2020年10月8日木曜日

【創作小説】レイヴンズ11


雨の夜、男は少女を助けた。
彼女が人間ではないと知りながら。
(全25話)


(まだいまいち、わかんねーんだよな……)


(まだいまいち、わかんねーんだよな……)


「あはは。そんなに硬くならなくていいわよー? 重鎮だのなんだの言われてるけど、ただのおばさんだから」
「……はあ」
「あー……」
 優雅にソファに腰掛け、俺とクロウの前でお茶を飲む一人の女性。銀の髪に黒い瞳、ゆったりとしたワンピース姿。年を重ねた深みを、穏やかな表情からうかがうことができる。
「そのー」
「何かしら?」
 相手の満面の笑顔に対して、俺はいったいどんな顔をしているのだろう。いや、予想はある程度ついている。困惑と戸惑いと焦りがぐちゃっと混ざった表情だろう。というのも、俺の隣で肩にかなりの力を入れ、身構えて座っているクロウが、そんな感じの顔をしているからだ。俺は、相手とは会ったことがあるから力は抜けているものの、戸惑っていることには何の変わりもなかった。
「えっとですね。まず、ちょっと質問が」
「いいわよー。答えられることなら真摯に答えるわ」
 さくさくとクッキーを食べながら、彼女は言った。
 なので、俺も遠慮なく問う。
「なんでここにいるんですか、セレベスさん?」


 ……ここに至るまでの経緯を整理する。
 俺ことナミは烏だが、現在保志弘という人間の元での生活を余儀なくされている。なぜなら俺と同じく烏のクロウ共々、烏の元に帰れない状況だからだ。その「状況」の説明はめんどいので省く。
 俺が保志弘の家に住み始めてから二週間ほど経った今日の朝、いつものようにぐっすりと眠っていた俺を叩き起こしたのは、電話の音だった。あれがうるせえのな。眠ると外からの働きかけじゃ絶対起きないクロウも、何事かうめきながら寝返りを打っていた。
 そんなうるささだから、当然保志弘も目を覚ました。床で寝ている保志弘の姿はソファで寝ている俺からもばっちり見えていたんだけど、布団に正座した状態で少し呆けたのち、嘘みたいな速さで立ち上がって受話器を取った。この間ツーコール。あいつ覚醒速っ。ていうか静と動のギャップありすぎ。村正とその他の人との対応の違いといい、あいつはギャップ人間なの? ……何だそれ。
 で、だんだん頭がはっきりしてきた俺は、保志弘の声を聞いていた。というのも、ちょっと気になったからだ。電話にしちゃ時間がちょっと非常識。薄ら明るい部屋の時計を確認すると、七時ちょっと前だった。普通の奴はそんな時間に電話かけてこない。そうなると、よほど相手に危急の用事があるか、よほど相手が馬鹿なのかのどっちかだ。俺は後者に賭けた。思い当たる人物がいるから。
「はい、もしもし。……え」
 電話に出た瞬間の保志弘の声は、迅速な行動とは裏腹に、まだ少しふわふわしていた。でも、次に発した「え」は、はっきり発音。目が覚めたらしい。
「……いえ、はい。どうも、おはようございます。どうしたんですか、こんなに早く……はい、そうです。……二人に? ですよね。今日? 仕事はもちろんありますが……ちょっと、変なこと言わないでください。でも、大丈夫だと思いますよ。落ち着いてますし、はい」
 全然内容わかんねえ。当然か。知りたいとも思わないけど、とりあえず口調からして俺は賭けに負けたようだ。俺の馬鹿候補筆頭の村正を相手に、保志弘はあんな口調も態度もとらない。
「はい。わかりました。……え……あーはいはいわかりました。そうします。では、失礼します」
 よくわからないままに、電話は終了した。受話器を置いて、悩ましげなため息を一つついてから、保志弘は俺に条件反射のようによくできた笑顔を向けた。
「おはよう、ナミ」
「お、おう……おはよ」
 何度笑顔で言われようと、相変わらず慣れない。まだ、心の奥では保志弘を疑っているのだろうか。
 俺は電話については何も聞かなかった。朝の保志弘は忙しそうだし、奴のプライベートに立ち入る必要性もないしと思った。
 その後起きたクロウとともに、三人で朝食をとった。いつも通り食べ終え、いつも通り保志弘は家を出て行った。「いってきます」に対する「いってらっしゃい」は、いつも通りどもった。まったくいつも通り。
 異変は一時間ほど後に、強烈な驚愕を伴って訪れた。
「え……!?」
 人間には聞こえない、烏にのみ通用する「声」が、はっきりと耳に届いたのだ。俺は息を呑み、クロウは無表情な顔をさっと青くした。
 俺たちは烏に……仲間に追われている。積極的に追いかけられているわけではないけれど、長い間行方不明とされているクロウが人間の世話になっていたこと、そんな彼女を探しに行った俺まで人間と関わりついでに烏の追っ手を欺いたことなどが知られては、俺たちの人生……あ、烏が「人」生とか言っちゃ駄目か? とにかく俺たちの一生は、多分安らかに終わらないだろう。
 烏は人を嫌っている。生きるための烏の活動が人間の生活を脅かすとはいえ、命を落とすような攻撃を受けるのは不当だとの考えがある。それを理由に人を傷つけ脅かす烏がいる以上、お互い様じゃねーかと俺なんかは思うのだが、まあ、それは一烏の意見。
 とにかくそんなわけで、烏と人間の間にははっきりと境界線があり、それを越えた者には厳しい処罰が待っている。どんな些細なことでも例外はない。
 そういうわけで、他の烏に見つかることは俺たちにとって破滅に近い。身を固くした俺たちだったけど、その声の内容を聞いて、別の意味で硬直した。
『クロウ、ナミ、聞こえる? セレベスよ』
「……は?」
 俺なんか、思わず声出した。クロウなんかぽかんとしていた。あんな顔見たことない。
 セレベス、声はそう名乗った。それは、かなりすごい意味を持つ。
 セレベスさんっていうのは、烏。なんだけど、人間社会に住む変わり者。で、ありながら烏という集団にかなりの発言力を持つ、重鎮ってやつだ。普通烏が人間社会に住むなんて許されないことだし、そんな烏が烏社会にちゃんと組み込まれてるってのも例がない。セレベスさんは、それを押し通すだけの人望と知識と自分の意思を持っている、すごい烏だ。
 そんなすげー烏が、俺たちに「声」を使って通信を試みている。
「あの、ナミ……これって聞き間違いじゃない? 私には、セレベスという烏からの「声」がきこえたんだけど」
「おう、俺も聞こえた。うん、間違いなく、セレベスって烏からの「声」だった」
「そうよね。セレベス……さんよね。私、噂しか聞いたことないんだけれど、本物?」
「えー……っと、た、多分、本物?」
「どうすればいいの? この「声」に、応じてもいいのかしら。私たちをおびき寄せる罠、って可能性も」
「あー、わっかんねー!!」
 セレベスさんは、烏と人間、明確にどちらかの立場に立っているというわけではなく、中立だ。烏の手助けをしたかと思えば、人間を襲った烏を叱ったりする。つまり、敵か味方かは慎重に見極めないといけないってわけだ。
「……とりあえず、黙っておく」
 クロウは冷静な判断を下した。賛成。
 しばらくして、またあの声が聞こえた。
『聞こえてないってことはないわよね。あたしが偽物か、烏を手伝ってると勘繰って黙秘、ってとこかしら? まあ当然の反応だから構わないわよ』
 俺たちの考えは丸見えのようだ。だけど話は一方的に続く。
『他の烏は近くにいないみたいだから、一方的に言うわよ。っても、大したことじゃないの。あんたたちの顔を見て話がしたい、ってだけ。あ、これは要求でも依頼でもないわよ、確定事項だから。歩いて行ってもいいんだけど、万が一見つかったら困るから、魔術でさっさと行くわね。それじゃ、うまくいけば数秒後に』
「……え、ちょ」
 本当に一方的に用件を伝えると、「声」は途切れた。
「来る……?」
 クロウがぽつりと呟いた、直後。
 部屋が白く光った。眩しさに目を閉じる。顔を腕で覆い、これもしかして、と予想したところで光がふっと消えた。ほんの二、三秒のことだった。
 そんな短時間でも、状況が一変することはままある。
「……あ」
 玄関の方を見てぽかんとしているクロウが、小さく声を上げた。俺もクロウと同じ方向を向いて……それを、おそらくは眩しさの原因を、視界に収め、認識してしまった。
 銀の髪に漆黒の瞳、目と同じくらい深い闇色の翼。ワンピースにショートブーツの姿は活発さをうかがわせる。ってここ家ん中だけど靴いいのか?
 えーと。
「セレ、ベス、さん?」
 わざわざ声に出して問うと、彼女はにやりと笑った。その笑顔は、いたずらっ子のそれに近い。
「そう、セレベスよ。久しぶりね、ナミ」
 烏社会の重鎮は、茶目っ気たっぷりに名乗った。


 まあそのあと、美少女好きなセレベスさんの琴線に触れたらしいクロウが、彼女に質問攻めにあい抱きつかれ体中撫でまわされ俺見ちゃいけないんじゃって感じのところまでいきそうだったんだけど、それはまあ割愛しておこう。現在クロウがセレベスさんから距離をとるように体を傾けていることから、その行為のすさまじさを感じていただきたい。……誰にだ?
 で、俺に存在理由を問われたセレベスさんは、組んだ足を上下に揺らして、少し不満げにいうのだった。
「だーから、あんたたち二人に直接会って、話をしてみたいって言ったでしょ?」
「だからって、なんでわざわざこの家に……。ここが分かったってのも驚きですけど、突然来て家主いたらどーするんですか」
 一応俺とセレベスさんは面識があるので、今回初対面のクロウよりもスムースに話が進む。もしそうでなかったとしても、第一印象が最悪なのでクロウは絶対に喋らないだろうから、嫌でも司会進行係は俺決定。
「住所知ってるから、別に迷うことないわよ。透視能力も使って確認したしね。あと家主……保志弘に関しては、今日平日だし、仕事で家空けるのは分かってたわ。でも一応と思って、朝電話したの。聞こえてなかった?」
「ああ、朝の電話って、あれセレベスさん……」
 なるほどそうだったのか、と納得しそうになったところで、クロウが能動した。具体的には、軽く身を乗り出してセレベスさんに迫った。
「今、「保志弘」って言いました?」
「言った」
 けろりと答える。クロウの困惑との対比を目の当たりにして、これが重要な情報だと気付き、俺の頭の回転にターボをかける。
 セレベスさんが「保志弘」って言った。俺、確か「家主」としか言わなかった、「保志弘」って言ってない。向こうから電話したってことは、電話番号知ってたんだ。しかも、保志弘にのみ家を留守にする時間を確認している。ここには保志弘しか住んでいないことを知ってる。
 まとめると。
「セレベスさん、保志弘の知り合い?」
 俺が結論を出すより早く、クロウが言った。ありえない、顔にはそう書いてある。セレベスさんは、なぜだか胸をそらして偉そうに明かした。
「そうよ。私、保志弘が小学校上がる前から付き合ってんだから」
「嘘」
「ええ!?」
 あまりの衝撃に一言だけ呟くクロウ。俺は軽い悲鳴を上げた。
 さらにセレベスさんの追撃が降りかかる。
「ついでに、村正とも知り合い」
「世界って狭いな!!」
 だってさ、十年来の友達と、その友達にして俺の面倒見てくれてクロウを助けてくれた男が、今目の前にいる烏の重鎮と知り合いって。それ、どーなの。クロウもショックを隠し切れず、乗り出していた体をソファにすとんと戻した。力が入ってない。
 そんな俺たちの反応を、セレベスさんは笑い飛ばす。この人の表情筋は笑顔しか作れないんだろうか。
「あっはははは、期待通りの反応ありがと! まあ世界なんてそんなもんよ。それに、この場合はちょっと特別っていうか、なるべくしてなった感じだし」
「なるべくして?」
「細かいことはどうでもいいのよ。でもこれで、少しは緊張ほぐれたでしょ?」
「緊張がほぐれた代償に……衝撃を受けています」
 内容は切実だけど、クロウが自分から喋ったってことは、セレベスさんの言う通り多少は緊張が解けたのかも。というか、警戒するだけの力が抜けてっただけか。
「さて、そろそろ本題入りましょうか」
 この場の主導権は、完璧にセレベスさんに握られた。俺が場を回すよりずっと的確だろうから、全く問題ない。
「あんたたちと話したいこと、いくつかあるんだけどね、まずは烏の最近の動向について」
 三人の間に、一気に真面目な雰囲気が下りてきた。クロウがおずおずと、声音だけははっきり訊く。
「何か、あったんですか」
「あたしのところに烏が来たんだけどね、そいつが言うにはあんたたち二人とも、捜索を打ち切ったそうよ」
「捜索、打ち切り?」
 拍子抜けした。だって、俺を泳がせてまでクロウの居場所を探し出そうとした烏たちが、俺ごと見失っただけで簡単に諦めるのか? あーでも、俺って烏社会に大して貢献してねーから、不要になったかな……言ってて虚しい。
 でも、これにはクロウも疑問を抱いたらしい。
「ナミを利用して私を捜すための嘘、ではなかった……?」
「そこなんだけど……あ、ナミ、あんたがここに来て起こった出来事については、保志弘から既に聞いてるんだけどね」
 あいつ本当抜け目ないなー。いつ連絡してたんだろ。
「正直、今回の捜索打ち切りも嘘……いえ、一時的なものなんじゃないかって思う」
 セレベスさんの顔が僅かに曇った。
「クロウは、烏の食料の確保なんかに影響があるから見つけ出したい、切実な思いがあると思う」
「ですよね。クロウは方向感覚いいから」
 クロウは、無口で関わりにくい故にあまり好感をもたれていない。でも、それと仕事の評価とは話が別。クロウは方向感覚がいいから、人間社会を飛び回るのにかなり役立っていると聞く。俺はそういうの担当じゃないから、世話になったことはないけど。
「しかも、人間社会に詳しくて、人間とパイプ持ってるナミも見失った。あんたたち二人って、思ってる以上に烏社会では重要な存在なのよ」
「俺も?」
 多少人間に詳しいとか、知り合いがいるくらいで重要なはずはない。むしろ疎まれているとしか思えないんだけど……って思ってクロウを見たらめっちゃ真剣な顔で頷いてる! 何で!?
 そんな考えを読んだかのように、クロウは俺をまっすぐな目で見た。
「烏にとって人間の社会は未知で不鮮明。それに対する知識を、ナミは持っている。大事だわ」
「んー、そうなのか……?」
 あまり納得は出来ないが、頷いておく。
「人間社会で姿を消した以上、私たちの失踪に人間が絡んでいると考えるのは自然。人間が捕らえた、と勘ぐられたら、放っておかれるとは思えない」
「烏にそれとなく訊いてはみたけど、駄目だったわ。あんたたち、気づかないうちに包囲網が狭まっているかもしれないから、注意しておくのよ」
 注意喚起に、俺たちは同時に頷いた。クロウも、人間の二人も、巻き込むわけにはいかない。誰も犠牲にしたくないというクロウの思いは、俺の思いと重なっていた。
 「これで真剣は話は終わり」と言うように、セレベスさんはソファに深く座って肩の力を抜いた。
「あと、もう一つお話よ。こっからは気楽によろしく。保志弘や村正と、仲良くしてやってちょうだい」
 本当に、子供の交友関係を気遣う母親のような発言だ。だが、その言葉には少し疑問を感じた。
「「仲良くしてやってちょうだい」って……あの二人はこれ以上ないほど、烏の俺たちに対して友好的ですけど?」
「……確かに」
 一番それを体感しているだろうクロウも頷いた。仲良し、と言うほどでもないだろうが、特に避けていることもないし、わざわざ言うほどでも……と思ったんだけど。
 セレベスさん本人も頷いたが、その後で肩をすくめた。
「あいつらもね、必死なの」
「必死?」
「好かれたいのよ」
 好かれるのに必死? あの二人の、いい意味で自分勝手な対応とは全く無縁な言葉だ。思わずセレベスさんを見やったが、彼女の優しい目は虚空を見つめている。
「二人は烏と人、互いの憎しみを理解しているから、そう簡単に手を繋ぐことは出来ないことがわかってる。でも、烏と理解しあった経験もあるから、決して手を繋げないことはないこともわかる。そんな中、あんたたちが」
 細い指でクロウと俺を順番に指し示した。
「偶然ながら現れたってわけ。二人は心密かに天の神様に感謝したでしょうねー。特にクロウ!」
「はい……?」
 突然大声で名前を呼ばれて、クロウの肩が跳ね上がった。
「あなたにとって、路上でぶっ倒れていたことは災難だったかもしれないけれど、保志弘にとってはまさに天使が舞い降りたと同義だったでしょうね!」
「え、そうですか……?」
「ええそうよそうなのよ。疑う余地なくその通りよ。天使も天使、烏と人を繋ぐ架け橋。まさしく蜘蛛の糸! そうそれは私にとっても!!」
「あ、あの、ちょっと……」
 ずいずい近づいてくるセレベスさんに、出来る限りの距離をとるクロウ。俺めっちゃ不要。大変なことになるまでは傍観させてもらいます。大変なことになっても、正直止められる自信はないですけど。
「そこまでではないんじゃ……私が人を毛嫌いしている烏だったら、こんな状況にはならなかっただろうし」
「ま、そこは運ってやつでしょ。クロウが目覚めたとき、保志弘は心の中で滅茶苦茶喜んだでしょうね。「この子は話聞いてくれる子だ! 相手に無理のない範囲で、仲良くなれるよう頑張ろう!」って具合にね。本人は、さすがにここまで短絡な考え方はしていないと思うけど。クロウを助けたのだって、純粋な正義感がほとんどでしょうから」
 保志弘は、烏と人間の理解と共存を望んでいる。そのためには交流が必要なわけで、でもそのチャンスがなかった。そんなときに、倒れているクロウを見つけた。介抱して、目覚めて、話してみたら人間をとても嫌っているという様子はない。
 夢が、叶うかもしれない、と、思ったわけか。
 あののんびりした笑顔の裏で、そんなことを考えているのか、あの男は。クロウを見つけたいと思って飛び込んだ先に居候することになって、今後どうすべきか決めあぐねている俺なんかとは視点が全然違う気がして、ちょっと凹む。そんな壮大なこと考えてるのかよ。しかもクロウや俺のことまで考えてるのかよ。
「村正も、保志弘と同じ理想を持ってるから、きっと似たようなこと考えてると思う。だから、仲良くしてあげて欲しいのよ。見たところ、あんたたちも保志弘や村正に、悪い感情はないみたいだし。烏とか人間とか、そういう枷は取っ払って、付き合ってみて欲しいの」
 立ち上がって身を乗り出していたセレベスさんが、やっと元の席に戻り、クロウが密かに胸をなでおろした。うん、大事にならなくてよかった、と俺も安心していたら、セレベスさんに呼ばれた。
「ナミ」
「うぇっ!? は、はい、何ですか?」
「あんたももちろん重要よ? 理解しあえる仲間は、多ければ多いほどいいんだから。あんた、表向きは社交的だけど、地味に変な遠慮するでしょ」
「うっ」
 見抜かれている。セレベスさんが笑った。
「あたしは全部お見通しよー? あたしとクロウとじゃ、あんたの反応が全然違うもの」
「そんなつもりは……うう、そうかもしんねーです」
「でも、それを乗り越えてあんたは人と繋がっていく。実際、村正とだってそんなんだったでしょ?」
 村正との出会いを思い出す。俺が夜の公園でぼーんやりしていたときに、声をかけられたんだっけか。初めて会ったってのに、妙に馴れ馴れしくて、どうしたもんかと内心げんなりしてたんだけど、「烏だろ」って言い当てられてびっくりした。で、村正に興味がわいた。烏に対しても物怖じしないこいつは、どんな人間なんだろう、って思った。でも俺はやっぱり烏だから、仲間に感づかれないように、そして村正の社会的地位のために他の人間にも気づかれないように、慎重に交流した。そういや、ある程度仲良くなってから、村正に「変な遠慮すんなって〜! もう俺たちは親密度MAXな友達なんだからサ! あれ、親密度MAXだと恋人として甘々なイベント突入か?」とか言われてたっけ。後半は置いといて、「そんなことない」って反論したけど、やっぱりセレベスさんが指摘したとおり、遠慮してたのかも。人間と交流持ってるとはいえ、やっぱり交流がバレるのは怖い。それは自分の保身のためであり、相手に迷惑かけないためでもある。びびり過ぎ、ってことなのかな。
「……もっと、素直になれ?」
 自分に問いかけた。
 素直になれ。烏とか人間とか、大事だけど、それ考えるのは後にして。俺一人で、俺も相手も守ろうとするんじゃなくて。相手を信じて……。
 あれ? これって、自分を犠牲に烏の元へ帰ろうとしていたクロウに、他ならぬ俺自身が言った言葉に似てない? 偉そうに言っておきながら、自分は実践できてなかったってこと? うわ、格好悪い……。
「ナミ」
「ふぁい!!」
 またも声をかけられ、凹んだ意識が三次元に戻ってくる。今回の声はセレベスさんでなくクロウの声だった。
 気づけば、彼女の手が俺の手にそっと触れている。何だこのシチュエーション!? 突然のことでばくばく鳴り出す心臓を抱えながら、クロウのまっすぐな瞳を受け止める。
「保志弘は、信じていい」
「……」
 クロウの瞳の色、黒が広がっていく。決して無ではなく、彼女の意思の強さを感じさせる、何色にも惑わされない色。
「私が保証する。私だって、全部を知っているわけじゃないけれど、保志弘のこと、もっと信じていい」
 自らの格好悪さを認識して凹んでる今、惚れた女にまっすぐ見つめられてそんなことを言われたら。
「……うん」
 て、言うしかないじゃん。
 消極的な決定ではない。それは必要なことだと思う。保志弘は、クロウを助けてくれた人間というだけではなく、現在進行形で俺を助けてくれている人間なのだ。彼の思いはセレベスさんのお墨付き、彼の人の良さはクロウの折紙付きだ。信じるに足る人間だと思う。
 でも、俺は本人の口から、烏について、人についてどう思っているか聞いてみたい。それでやっと、本当に白江保志弘という人間を心から信じられると思う。それに、彼の考えを知って、俺はどうすべきかを考えなければいけないんだ。このまま、ただ何となく流されていては駄目なんだ。
 烏の肩を持つか、人の肩を持つか、それともその間に立つのか。
「うん」
 もう一度、しっかりと頷いた。クロウが、小さく笑った。
 クロウは、俺がどんな立場に身を置いても、許してくれるんだろうか。
 いや、駄目だ。クロウのために俺の未来を選ぶんじゃない。俺は自分のために、自分のことを決めなきゃいけないんだ。そのせいでクロウと決別することになっても……なんて、そんな未来はあり得ないってのが、正直な感想なんだけど。どうあってもクロウの味方でいたいってのは、俺の本心だから。
 そこでふと、あることを思いついて、それを伝えるためにクロウの目を見た。
「なあクロウ。俺もさ、クロウには俺の友達である村正、よく知ってもらいたい」
「村正……のこと?」
 きょとんとするクロウに俺は頷いてみせる。
「ああ。あいつさ、結構ちゃらんぽらんつーか、何も考えてないような顔してるけど」
 ここでセレベスさんが「あんたも似たようなもんでしょーが」と茶々を入れてきた。はい無視!
「保志弘と同じくらい、いろんなこと考えてると思う。烏と人について」
「……ええ、そうね。分かった」
 クロウは小さく、しっかりと頷いてくれた。うん、これでより俺たち四人のつながりっつうか、絆? そういうもんが強固になればいいな、って思う。それは結果的に、セレベスさんの言ってた「仲良く」に繋がるはずだし。きっと俺たちなら、上手くいくんじゃね? 楽観できるような状況にはないけど、そんな言葉が頭に浮かんだ。
 ぱんぱん、と手を叩く音で意識が呼び戻される。手を叩いたのは当然セレベスさんだった。
「よし! あたしから話したかったことは以上よ。あんたたちには、私に訊きたいことある?」
「じゃあ……何故、出会った直後私に抱きついてきたのか、説明を求めます」
 クロウの至極真面目な発言に、セレベスは笑顔で回答する。
「それはクロウが私の予想以上に可愛かったから。可愛い女の子にはハグアンドキスで出会えた喜びを表現するのが基本でしょ?」
「よく分からない……」
「ナミは分かるわよね?」
「そりゃクロウは可愛いからそうしたくなるのも……ってちょっと待ってください! 俺でも突然抱きついたりきききキスとかしませんよ! それ変態ですよ!」
「突然でなければ抱きつくってわけ?」
「許可もらえたならそれは……いや何の話!?」
「ナミ……」
「待ってクロウ俺から絶妙な距離を置かないで疑わしい眼で俺を見ないで!!」
「クロウ、もっと冷たい目線を向けていいわよ。ナミはマゾだから」
「んなわけあるかっ!!」
「あっはははは。あんたたちは仲良さそうだから、きっと大丈夫ね」
 修復不可能一歩手前まで俺とクロウの関係を引っ掻き回しておいて、セレベスさんは笑いながら立ち上がった。そこにはっきりと立ち去る意思を感じる。
 そのとき、ふと疑問が浮かんだ。
「あ、セレベスさん。最後に一つ訊きたいことが」
「何? クロウからどうやってキスの許可を得るか?」
「違いますっ!!」
 ああークロウがまた一歩離れたちょっと待ってー真面目な話だからちょっと待ってー!
「あの……俺たちの失踪の件において、セレベスさんはどっちの側なんですか?」
 烏か、人間か。俺たちに親身になってくれてはいるけれど、保志弘や村正に対しても愛情を持っているって、今のやり取りで十分に感じられたから、どっちなんだろう、と思った。
 セレベスさんは、やっぱり悪戯っぽく笑う。
「訊き方がなってないわね」
「え?」
 人差し指を立てて、ぱちんとウインクを放って、言った。
「私はあんたたちの味方よ。烏でも、人でもなく、ね」
「……」
「じゃあね、クロウ、ナミ。何か情報があったら伝えるから。そっちからの連絡も、いつでもしてきていいわよ。急ぎの用事があったら、文字通り飛んで来るから!」
 ひらりと手を振って、セレベスさんは来たときと同じく閃光を放って消えた。そうそう、これは烏が使える魔術の中でも高難易度の、瞬間移動ってやつだ。俺なんかじゃ絶対出来ない芸当。
 セレベスさんが去り、ぽつねんと残された俺たち。
「私たちの、味方」
 クロウが小さく呟いた。セレベスさんにかけた問いの答え。
 烏でも、人間でもなく。つまり、烏であれ人間であれ関係ない、ってことだ。セレベスさんの思いは、種族という情報に左右されることはなく、確固たる強さで存在し続ける。やっぱりあの烏はすごい。
 俺も、足元に及ばなくても出来る限り近づきたい。今この状況を、可能な限り誰も傷つかないで乗り切るには、「種族なんて関係ない」って言い切れる、そんな心の強さが必要だ。怯えていては駄目だ。堂々と、胸張って、人間と向き合わなきゃいけない。
 そのために、出来ることは。
「……よし。クロウ!」
「?」
 声をかけると、クロウは軽く首を傾げて俺を見た。そうだ。俺の大好きな彼女を守る為にも、びびってばっかじゃ駄目だよな!
「計画立てよーぜ。俺と保志弘、クロウと村正が仲良くなるための、計画!」
「……ええ、そうね。ナミ一人じゃ、不備が出そうだし」
「厳しいなー……事実だけど」
 二人で笑い合う。
 大切な人の笑顔を守りたい、なんて大げさでくさい台詞だけど、心底そう思うんだ。守りたい。守るための力が欲しい。それは剣のような鋭さではなく、きっと誰かと手を繋ぐ温かい強さ。
 俺は、必ずそれを手に入れてみせる。


 俺たちは、強くなるために、繋がっていく。


0 件のコメント:

コメントを投稿