないと思ってはいるけれど、もしかしたらこれでよかったのかもしれない。速やかにマルを家に帰し、勉強させることができる。
「じゃー今日は一人で商店街をぶらつきますか! 目指すはお肉屋さんの揚げたてほくほくコロッケだ!」
 ……駄目か。期待した私が馬鹿だった。
 メールは昼ごろに既に到着していたようだけれど、私は全く気づかなかった。了解の旨と、何をするのか問う文章を作成し、送信。
 よし、とりあえず学校出るか、と鞄を持ち上げたところで、スカートのポケットが震えだした。
「っきゃ!!」
「どうした玲於奈、可愛い悲鳴上げてー」
「う、うっさい!」
 慌てながら、鞄を机に置き直して携帯電話を今一度手に取る。村正先輩からの電話だ。メールでの返信が面倒くさくなったのだろうか。応対する前に、電話の現場を教師に見つかってはまずいので、マルに見張りを頼む。
「マル、電話取るから先生来ないか確認しといて」
「りょーかーい!」
 ぴしっと敬礼し、廊下に面した窓から体を乗り出して辺りを見回す。逆に目立ってないか心配だけれど、先輩を待たせる訳にもいかない。とにかく通話ボタンを押し、携帯電話を耳に当てる。
「もしもし、黄橋です」
『あ、玲於奈? 悪い、白江だ』
「はああああ!?」
 思わず叫んだ。マルもびくっと肩を震わせこっちを見た。
「どど、どうした玲於奈!? 何があった!?」
「い、いや、何でもないけど、あ、ああああああの!?」
 慌てて携帯電話の画面を見る。うん、間違いなく見まごうことなく村正先輩からの着信だ。なのに先輩の声。どういうこと!?
『あー、やっぱり混乱させたか。悪い、ちゃんと説明するから、一旦落ち着こう』
「は、はいっ」
 とりあえず、胸に手を当てて深呼吸。……少しは、落ち着いた、かな。
「……よし、どうぞ先輩。事の経緯を説明してください」
『ああ。玲於奈に用事があるのは、俺の方なんだ。だが、玲於奈に連絡する手段がなくてな。携帯電話持ってないし』
「……そうでしたね」
 村正先輩から聞いた話だが、先輩はどういうわけか電子機器の扱いが苦手らしい。テレビも見ないしパソコンもしない。ラジオさえろくに聴かない。当然携帯電話なんて持っていない。
 ……ああ、なるほど。
「それで、村正先輩の携帯電話を借りた、というわけですね」
『ああ。あのメールを打つのに十分かけてしまった』
 文はたった一行、五十文字にも満たない短いものだったはずだが。
「……苦手ってレベル越えてますね先輩」
『褒め言葉として受け取っておくよ』
「一ミリも褒めていませんが、そう受け取りたければそうしてください。メールで返信したとおり、今日放課後は空いています。何を手伝えばいいんですか?」
『……詳しい説明をすると長くなるが、簡単に言うと買い物だ』
「買い物」
 先輩が私の協力を必要とする買い物って、なんだ。不審だけど、興味がある。
『玲於奈、まだ学校だよな?』
「はい、教室です。何処で落ち合いましょうか」
『ああ、今高校の校門前にいるんだ』
 案外近くにいる。内心びっくりだ。でもこの教室からは校門は見えない。ていうか先輩、私が通っている高校知ってたんだ。
「わかりました。すぐ行きます」
『別に急がなくていい』
「先輩を待たせるわけにはいきません。では後程。失礼します」
 返事を待たずに通話を切る。自分でも、礼節ある行動なのか無礼なのかよく分からない。
 携帯電話をしまい鞄を持つと、見張りを済ませにやにやしているマルと目が合った。
「……何?」
「いやー、普段クールな玲於奈にしちゃ珍しい反応だと思ってさー。さっきの、「村正先輩」じゃなかったみたいだけど」
「ああ、うん……もう一人の、別の先輩だった。あの人携帯電話持ってないから、村正先輩から借りたみたい」
 並んで教室を出る。廊下を進み、階段を下り、生徒玄関に向かう。道すがら、電話の内容をざっくりと説明した。
「……ふーむふむ。お二人でお買い物ってわけねー、男の先・輩・と!」
「何その区切り方」
「照れるな照れるな! いーじゃん楽しんでおいでよー! 私がコロッケ頬張ってほくほくしてる間に手つないで心がほくほくぐらいやってみせろリア充爆死!!」
「勝手に爆死させないで。あと変な誤解からの妄想やめて。先輩とはそんなんじゃないし、そもそも手をつなぐとか無理だし」
「やってみないとわかんないじゃん。つか、したいの?」
「んなわけないでしょ!!」
 下駄箱の扉を叩きつけるように閉めると、私はマルを置いてさっさと靴を履き玄関を出た。
 学校の外を走る、陸上部の掛け声が響いている。私は烏対策部でバイトをするために入部を諦めたけど、陸上部、ちょっとやってみたかった。
 校門の外側を駆け抜ける体操着の集団。その視線の大半が、向かって右側の校門の柱に集中している。柱の脇からちらっと見えている白いジャケットは、明らかに。
「……まあ、目立つよね」
 見慣れない大人が校門前にいたら、気になる気持ちは十分わかる。しかしそんな視線を一身に受ける先輩は困るだろう。先輩にこれ以上いたたまれない思いをさせるわけにはいかないから、陸上部が通り抜けた所を見計らって声をかけた。
「先輩」
「ん、ああ、玲於奈」
 振り向いた先輩。いつもと変わらない白ジャケットが眩しい。
「お待たせしてすみません」
「いいや、問題ない。ランニングする運動部を見ているのは楽しかった」
 あなたも見られていたのですが。いや、先輩は他人の目をあまり気にしない性質の人だから、その点に関しては問題ないのだろう。
「それで、買い物というのは?」
「ああ、それ」
「ふおおおおおおおお!!」
 先輩の言葉を断ち切る謎の声。いや、私にとっては全く謎じゃないけど。
 振り向くと、予想どおりマルがいた。目線を先輩にロックして後ろにのけぞっている。
「……どうしたの?」
「玲於奈! あんた、あんたこんなイケメン捕まえて何をしようとしてるんだあ!?」
「はあ……? 意味わかんない。落ち着きなさいよ」
 馬鹿を言い出したマルに一応言ってみるが、当然聞いてくれていない。早口でまくしたてる。
「この先輩はかなりレベル高いよ! 近所じゃ見たことない顔だけど半端じゃないよ! プレイボーイで有名な、我が校きっての美男子たるバスケ部部長を軽く飛び越えていくイケメンだよ! あんたいつの間にこんなすごい人狙ってたの!?」
「あんたが何考えてるか予想はつくけど、それ全部勝手な妄想だからね?」
「はああああ眩しい! これはきっと奇跡の出会い! 親友の淡い旅路の邪魔をする気はもちろんないけれど、けれども! 先輩さん、どうかあなたのお名前を教えてもらえませんか?」
 自分は名乗りもせずに名前訊きやがった。しかもやっぱり私の言葉を全く聞いてない。
 笑みを浮かべる先輩はいつもの通りのように見えるけど、何も言わないところを見るとかなり戸惑っているのだろう。マルの分もまとめて頭を下げる。
「えー……ごめんなさい。国間マルという私の友人です。全部聞き流していただいて結構です」
「国間さん、か。俺は白江だ。よろしく」
「んんんんイケメンは声帯から違う……!」
 この電波め。心で呟いてから、私は頭を上げた。こいつの相手をし続けていたら時間がなくなってしまう。さっさとこの場を離れて本題に入ろう。
「先輩、早く行きましょう。時間がなくなります」
「え、彼女はいいのか?」
「はい。マルは今日別の用事があるので。じゃあねマル、また明日。先輩行きましょう」
「ぐぬぬぬぬぬぬ、まさか生きていてこんなビジュアル応対オーラ全てにおいて二重丸のスーパーマンに出会うとは……っ!!」
 身悶える不審生徒マルにさらりと別れを告げ、先輩の腕をひっつかみ学校を離れる。先輩は一人謎の動きをとるマルを心配そうに見つめていたが、これが最善の策ですから我慢してください。心の中で呟く。
 買い物が目的なら、商店街へ向かえばいいだろうか。行き先も、何を買うかも聞いていないけれど、商店街なら大体のものは揃うから、とりあえずそこに行ってみよう。


「買い物をするならここがいいと思って、案内しましたが……」
 商店街の入口の看板を潜り抜けながら、買い物の詳細を問いただす。
「先輩、何を買うんですか? 私が必要になるような買い物って、検討がつかないのですが」
「うん……要するに、プレゼントだ」
「プレゼント?」
 先輩の説明によると、最近、とある事情で先輩の家に遠い親戚の女の子がやってきた。しばらく預かることになったのだけれど、彼女が人の目を気にしてなかなか外に出ない。というわけで、他人の目線を遮ることができる帽子などプレゼントしたら使ってくれないだろうか、と考えた。だけど、そういった物を他者に選んだ経験があまりなく、また女性の美的感覚やトレンドにも明るくないため、現役女子高生の私に白羽の矢が立った。
「玲於奈なら彼女と年齢も近い。君が頼りなんだ、頼む」
「……なるほど、わかりました。任せてください。人並みの感性はあると自負しています」
 男性が女性の服飾品を選ぶのは難しいだろう。せっかく先輩が仕事以外で私を頼ってくれたんだし、気合を入れてしっかりサポートしよう。
「じゃあまずは、お店ですね。確かこの先に、帽子の専門店があったはずです」
 ずんずん進んでいくと、目的の店が姿を現した。私はここで買い物をしたことはないけれど、マルや他の友達に付き添って、何度か足を運んだことがあった。
 さっそく入店。「いらっしゃいませー」とレジの方から声が飛んだ。それ以外の店員は見られない。穏やかなBGMが天井のスピーカーから流れていた。
「へえ……ここがいわゆる帽子屋……」
 先輩はどうやら、帽子のみを売る店に来ること自体が初めてらしい。興味深そうに店を見渡している。その目には、様々な種類の帽子が所狭しと映っていることだろう。私もそうだ。
 大きさ、材質、色、形……選ぶポイントはいくつかあるが、こんなにたくさんの種類がある中、どれを選べばいいやら。
「先輩、その子の外見的特徴は?」
「ん? ああ、そうか、そうだよな。写真でも用意すればよかった……」
 今思い出したのか! 遅すぎる!
 ツッコみそうになったが、店内なのでここは自重自重。時々この人天然なんだから……。
「えーと、黒髪に黒い目で、髪はこれくらいの長さだな」
 そう言って、先輩は肩より少し上の辺りを示す。結える長さではないから、どんな帽子でも問題なく被れそうだ。烏じみたその色彩は気になるけれど……日本人は黒髪黒目が多いからしょうがない。染める染めないも個人の勝手だ。かく言う私は染めている。烏に間違われるのは嫌だから。
 って、烏への恨み辛みをぐちぐち言ってる場合じゃない。帽子選びに戻ろう。
「あと、服装の趣味はどうですか? 好みの服とか、色とか」
「うーん……服の趣味は分からないが……」
「じゃあズボン派? スカート派?」
「それならいつもスカートだな」
「なるほど。ボーイッシュじゃない方がよさそうですね。色はどうですか?」
「好みの色は知らないが……黒かなあ……うーん……」
 このご時勢で黒を好む黒髪黒目とは、中々に芯がしっかりしているというか、気概のある女の子だ。「遠い親戚」とのことだが、その強さはどことなく先輩に通じるものがある気がする。世間の声など何処吹く風、といった雰囲気。
「分かりました。彼女、他に帽子は持っていないんですか?」
「滅多に外に出ないからな……実家にはあるかもしれないが、今は持っていない」
 残念。もし持っていたら参考にできたのに。だが悔やんでも仕方ない。先輩からも情報は得られたから、それを手がかりにしよう。
「少し難しいかもしれませんが、先輩の情報と記憶を頼りにして探していきましょう」
「ありがとう、玲於奈」
 微笑みと共に、先輩からストレートな感謝の言葉を伝えられた。ぐ、と言葉が詰まる。私はそういうのに慣れていないのに、先輩はさらっと言うから、調子が狂う。
「……それは、いい帽子が見つかってからお願いします」
「今のは「帽子選びを手伝ってくれてありがとう」という意味だ。いい帽子が見つかったら、その時には「見つけてくれてありがとう」の意味でもう一度言うことにするよ」
「そういうことなら、受け取っておきます」
 さあ、帽子選びを始めよう。先輩からもう一度感謝してもらえるのも、ご褒美としては悪くない。やる気が出てきた。先輩の期待に応えるぞ、おー。


「キャップは……ちょっとイメージと違いますよね」
「そうだな。玲於奈には似合うと思うが」
「私の話じゃないでしょう。もっと女の子らしいものか……」
「これはどうだ?」
「もう少し深くかぶれるものがいいんじゃないですか? 少し浅すぎる気がします」
「ああ、なるほど。賛成だ」
「ストローハット……は、ないですね」
「夏ってイメージしかないな、麦わら帽子には」
「……先輩、少し思考が古い気がします」
「俺も老いたな」
「遠い目でそんな切ないこと言わないでください。そもそも先輩そんなに老いてないでしょう」
「玲於奈の輝きが眩しいよ」
「先輩も帽子で光をシャットアウトしたらどうですか? これなんか」
「いい考えだが、サングラスの方が有効な気がしないか?」
「確かにそうですね。あ、これどうですか? サングラスつきの帽子……っぷぷ、変質者みたい……」
「くっ……そ、そう、だな……はははは」
「はっ!! 話が逸れました、真面目に帽子探しましょう」
「そうだった。悪い」
「いいえ、私もめいっぱい逸れました。……それにしても、やっぱり彼女がここにいたほうが選びやすかったですかね……」
「ごめん……なさい」
「何故敬語なんですか?」
「玲於奈は怒ると怖いから」
「私そんなに先輩の前で怒りました!? 絶対怖くないですから。間違いです、そんなの!」
「言ってる傍から怒ってるぞ、玲於奈」
「うっ、ち、違います! 怒ってません! ただ先輩の認識を訂正したいだけですから!」
「……玲於奈、すまん。また脱線した」
「……はい、こちらこそすみません。集中しましょう」
 他愛ない話で脱線しては指摘して当初の目的に立ち戻る。このセットを何度も繰り返しながら、帽子探しは進行した。
 そんな中よくよく考えてみると、先輩とは烏対策部での仕事の話以外、まともな話をしたことがない気がする。私の烏に対する感情とか憎悪とか、そういった深い話はしたけれど、日常的な話とか、好みの話とか、そういう当たり障りのない話をしたことないかも。
 私は先輩のこと、あんまり知らない気がする。
「玲於奈」
「はい!?」
 突然、先輩から声をかけられて慌てる。びっくりした……思考に集中してしまっていた。何かいい帽子でも見つかったのか、と思ったら。
「玲於奈は部活入っていないんだったよな?」
 何故か部活の話が始まった。
「……え? あ、そうですけど。それが?」
「やりたい部活とか、あったんじゃないか? その分の時間を支部での仕事に充ててもらっているからありがたいんだが、せっかくの青春がもったいないような気がして」
「ご心配には及びません。私は烏対策部での活動に青春の時を使っていること、決して後悔していませんから」
 それは胸を張って言えることだ。
 私は今、この時、烏と戦っていることを悔いたりしない。むしろ誇りだ。私のように、私の家族のように、苦しむ人を一人でも一家族でも減らせるのだから。
「そう簡単に捨てていいものじゃないです。今は」
「……そうか」
 先輩は穏やかな顔をしていた。ただ、手に持っている猫を模した黄色い帽子は即刻元の棚に戻していただきたい。絶対似合わないから。
「……でも、もし、入れるなら……陸上を」
「陸上? 走るの好きか?」
「はい」
 頷く。
「中学の時も、陸上をやっていて」
「へえ……種目は?」
「中距離とハードルです」
「ふうん……陸上はあまり詳しくないが、見てみたかったな」
 興味を持っていただけるのは嬉しいけれど、だからその手品師がかぶるようなシルクハットは元の棚に戻して。何でそんなものばっかり手にするの。
「別に面白いものじゃないです。そういう先輩は、何か部活をやっていました?」
 逆に問われた先輩は、少し驚いたようだった。
「俺? 中学は入ってなかったが、高校は……あー、なんだったか。所属は一応、天文部だったかな」
「て、天文? 意外です」
「部の存続の為に名前を貸した程度だ。時々参加した天体観測は、案外面白かったけどな。で、天文部は夜の星座観察が主だったから、普通の部活動の時間帯は、時々運動部の助っ人として試合とかしてた」
「運動部!! え、先輩が? 普段支部で書類整理しかしないミスター書類が!? な、何部の試合を……?」
 次々明らかにされる新事実に、声を荒げてしまう。その反応に、先輩は苦笑した。
「そんなに驚かれるとは……。バスケ、サッカー、バドミントン、テニス……うん、そのあたり」
「……全然、想像つかないです。先輩がその競技のユニフォームを纏って躍動する姿……全く見えない」
「そう言われると、見えなくてもいい気がする」
 帽子の話から相当離れてるなー手が止まってるなー段々日が暮れてきたなーと、いろいろ考えるところはあるけれど……何と言うか……嬉しかった。
 先輩に近づいた気がする。私の中の先輩像が、少しだけ現実に近づいた。それは理解だ。少しだけ先輩のことが、理解できた。きっと烏対策部ではできない、今帽子屋で二人きりで帽子選びをしているこの時だからこそ得た理解。それが嬉しい。
 話を修正するのは、もったいない気がするな。
 もっと先輩のことを、知りたいような。もっと先輩に、近づきたいような。
「……せ」
「玲於奈、これどうだ?」
 呼ぶことは叶わない。先輩が、私の前に一つの帽子を見せたからだ。黒地に紫で花の模様が描かれた、深めの帽子。ちゃんとつばも付いている。正直私も可愛いと思った。私の想像の中の少女に似合う、とも。
 ……けどこの先輩。妙に空気読めるなーって時があったかと思えば、突然ぶち壊すよね。もしかして空気読んだ結果壊してる? 
 でも、先輩を恨むのはお門違いだ。帽子探しが本来の目的なんだから。もっと先輩の話聞きたかったのに残念だけど。うん。次の機会があるさ。
「……」
「玲於奈?」
「い、いいえ。はい、私もそれ、いいと思います」
「そうか? 玲於奈のお墨付きがもらえるなら、これにしようかな。値段……うん、大丈夫」
 帽子をひっくり返して値札確認。なんだか主婦みたいで笑えた。そういえば、今は親戚の子がいるけれど、先輩は元々一人暮らしなんだよね。普段の昼食はコンビニ弁当だけれど、自炊とかするのかな。
 「買ってくる」と先輩は即決しレジに向かった。私は他に買いたいものもないので、店の出入り口付近に移動する。ディスプレイされている帽子はどれもこれも高そうだな、などとぼんやり考えていたら、先輩が袋を手に戻ってきた。特に包装してもらってはいないようだ。
「「プレゼント」って名目じゃないんですか?」
「渡してすぐに使ってもらえた方がいいかと思って。ごみが出るのも困るし」
「エコですね。……主婦みたいです」
「一人暮らしの男としては、誇らしい言葉だな」
 店を出る。「ありがとうございましたー」と店員の声。
 夕暮れの商店街はにぎわってきた。どこかにマルもいるのだろうか。……いや、いてもいなくてもいいけど。むしろいない方がいい。いたら多分、明日のテストで彼女のいろいろなものが終わってしまう。
 成績ギリギリな友人のことは忘れて、先輩に話しかける。先ほど湧いた疑問に答えてもらうためだ。
「先輩、自炊ってします?」
「どうしたいきなり? そりゃあ、できないと俺死んでるぞ。簡単なものばかりだが、一応は」
「そうですよね。いつもお昼がコンビニ弁当なので、苦手なのかなーと」
「それは……弁当作るのが面倒ってだけなんだ」
「朝は苦手ですか?」
「夜と比べたら、苦手だな。玲於奈はどうだ? 夜更かしとかしてるんじゃないのか?」
「そんなことはありません。朝は得意ですよ、私」
「玲於奈は目覚まし時計とか使わなくても、きっちり起きられそうだもんな」
「先輩は目覚まし時計使うんですか?」
「いや、使わない。というか使ったこと無いから、未だに原理が分からない」
「ですよね! 私も分かりません。あれってどうやって使うんですかね」
「通常の時間を刻みながらアラームの設定とか、どうやるんだろう」
「不思議ですよね」
「不思議だよなあ」
 並んで歩く夕暮れの道は、今までに無い色をしている気がして。
 すぐに訪れる終わりが切ない。
「……玲於奈、帰りはどっちだ?」
 商店街の入口を抜けたところで、先輩が訊いてきた。
「私は左です」
「俺は右だ。ここでお別れだな」
 私は左を、先輩は右を示す。図ったように分かれ道。
「今日はありがとうな。いい帽子が見つかってよかった。助かったよ」
 そういえば言っていたな、「いい帽子が見つかったら、それに対して「ありがとう」と言う」とか。私は確かにそれを受け取った。
「どういたしまして。結局先輩が見つけましたし、特に何もできなかったような気がしないでもないですが」
「そんなことはない。十分力になってくれた」
 微笑む先輩の言葉には、嘘というものが微塵も感じられない。いつでも本心のように聞こえる言葉。そんなことありえないのに。この人にだって、隠したいこと、隠していることはあるはずなのだ。それが、人間というものだ。
 でも、今日は先輩のいろいろなことを知れて、一歩二歩近づいた気がするから、なんだか先輩が少し……いつもと違うように見えるというか……優しさ三割増しみたいな……なんというか……格好いいような……。
 って何考えてるんだ私!! マルの電波でも受信してるのか!?
 頭に浮かんだ謎の感情を素早く振り払って、頭を下げた。
「お力になれたなら、よかったです。私も、今日は先輩といろいろ話が出来て楽しかったです。ありがとうございました」
 先輩のそれに同じく、私の言葉も嘘偽り無い真実だ。とても楽しかった。先輩のように、上手く伝えられていないかもしれないけれど。
「……そうか。俺も楽しかったよ」
 先輩は僅かな間を置きつつも、やっぱり微笑みで応じてくれた。
「もし彼女に会うことがあったら、まあ、仲良くしてやってくれると嬉しい。確率、かなり低そうだがな」
「分かりました。もし会うことがあったら、声をかけてみます」
 先輩の元に居候している少女のこと、気になるし。学校から帰るとき、時々先輩のアパート付近まで遠回りして帰ってみようか。突然声をかけたら相手に驚かれるだろうけど、彼女が外の世界に少しずつ進んでいけるようになってくれたら、嬉しい。
 私は足を左側に向けた。先輩も、ゆっくり足を右に向け、踏み出す。
「帰り、気をつけてな」
「先輩も、お気をつけて。その親戚の子に、よろしくお伝えください」
「分かった。じゃあな、玲於奈。また明日」
「はい、また明日」
 明日の放課後は、烏対策部での仕事がある。また、今日みたいな普通の話が出来るだろうか。分からないけれど、離れていく先輩に手を振った。先輩は気づいてくれて、帽子が入った袋を持つ手と逆の手を掲げ、ゆっくり振る。
 幸せそうな笑顔が見えた。
「……」
 私は思わず足を止めた。先輩はもう振り向かない。私には分からない帰路に着き、家に向かうのだろう。私にはそれを止めることはできない。
 ……だけど。
 先輩が去っていく。遠のく背中とか、振られた手とか、笑顔とか、そういうのが全部。
 寂しい、と、思った。私は今一人なんだと、思ってしまった。
「……なんだろう、これ」
 何も分からないのに、僅かに息苦しさを感じて、胸を押さえる。他人の生活の雑音が渦巻く中で、心臓の音は高鳴っていた。
 もう先輩の姿は見えなくなっていた。私も早く家に帰ろう。これ以上のんびりしていると、家に着くころには暗くなってしまう。
 足早になるのは、本当にそれだけが理由だろうか。
「……なんか、大丈夫? 私……」
 自分に問うても、答えは返ってこない。


 ねえ、この感情は、何て名前だと思う?


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