2020年10月11日日曜日

【創作小説】レイヴンズ21


雨の夜、男は少女を助けた。
彼女が人間ではないと知りながら。
(全25話)


(どんな力があったって、私はあまりにも無力だ)


(どんな力があったって、私はあまりにも無力だ)


「ええっ!? な、何でそんな大事なこと、早く言ってくれなかったんだよ!!」
 ナミがテーブルを叩き、座っていたソファから立ち上がった。私はそれを、オーバーなアクションだとは思わない。むしろ、私もそうしたいくらいに驚いていた。
 というのに、当人たちは至って冷静、というか苛々するほどに楽観的で。
「二人に心配をかけたくなくてな」
「俺が怪我してる姿見たら、二人ともマジになっちゃうでしょ? だから、怪我が治ってから二人に報告しようと思ってたのサ」
「いや、だからって……烏に襲われてたことを隠すってさあ……」
 ナミの抗議の声は、保志弘と村正の優しさを感じ取ってしぼんでいく。すとん、とソファに腰を下ろすと、彼は深く溜息をついた。
 二人曰く。村正は一週間ほど前、烏の襲撃に遭って大怪我をしたらしい。その原因は、村正に言わせれば「若気の至り」。全く意味が分からない。ちなみに保志弘に言わせると「自業自得」。やっぱり意味が分からないが、多分村正が自分でも反省したくなるような何かをしでかしてしまったのだろう。
 私たちがこの近くにいることを知られたそうだから、確かに事は重大だけれど、私もナミも責める気はなかった。村正が自分からその情報を明かすとは思えない。原因をはっきり言わないところを見ても、何かのっぴきならない事情があるのは明らかだったから、追求も叱責も不要だと判断した。
 大怪我を受けて、村正は入院と自宅療養を余儀なくされる。この近辺を見回っている烏に見つかったらまた襲撃される可能性がある上、怪我で私たちを心配させたくない。だから村正は、しばらく私たちに顔を見せてくれなかった、ということだった。
 全てが分かると、「村正が無事でよかった」という安心と、「烏がすぐそこまで迫っている」という恐怖が同時に襲ってくる。
「うん、でも確かに、大事なことだから早めに言った方が良かったね。ごめん」
 村正が困ったように笑う。私は首を横に振った。
「事情が事情だもの、責める気はないわ。……体は本当に大丈夫?」
「そりゃあもっちのろん! 保志君と玲於奈ちゃんの甲斐甲斐しい看病のおかげで」
「は?」
「何でもないです」
 気持ち、保志弘のツッコミが柔らかい気がするのは、彼も村正を思いやっている……のかしら。思い過ごし?
「場所が絞られたのは困る……けれど、まだ手遅れじゃない」
「そーだな。問題は、こっからどーするかってことか」
 ナミの言葉に、皆で頷く。烏の捜索の網が狭まってきた今、私たちは何をすべきか。それを考え、実行することが一番大事なことだ。
 保志弘が腕を組んで、小さくうなった。
「……まず対策として、外出を控える、かな」
「そうね。私とナミが隠れていれば、見つかる可能性は大分低くなる」
 彼の言葉には、私たちにそれを強いる苦痛な響きがあったから、私はすぐにその提案を飲み込んだ。人間である保志弘を巻き込んで危険に晒しているのは、私なのだ。彼を苦しめたくない。
「なあ村正」
 ナミが声を上げた。村正が首を傾げる。
「口が軽いようで滅茶苦茶重い村正が、簡単に俺らのことを喋るわけない。なんで烏に俺らの居場所知られたんだ? まさか大声で俺らのこと喋ってたわけじゃねーだろ? それが分かればさ、その手がかりを消すように行動すりゃいーんじゃねえかって思うんだけど」
 確かに。何故知られたかが分かれば、その情報をかく乱させることで居場所の特定を困難にできるかも知れない。ナミの問いは言い様によっては無神経かもしれないが、今は重要な手がかりだ。私では、村正を気遣って言い出せなかっただろう。
 村正は目を閉じ、顔を上に向けた。何かを思い出すモーション。
「大声出してたのは間違いないけど……んーとね……確か……「匂い」って言ってた」
「匂い?」
「「何でクロウとナミの匂いがするんだ」って言ってたから。あれがあの子の特殊能力なのかな?」
 烏は、体が頑丈だったり魔術が使えたり、人間とは異なる特徴が多々ある。けれど、それらとは別に、個体ごとに特殊能力が備わっている。例えば、私は方向感覚が良い。コンパス無しでも東西南北が分かる。ナミは空中より地上の方が移動速度が速い。簡単に言えば、飛ぶのが苦手な代わりに足が速い。村正が言っているのは、この能力のことだ。
 嗅覚が鋭い、特殊能力。もしかしたら……。
「村正、「あの子」ってことは、女の子よね」
「うん。女の子だったよ。気が強そうな子だった。俺的には下の上くらいのランクかなーと思う。まあ、ランキングトップ独走中殿堂入り確実なのは保志君なんだけど!」
「そのランキングって、お前に滅んでほしいと思っている生物ランキングだよな。確かに、俺は誰かに負ける気がしないが、烏の女の子もなかなかやるな。出会っていきなりランキングに食い込んでくるとは」
「保志君、今結構真面目な話の最中」
「村正、それはお前に言いたい」
 ……二人は相変わらずだ。まあ、それはそれで緊張がほぐれるから、ありがたいのだけれど。ナミと目を合わせると、肩をすくめて苦笑した。そうしたくなる気持ちはよく分かる。
「二人とも、いいかしら。……その子、友達かもしれない」
「そうなのか? 心当たりが?」
 保志弘に頷いてみせる。
「レッド。本名はレドニア。私が知る限りで、嗅覚が鋭い特殊能力を持った女烏は彼女だけ」
「あ、ああー!! レッドな! あの、気も喧嘩も滅茶苦茶強い女番長!」
「……ナミ、それ言って何回レッドに殺されかけたか忘れたの?」
「うっ」
 私とナミ、レッドに、彼女の幼馴染であるコガと四人でよくつるんでいたことを思い出す。現状から振り返ってみれば、夢のように楽しい時間だった。
「言われてみれば、クロたんと同年代っぽかったかも……」
「一緒に、前髪で目が隠れてる男の烏はいなかった?」
「いたいた! 物腰柔らかそうだけど、抜け目ない感じ。あいつもクロたんとナミの知り合い?」
「あ、そいつはコガだ! レッドが暴れ馬だから、コガが抑止力なんだよ。レッドの幼馴染なんだ」
「確かに、真っ先に殴り掛かってきたれっちゃんを止めたのは、そいつだったね」
 ……今さらっとレッドのことを「れっちゃん」って言ったけど、ここは無視する場面よね。本人が聞いたら、怒り狂うんじゃないだろうか。
 それにしても、あの二人も私たちを探してくれているのか。嬉しい反面、これは面倒なことになったと嘆息する。レッドとコガは私たちより少し年上で、私たちを大分可愛がってくれた。人情に厚く熱血なレッド、そして……烏を束ねる長の息子であるコガが捜索に参加しているとあれば、そう簡単に私たちを諦めてくれるとは思えない。
 やはり、対策を立てるのは必要不可欠だ。今まで後手の行動が多かったから、何か相手の一歩先を行くような手があればいいのだけれど。
 大勢の烏の捜索に対して、私たちは四人。玲於奈を巻き込むことはできないし、セレベスさんが積極的に仲間になってくれたとしても、頭数は五人が限界だ。これだけの人数しかいないのに、どう立ち向かえば……。
「……人数。人数を、増やす……?」
 私の呟きに反応したのは、向かいに座っている保志弘だった。
「どうした、クロウ?」
「考えていたの……私たちは、頭数が少ない。私たちを捜索している烏に比べたら、微々たるもの。これで篭城は危険だわ」
「確かに。よっぽど上手く相手を嵌めない限りは、危険だね」
 村正が頷いてくれたので、話しながら考えをまとめていく。まるで糸をたぐり寄せるようだ。
「必要なことは、味方を増やす……いえ、出来たら相手……烏側に、味方を作れば……捜索する烏との交流は意図的に絶ってきたけれど、信頼できる烏に事情を説明して、協力してもらえれば、少しは状況が楽になるんじゃないかしら」
「確かにそれはありがたいけど……今俺たちが烏側にコンタクトを取るのは、難しくね?」
 ナミの指摘は尤もだ。
「だからこそ、相手をよく選ぶ必要がある。それだけじゃない、烏の「声」では他の烏に聞かれる可能性があるから、直接会って話す必要がある」
「ハードル高いなー……いや、だからこそ必要ってことか?」
 言いながら、自分でも相当に無茶な案だと思う。私たちを捜索する烏はたくさんいる。けれど、その中から私たちの立場を理解し、共感してくれる烏を探して直接会話をしなければならない、なんて。状況が状況だけに、そう簡単にできるものではない。
 見回してみると、三人とも難しそうな顔で考え込んでいたから、私は慌てて付け足した。
「いえ、これは案の一つというか、ふと考えただけ。実行不可能でも、別の案に繋がればいいって思った程度で……」
「実行不可能、でもないかもしれないぞ」
「え?」
 顔を上げた保志弘と目が合う。その目はどこか真剣味を帯びていた。
「セレスおばさんは、その程度なら頼めば手助けしてくれるはずだ。捜索や、それに関わる烏の情報を得ることは容易い。それに、セレスおばさんは烏社会の中でも地位がある。彼女からの呼び出しという形を取れば、望ましい相手とコンタクトを取ることは難しくないはずだ」
 そこに村正が声を上げる。
「それでも、危険なのには変わりないよね? 烏にコンタクトを取るってことは、直接会って会話すんのは俺と保志君でなく、クロたんとナミのどっちかってことだ」
「……そうね。それに、そうやって会っている最中も烏の捜索は続いている。見つかる可能性は、むしろ上昇すると言っていい」
 先ほど、前提として挙げられた「自宅待機」を真っ向から否定する提案なのだ。危険はあるだろう。
「そこは当然、俺の出番だろ!!」
 ばん、とテーブルを叩いて立ち上がったのはナミだ。
「俺ならクロウより目立ちにくいし、待ち合わせ相手をびっくりさせることも……多分、そんなにねーはずだ。万一見つかったとしても、俺ならクロウよりも大事にならないで済む。あとーえっとー……いや、もうなんつーか、俺がクロウをみすみす危険な目に遭わせるわけにはいかねーって話だ!!」
 よく考えているのかいないのか分かりにくいナミの言葉だったが、その決意は固そうだった。
「……確かに、私よりは目立たないかもしれないけれど、危険よ。私だって、ナミに危険な目には遭ってほしくない。回避できるならしてほしい」
「でも、やらねーといけないなら、俺がやる」
 こうなったナミは、てこでも動かない。経験上、理解している。どうしてそんなに私を大切にしてくれるのかは分からないけれど、その気持ちを、私は無下には出来ない。ナミはそう言って、私を何度も助けてくれたのだから。
「実行するかどうかは後にして、案の一つとして覚えておく必要がありそうだな。セレスおばさんとも相談すれば、もっといい方法が見つかるかもしれない」
「だな。クロたんお手柄!」
 保志弘と村正が言う。私は曖昧に頷いておいた。私が出した案ではあるけれど、正直乗り気ではない。危険を他者に押し付けるような案だからだ。三名が乗り気なことに驚く。
 どうして、そこまでしてくれるんだろう?
 訊いてもまともな答えは返ってきそうにないから、訊かないでおくけれど。
 私は、どうやったら彼らを守れるだろう。考えないといけない。私に出来ること、私にしかできないことは、何だろう。
「その案についてなんだけど、こう、話の通じそうな烏に心当たりはあんの?」
「うーん……やっぱレッドとコガなんじゃないかな。正確にはコガの方だけど」
「「レドニアの抑止力」と言っていたな。彼らの人間の認識は?」
「レッドは、人間のことあんまり好きじゃない。コガは訊いたことないな……。けど、俺らと付き合い長いし。俺らより年上で可愛がってくれてたから、ちゃんと話せば分かってくれると思うんだ」
「へー。そういうことなら、もちょっと仲良くしとけばよかったなあ」
「襲われたのに、よくそんなにあっけらかんと言えるよなぁ……」
「だって、襲われたのは自己責任だし、向こうは俺らの事情なんか知らないんだから、襲われて当然っつーか? 過去のことをぐちぐち言ってるとモテないのだよナミ君」
「過去を語ろうが未来を語ろうが、お前がモテたためしなどないだろう」
「ぐっは、刺さるわー!」
「まー確かに、村正に彼女いたなんて聞いたことねーわ」
「ナミ、勝手に過去形にするな! 言わせてもらうが、俺には現在進行形で彼女がいる!」
「えっ、嘘! 何、誰!?」
「保志君」
「死ね」
「げほっ、ちょ、うっわ、がっ、ま、痛って、あ、がふっ」
「落ち着け保志弘! 村正を蹴飛ばし転がしながら玄関に追いやらないであげて!!」
 ……駄目だ。全然考えがまとまらない。状況が状況だって言うのに、普段通りの彼らのやりとりに、集中力とか、真剣さとかがどんどん削がれていく。
「もうさ、悟りを開くレベルだよね。保志君の暴力は愛情表現だって」
「村正の目が曇りない怖い!」
「見るなナミ。これは手遅れだ。そっと土に埋めて成仏願おう」
「悟りを開いただけに!?」
 ……人が真面目に考えているときに、そこの男子三人は何をしているのかしら。
「――五月蝿いわね」
 呟くと、三人の視線が私に集まり、一秒、二秒、三秒。
 彼らは床に正座して、綺麗に横一列に並んだ。
「……ちゃんと考えましょう。真剣な話題なんだから、ふざけている余裕なんてないわ」
「はいその通りですごめんなさい」
「いやあ、クロウも怒るんだな。新発見だ」
「なんつーか、類友かな? って思った。怒り方が保志君そっくりよクロたん」
 三人が口々に言うけれど、内容はあまり気にしないでおく。自分で言った通り、私たちにはふざけている余裕なんてないのだから。
「些細なことだけれど……家に居る間、日中はカーテンを開けているでしょう。あれを閉じておけば、烏の視線は遮れると思う」
「逆に不審がられたりしない?」
「可能性はある。でも烏も、余程確信がない限りは中を確認しようと思わないだろう」
 意見を提示すると、ちゃんと吟味してくれる。先ほどふざけていたのが嘘のようだ。何故その集中力が、表面だけでも持続しないのか。
「じゃあ、日中もカーテンを閉めるってのは作戦の一つとして決定だな。さっすがクロウ、冴えてるな!」
 いきなりナミに褒められて、私は首を振る。別にそんなことはない。ただ思いついたことを口にしているだけで、それが良い案かどうかなど気にしていない。穴だらけの案でも、それを踏まえて誰かがより良い案を出してくれれば良い、というスタンスだ。要は頼りきりなのである。
「あーとーは、烏たちを言いくるめる作戦についてはどう? お二人さん」
 村正が訊いてくる。それは、私たちが失踪している間のことをどう説明するか、という問題だ。もっと言えば、穏便にこの騒動を済ませる為に、どんな嘘を吐くか、ということ。
 私とナミは、もう何日も頭をひねってきた。おかげでいくつか案は出ているけれど、それがどれほど有効かは自信がない。烏の考え方は、烏である私たちの方が分かっているはずだけれど、保志弘と村正の、人間という第三者的視点からの意見も取り入れたかった。この作戦はこの場にいる四人の命を守る為の作戦なのである。全員で練り上げ、納得した案を実行するのは当然だろう。
 ナミに視線を向けると、小さく頷き、服のポケットからメモを取り出した。
「じゃじゃーん! ここにちゃーんと、今までの案を書き留めてあります!」
「おおっ! ナミにしては用意周到!」
「「俺にしては」は余計だ!」
「私が書いたのだけれどね」
「クロウもすぐにバラさないで!」
「まあまあ、そのメモの重要性は変わらないよ。それで、どんな案が出てきたんだ?」
 ナミがメモに目を落とす。
「んーと、まずは「隠れて暮らしてました」案」
「気を失った後、目覚めたら人間の町だったから、慌てて隠れた……といった感じかしら。出られなかった理由は、隠れ先が人里近くで、下手に出ると人間に見つかる可能性があったから、とか」
「そうなると、その言い分が通用する隠れ場所も考えておく必要が出てくるかもな。律儀な烏が調べに来るとも限らない」
「俺の家の近く、相当空き家があるよん。適当にピックアップして偽装しとけば、何とかなりそうじゃね? 「仕事だ」って言えば、空き家に立ち入る許可くらいとれるっしょ」
 一つ目の案、何とか通ったようだ。でもこれで満足はできない。自分たちがどんな状況で烏の元に帰るか分からないのだから、あらゆる状況に対応できるよう、使える設定はいくつか持っていた方が良い。
 村正からペンを借りたナミが、メモに印をつける。
「じゃ、この案は使える、っと。じゃあ次! これはいけるぜ、「俺とクロウがラブラブランデブー」案!」
「ないわね」
「ないわー」
「ないな」
「何でー!!」
 ナミの叫びが部屋に響く。
 ほぼ反射的に拒否してしまったので、冷静になって理由を述べた。
「その案、ナミに非難が集中するわ。私を連れ戻すべきあなたが、その仕事を放棄したことを認めることになる」
「でも俺、元々捜索隊からは外されてたし……」
「それならば尚更だ。「見つけて行動を共にしていたのなら、何故帰ってこなかったのか?」という問題になる。クロウへの追求も厳しいものになるぞ」
「ちっくしょー、思ったよか穴だらけかよ! この案没!!」
 ナミがメモに盛大に×を書くのが傍目にも分かった。……ところで「ラブラブランデブー」って何なの?
「じゃー次。「保志弘とラブラブランデ」ぶふぉ!?」
「なっ、何を言っているのナミ! そんな案知らないわ!!」
 ナミが言い切るより早く、私は隣に座る彼の横っ面に掌底をかました。ナミは頬を押さえソファに撃沈。自業自得だと言わせてもらおう。本当に、この案は知らないのだ。
 正面に座っている保志弘と村正を見ると、村正はお腹を抱えて笑い、保志弘はどう反応したものか迷っているようだった。だが次の瞬間には、思い出したように村正の頭を思いっきり殴って黙らせている。
「い、言っておくけれど本当に私の案じゃないから。ナミが勝手に挙げたものだから、そこは心しておいて」
「分かってるよ。それに、これは俺が犠牲になる案だ。俺はそれでも構わないが……」
「私が許さない」
「だろうな。だから没、と」
 テーブルの上に投げ出されたメモとペンを取り、保志弘は自ら第二のランデブー案に×をつけた。つけた後、メモを見つめながら何かを考え込むようにしていたが、何か気になる案でもあったのだろうか。
 倒れていた村正が、ばっと顔を上げる。その顔は何かを期待しているようにも見えた。
「ねえねえ、俺は? 俺とクロたんのラブラブランデブー案は?」
「ない」
「何でー!!」
 先ほどナミが叫んだ言葉が、今度は村正の声で谺する。その説明は、数あるランデブー案を生み出した張本人のナミがしてくれた。のろのろ体を起こす姿や、赤く染まった頬が痛々しいが、私は反省も謝罪もしない。
「「何で」って……いや、村正からはすごく独身臭がするから……」
「いやいやそこは「ロンリーウルフ」って言ってくれる!? 一匹狼的格好よさがにじみ出るから!」
「「彼女いない」って意味は変わらないだろ」
「かく言う保志君だって彼女いないくせに」
「保志弘は、なんか、違うじゃん」
「ナミはちゃんと分かっているようで嬉しいよ」
「納得いかねぇー!! だって地味―に、ここに「セレベスさんとラブラブランデブー案」があるのに!!」
 保志弘からメモをひったくって、村正が叫ぶ。何それ。思わず私が身を乗り出すと、村正が見せてくれたメモには確かにそう書いてあった。
 私はナミを見る。
「……何これ」
「愛の力って偉大じゃん? ……はい、ごめんなさい。そっから下は俺とクロウで出し合った案なんではい普通ですからごめんなさい」
 よろしい。
「……いや、セレスおばさんならやりかねない……」
「保志弘、まだその話するの」
「次は「人間に捕まっていたが何とか逃げ出した案」だな」
 よろしい。
 テーブルに置かれたメモをつつきながら、村正が首を傾げる。
「捕まってたっつーと、ちょっと話が大事すぎね?」
「町外れに監禁されてたとか、そういうの難しいか?」
「いや、あー……そういや、本家の裏山の外れにそんな施設が……」
「……村正、何かあった?」
「大丈夫。うん、まあ使えそうな場所はあるかも。話自体も、最近活発な排斥派団体をうまく匂わせれば、信憑性はある程度確立できるかと」
「でも、何ヶ月も捕まってた割に二人の健康状態はかなりいいぞ。作り込むか?」
「怖い! 保志弘の目が怖い! 超真剣!」
「多少食事量を減らして、帰る前にその辺の泥でも被っておけば、問題ないと思うけれど」
「クロたんって思いのほかワイルドね……」
「手段を選んではいられないわ。……この案は使えると思うけれど、どう?」
「ああ、いいと思うよ」
「じゃーマル! 次はー……」
 こうして、多数ある案の検討は進んでいった。すんなり進んでいることはありがたいけれど、私としてはこうも上手く物事が運ぶものだろうか、とちょっと不安になったりもする。そもそも、ここまで烏に見つかっていないこと自体が、ただの強運だとしか思えない。事態は深刻化の一途を辿っているし、既に村正は烏に襲われて怪我を負っている。何だかこれから、もっと良くないことが起こりそうな予感がする。
 ……私の考え過ぎ、かしら。


 あれから二週間。その間、それぞれにいろいろなことがあった。
 私はセレベスさんに電話で連絡をとり、協力を申し出た。二つ返事でOKしてくれたセレベスさんには、内部協力者有力候補であるレッドとコガを上手く誘導、つまり他の烏に悟られずに私たちと合流するためのお膳立てをしてくれるよう頼んでいる。セレベスさん曰く、「レッドは烏としての能力が高く、大人たちも一目置いているし、コガは烏をまとめる長の孫だから、二人を懐柔できれば大きな一歩になる」とのこと。他にも、レッドは美人だし出るとこ出てるし気が強いから思いっきり可愛がってうふふ的なことを言っていたが、途中で保志弘に受話器を取られ、笑顔で電話を切られてしまった。あの保志弘の顔には、有無を言わせぬ威圧感があったから、私もそれ以上は介入しないことにした。
 村正は、ここに来ることがなくなった。顔を見られている村正が私たちに会いに来ることが危険なのは理解できるが、職場で顔を合わせる保志弘によると、それだけではないらしい。烏の目が及んでいない場所を捜しているそうだ。レッドやコガと話をするのに、その辺の公園では烏だけでなく人間にも見つかって、面倒になりかねない。またいくつかの案の信憑性を上げるため、条件に合いそうな場所を捜して町を練り歩いているそうだ。……烏の監視を何だと思っているのか分からないが、危険を顧みず協力してくれる村正には頭が上がらない。まあ、保志弘に言わせると「あいつは何もしないってことが出来ないからな。無駄だろうが危険だろうが、出来ることがあるならしたいんだろ」だそうな。その顔は少し誇らしそうだった。
 危険と言えば、玲於奈がこの間危険な目に遭っていたという。保志弘から伝え聞いたことだが、玲於奈が烏の襲撃に遭ったらしい。私たちの捜索とは関係なく、今までのように食料を漁りにきた烏が、それを目撃した町の人を襲った。それを巡回中いち早く見つけた玲於奈が、町の人をかばって怪我をしたそうだ。かすり傷程度で、元気に支部に来てばりばり仕事をしているそうだが、心配だ。そう言うと、保志弘は玲於奈に電話をつないでくれた。玲於奈はいきなりのことに慌てていたけれど、本人の口からいろいろ聞く限りは大丈夫そうで、安心した。……彼女を騙している罪悪感は未だ残るけれど、諸々片付いたら、ちゃんと会って話をしたい。
 これを受けて、ナミが立ち上がった。立ち上がってしまった、と言うべきかもしれない。「やっぱ待ってるだけじゃ駄目だ! 俺もなんか、出来ることを捜す!」と宣言し、その二日後には「町を歩いて烏と接触してみる!」と提案してきた。当然、私も保志弘もそれを却下しようとしたが、ナミは引き下がらなかった。「無理に接触せずとも、烏の内情を探ったり、人間に危害を加えようとする烏を止めたりするくらいはできる」というのが彼の言い分だった。それはセレベスさんに頼めばできることかもしれない。けれどあまりセレベスさんを頼れば、今度は彼女が私たちとの関連を疑われ、中立の立場を揺るがすことになる。何より、誰かに頼りっぱなしではいけない。そう言われた保志弘は悩んだ末に、許可を出した。条件として、日が沈むまでには帰ること、危険だと思ったら絶対に無理をしないこと、この二つを出し、ナミは応じた。なら私も、と手を上げようとしたのだが、ナミに「元々追われているクロウを無防備に外に出す訳にはいかない」と断られてしまった。確かにそうだ。納得はできる。でも私だって、保志弘に救われたところから既に、誰かを頼りっぱなしなのに。私だって、何かできることをしたい。


 家には私一人になった。
 保志弘に助けられてからナミが訪れるまで、見飽きるほど見つめた光景を焼き直している。
 あの頃は、怪我が治り次第ここを出て行くと固く決めていたのに。私の五体は満足に動くし、魔術だって問題なく使える。なのに私は何故ここに居るのだろう。大切な人たちを危険に晒して尚、ここにいる理由とは何なのだろう。
「……留守番、と、言われても……」
 そんな私の心を見透かしたように、保志弘は言った。「留守番を頼む」と。「君にしかできないことだ」とも言われたけれど、私は当然納得がいかない。ただ待つだけの、何にもならない行為は、ただ私を苦しめるだけだと彼は分かっているのだろうか。
「……」
 言葉が必要ない一人の空間で、頭と心がフル稼働する。答えがないことは分かっているのに、延々と同じ問いを繰り返す。
 私はこれでいいの?
 本当に、できることはこれしかないの?
 私は……。


 日暮れが早い。ぼうっとしていると、すぐにカーテン越しの光が暗くなっていく。
 遅い昼食は、保志弘お手製のサンドイッチ。ナミが帰って来てもいいように多めに作られているから、私は半分ほどをお腹に収める。
 保志弘の家は、物が少ない。だから、暇を潰すには不向きだ。気紛れに棚に収められた本を手に取ってみたけれど、内容が頭に入ってこない。表紙を見ると「生物学」という文字が大きく書かれていた。サブタイトルは、わけの分からない文字がつらつら並んでいる。……そっと本を棚に戻し、別の暇潰し方法を考える。日が落ちて来たから、ナミは約束を守ってそろそろ帰ってくると思うのだけれど。

 『――クロウ、いる?』

 突然、耳に届く声。
「……!?」
 これは烏だけに届く声だ。最近も時たま聞くようになってはいたけれど、この声には心を揺らさずにはいられなかった。
 レッドの声だ。
 何で、今、レッドの声が? 考えれば可能性は十分あったのに、今まで彼女の声を聞いたことがなかったから、油断していた。脳裏で彼女にまつわる記憶が、烏らしく過ごした日々の記憶が流れ出す。
「……」
 落ち着け。落ち着いて。烏の間でやり取りするこの声は、心の声に近い。強い思考を烏特有の器官で波として発し、同じく特有の器官で受け取るのだ。動揺して不用意に言葉を投げれば、居場所がばれかねない。落ち着いて。そうすれば相手に声は届かない、私の存在を感づかれない。
 冷静に、声を音として受け入れ、聞き流す。脳裏に流れた記憶には、そっと蓋をした。
『聞こえてるだろ? この辺りにいるって情報は確かなはず』
 懐かしい声。凛とした、姉のように慕っていたレッドの声。心が緩みそうになるけれど、今は駄目。
『なあクロウ、どこに居るんだ。やっと捜索に加わらせてもらったんだ、絶対見つけるからな』
 ……駄目。私を見つけないで。お願いだから。
 レッドは人間を嫌っている。烏の思想に忠実だ。自分に非があると認めれば、その考えを変えてくれるかもしれないけれど、いかんせん彼女は直情型。私を見つけることに全力を傾けているレッドが、私の説得を冷静に聞いてくれるとは思えない。
『……返事はなし、か。ま、分かってはいたけど……辛いな。あたし、そんなに信頼されてなかったか』
「……」
 私は耳を塞いだ。耳から聞こえるわけじゃないこの声に対して、この行為は全くの無意味だけれど、やらずにはいられなかった。意思だけでなく行動で拒否を示したかった。
 そんなことはない。私はレッドを信頼している。家族のように慕っている。かつて、今より人付き合いが苦手だった私に、躊躇い無く踏み込んで来た彼女のおかげで、私はコガに出会い、ナミに出会い、友人を得た。彼女を嫌う理由なんて何処にも見当たらない。今だって、レッドに会えるなら会いたい。
 だけど今は乗り切らなければならない。
 ……誰かにいてほしかった。たまらなく、誰かに傍にいてほしかった。
『クロウ……分かった。理由は分からないけど、何か事情があるんだろ? あたしはそう信じるよ。だから、今は返事はいらない。あたしの話を聞いてくれ』
 村正の能天気な声を聞きたい。
 ナミの明るい笑顔を見たい。
 保志弘の温かさを、近くで感じたい。
 だけど、いやだからこそ耐えなければならない。ここで耐えられなければ、私が望んだ彼らの姿を見ることは、できないだろうから。
「……」
『あんたには、辛い話かもしれないけど。ナミが、一人であんたの捜索に向かって姿を消した。もう何ヶ月も前の話だ』
「……?」
 ふと違和感を覚える。レッドは直情径行型、頭を動かすより先に体を動かすタイプだ。悪く言えば、考え無しの行動が多い。というのに、私は今彼女の心理的な攻撃に相当揺さぶられている。
 これは本当にレッドの言葉なの? その声や口調は間違いなくレッドだけれど、彼女ではない誰かを感じる。だとしたら……。
『そのナミを、さっき見つけたんだ』
「……、え?」
 思考が止まり、呼吸が止まるかと、思った。
 ナミが見つかった? 誰に……烏に?
『あいつ、黒髪じゃないし服もいつものじゃなかったから、最初は分かんなかったんだけど。明らかにあたしたちを警戒していたし、その警戒の仕方もそこいらの人間とは違った。誰かと思って取っ捕まえたらナミだったんだ』
 ……嘘でしょう。嘘だと言って、レッド。
 ナミがそんなヘマをしでかすはずがない。普段多少抜けているところはあっても、決めるときは決める男なんだから。もうすぐ保志弘との約束を守って、帰って来てくれるはずなのだから。
『ナミは、別の烏たちが連れてった。あたしが強く言っといたから、手荒にはしないと思う』
 嘘だ。
 嘘だと、思っているのに。嘘だって、絶対に嘘だって、信じているのに。
 目の前が暗くなる。重い目蓋を閉じる。広がる闇の中には何も無い。
『……ナミがいつもと違う服を着てた。それも上等なもんだ。多分、裏で手引きしている奴がいたんだと思う。あんたもそいつらに捕まってるんじゃないのか? 助けたいんだ、頼むから場所を教えてくれ』
 目が熱くなる。気がつくと泣いていた。
 嘘、嘘よ。私はナミを信じてる。心から。
 なのに、どうして泣いているの……。
『このままだとナミを尋問することになる。あんただってそれは嫌だろ? クロウ、あた』
「駄目……!!」
 無意識に、私は、叫んだ。
 絶対に私の為に、ナミを尋問なんて、させてはいけないと……鮮明な、強い、意思を以て。
「…………!!」
 気づいたときには、遅かった。
 手で口を塞いだって、飛び出したものは帰ってこない。思考は空気振動よりも強く早く駆け抜けて。
『――見つけた! レッド、反応あったよ!』
『うっさい分かってる! クロウ、そこにいるんだな!? すぐ行くから!!』
「……駄目……」
 体から力が抜けていく。私は窓に目を向けて、そのままカーペットに腰を下ろしてしまった。自分が何をしたのか分からない。分からないのではない。分かりたくない。
 私は罪を犯した。
 頭に響くのではなく、鼓膜に届く翼の音。ベランダに降り立つ二つの足音。窓ガラスが軋む音。
『クロウ、防御魔術使って』
 この落ち着いた声は、コガ。多分、ずっとレッドの傍にいたのだ。レッドにいつになく感情に訴えかけるような言葉を使わせたのも、おそらく彼だろう。
「……」
 力ない腕がゆっくり上がる。きっと二人は窓を割るつもりだろう。いっそこのまま何もせず、硝子の破片を浴びて息絶えた方が楽なのではないかとすら思える。それほどに、私は自分を責めたかった。いや、責めるべきだった。
 私以外の人たちが、危険を顧みずあんなに助けてくれたのに、私の一言が全てをぶち壊してしまったのだ。
 ぴし、と窓ガラスが鳴った。私は危機回避能力に任せて防御の魔術を発動させた。黒い羽根が連なって壁になる。
 次の瞬間、ガラスが割れた。
 夕日を反射する赤い光が散る。どこかでこんな光景を見た、とぼんやり考え、思い出す。ナミがここに来たときも、窓ガラスを割っていた。二度も窓ガラスを……保志弘に何と謝ればいいのだろう。
 保志弘に……何と、言おうか。
 そもそも、何かを言えるような猶予を、私の前に現れた烏たちは、許してくれるだろうか。
 降り注いでいたガラスの破片が落ち着く。私の周り以外には、大小さまざまなガラスの破片が散っていた。私含め、保志弘の部屋に集まった三羽の烏は靴を履いているので、気にする必要はないのだけれど。
 私は、魔術を展開していた腕を下ろす。同時に羽根の壁は消え去り、その向こうに懐かしい姿を映した。
 長い黒髪にシャツとカーディガンの、見た目だけは令嬢風の少女。
 そして、ブローチで飾ったストールと変形ズボン、目を隠す長い前髪が特徴的な少年。
 私が自ら呼び寄せた罰は、大好きな烏の形をして現れ、私を抱きしめた。
「クロウ……! 無事でよかった!!」
 ガラスの破片で傷つく可能性もおかまいなく、レッドが私の前にしゃがみ込み、私を抱きしめる。私より身長が高い彼女は、私の体をすっぽり包んでしまった。
 何ヶ月かぶりに、レッドに会えた。コガに会えた。私を心配してくれていた。嬉しいことなのに、喜べない。ちっとも。これっぽっちも。
 何より、これからの事が怖くて、私は震えた。また涙がこぼれた。
「あーもう、どんだけ心配かけさせるんだ! もう何ヶ月も行方不明で、どいつもこいつも諦めてくから本当辛くて……っ!」
「いやいやレッド、一番辛かったのはクロウだと思うんだけど」
「あたしが一番辛かった!!」
「はあ……。とにかく無事で何よりだよ、クロウ」
 私そっちのけで泣き出すレッドの隣に、コガがしゃがみ込む。私と目線を合わせてそう言った。
「……わ、たし……」
 どう返せばいいのか分からなくて、私は意味もなく呟いた。それを混乱、動揺ととったのか、コガは少し躊躇いがちに私の頭に手を置いて、撫でてくれた。懐かしい感覚。前はその行為を「子供扱いしている」と批判的だったのに、今はそのおかげで心が落ち着いていく。
「もう大丈夫だよ。早く帰ろう? いつまでもここに居る必要はないし、早く行かないと人間に見つかっちゃう」
「そうだな! クロウ、立てるか? 怪我はしてないみたいだけど」
 やっと私から離れたレッドに促される。自然に立とうとするけれど、足が上手く動いてくれない。力が入らなかった。腰が抜けている。
「……立てない……」
「ま、確かにいきなりだったし、あんなこと言っちゃったしなあ……ほら、掴まれ」
 差し出されたレッドの手を取り、何とか立たせてもらう。それでも少しふらつくので、レッドの腕を支えにした。
 私はレッドとコガに見つかってしまった。ナミも捕まった。状況は絶望的で、それを招いた私には重大な責任と罪悪感がのしかかっている。
 でも、今はそれに飲み込まれては駄目だ。ここで全てを諦めて、投げ出してはいけない。私にはきっと、まだできることがあるはずだ。私にしかできないことが、私だからできることが。考えて。考えろ。
 諦めちゃいけない。私にはまだ、守るべき人がいるのだから。
 私は時計を確認した。まだ保志弘が帰ってくる時間には遠い。今のうちに烏の住処へ帰れば、保志弘に捜索の手が伸びるまで時間がかかる。その間に情報をセレベスさんに流して、保志弘の避難を手引きしてもらえば、顔が割れていない保志弘は安全になるはずだ。もちろん村正を逃がすことも忘れてはならない。村正については、すでにレッドたちが顔を知っているし、彼が私たちに関連していることは気づかれている。保志弘が見つからなければまず彼を狙うのはほぼ間違いないだろう。やはり彼もセレベスさんに頼んで、逃がしてもらうのが望ましい。
 これが良いのか悪いのかなんて分からない。私は策士ではない。それでも分かるのは、ここに長居しても何の意味もないということ。
「……行きましょう」
 私は言った。窓に向かう。
 ほんの数分前まで、何の変哲も無いいつもの景色だったのに。いつの間にか、こんなに変わっている。でもそれは逆なのだ。
 今までがおかしかった。これから元に戻るだけ。
 だって私は烏で、保志弘は人間だった。これは変えようのない事実であり、この二つの種族を隔てる溝はあまりに深く、歩み寄ることはできなかった。

 ――がちゃり。

 ……。
 ……?
 耳を疑う。
 この金属音。私はほぼ毎日この音を聞いていた。嫌でも分かる。
 その意味は。
「……な」
 私が足を止め、必然的に私が支えにしているレッドも足を止める。それに気づいたコガも窓を背にし、その音の出所を見つめた。
「何で……!?」
「……ただいま」
 玄関には確かに、幻でもない現実の、何の変哲も無い白江保志弘が立っていた。
 レッドとコガが緊張を高めているのが分かる。私はしかし、それに構っていられなかった。
「何で、どうして……!」
「うわあ……まさかまた窓ガラスをやられるとは……」
 私の動揺を意に介さず、保志弘は能天気にそう言うと、いつもの通り荷物を片付け始めた。前のように、スリッパを履くことも忘れない。
 何で、そんなに平然としているの? 今の状況はおかしい。今この状況は、貴方を危険に陥れる。下手をすれば、死んでしまうというのに。
「……さて、と」
 いつもなら脱ぐジャケットは着たまま、保志弘はやっと私たちにちゃんと目を向けた。そこから私たちがどう見えているかは分からない。
「君たちが、クロウの友達?」
「あんたがクロウを閉じ込めてたんだな?」
 保志弘の問いには応えず、レッドが低く問いかける。
 私はここで一つの可能性を考えた。ここで保志弘が真実を話し、私がそれを擁護すれば、私の身に起こったことを、人間に救われたという奇跡を信じてもらえるのではないか。保志弘一人の言葉は聞き入れられなくても、私が加われば、そして相手が私を信じてくれるレッドとコガなら、あるいは……。
「そうなるな」
 ……は?
「「閉じ込めていた」というよりは……「留まってもらっていた」というか。いや、彼女の自由を奪ったという点では、特に変わりないかな」
「否定しないんだ。潔いな」
「俺の弁明は信じてくれそうにないからな。えーと、君たちが、レドニアとコガ、かな」
「……何で名前を」
「クロウとナミが。大切な友達だと教えてくれたよ」
 平然と言いながら、保志弘は部屋に入って来た。レッドは彼を慎重に見つめ、彼に向かって腕を伸ばしている。何かあったら、すぐに魔術で攻撃する構えだ。
 何で、どうして。私の頭はそればかりに支配され、保志弘とレッドの対話に口を挟む余裕がなかった。どうして今嘘を吐いたの。私の友人なら、レッドとコガなら話を聞いてくれると前に言ったはずなのに。そんな大事なことを忘れるような人じゃないのに。
 彼の行動、言動からは一切の焦りが見られない。おそらくは何か考えがあっての行為だろうけれど、一体何を考えているの? 何をするつもりなの?
 彼が分からない。
「あたしがレドニア。こっちがコガ。あんたの名前を訊いてなかったな」
「俺は……保志弘、だよ。保つ、志、弓にカタカナのム」
「……保志弘、最終確認だ。あんたがクロウとナミを捕らえていたってことで、間違いないな」
「ああ」
 キッチンに繋がるカウンターに寄りかかり、保志弘は迷い無く頷いた。軽く両手を挙げているのは、無抵抗の証だろうか。
「なら、あんたはここで痛めつけておかないとだ。だけどその前に、訊きたいことがある。何故こんなことをした?」
 レッドが伸ばした手に光が集い、漆黒の羽根を一枚具現化させた。脅しのつもりなのだろうが、保志弘は顔色一つ変えず、むしろ微笑すら纏って会話を続ける。
「何故、か。俺は烏対策部に務めていてな、烏のことを知りたかったんだ。生態だけでなく、文化的、精神的な側面からも。クロウに関しては、傷だらけで倒れていた彼女を匿う名目でここに連れ込み、情報を得ようとした。助けた恩があったからな、簡単だった。実際多くの情報が手に入ったし、支部の方でも利用できそうなものもいくつか得られたよ。で、後にナミに見つかったんだが、まだ知りたいことがあったんでその場で手放すわけにはいかなくて……彼も上手く丸め込んだってところだ」
「そんなことの為に……っ、つくづく人間なんて信用ならないな! それでどれだけの烏が犠牲になったと思ってる!!」
 レッドが噛み締めた歯が軋む。私も別の意味で歯を食いしばっていた。
 よくもまあそんな嘘をつらつらと。保志弘が本気で私を心配し、ナミを心配してくれていたことを知っているからこそ、混乱が度を超えて怒りに達していた。
「保志弘……貴方、どうしてそんなことを」
「……」
 呟いたけれど、保志弘は応えてくれなかった。
 そこにコガが口を挟む。
「僕からも、あなたに訊きたいことが」
「何だ?」
「本当ですか?」
 初めて、保志弘の顔が僅かながらこわばった。多分コガは、それを見逃さない。
「冷静すぎて、むしろ不自然ですよ」
「……そろそろこうなることは予測していた。驚いていないわけではないが、表に出にくい質なんだ」
「……」
 コガは納得がいっていない様子ではあるが、反論できるだけの材料がないのだろう、それ以上は言葉を重ねなかった。
 静寂の中で、保志弘は笑いながら腰を下ろした。
「さて。俺への聴取も終わったようだが、俺を殺すのか?」
 殺す。その言葉はあまりに非現実的な響きだった。なのに現実の時は確かに進んでいて、レッドと保志弘の無慈悲な会話が続く。
「そうだな。あんたを生かしておく理由はないし、報復もしなきゃならないからな」
「見せしめってやつか」
「……怯えもしないのか、気味悪い。そっちの予測も立ててたってわけか?」
「もちろん。今まで得た情報と俺の命が釣り合うかどうかは、ちょっと分からないけどな」
「……っ」
 堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしなさい保志弘!!」
「え!?」
「!!」
 私が大声で叫ぶと、レッドとコガが驚いた顔を向けた。保志弘も僅かに驚いているけれど、むしろそれが私の怒りを煽った。
 何でそんなに落ち着いていられるの。何でそんな嘘を吐くの。みんなが助かる道を選ぶと、犠牲にはならないと約束したじゃない。何故私には何も教えてくれないの。何故私には何も言ってくれないの。
 いつだって貴方が分からない。
 知りたいのに。
「私は知ってる! 貴方が申告した通りの人間ではないことを! なのにどうして今、よりによって今こんなところで、そんな」
「クロウ」
 保志弘の静かな声は、私から言葉を奪った。その声は僅かながら怒りを孕んでいたからだ。初めて聞く声色に戸惑う。
 けれど次の瞬間。保志弘はやっぱり微笑を浮かべて。
「俺たちは元々、こうあるべきだった。君も言っていただろう? 「烏と人間は相容れない」と」
「違う……違うわ」
 確かに、過去の私はそう言った。必要以上に関われば、今のような状況になると。
 結果は見ての通り。こうなって、私はやっと保志弘と必要以上に関わってしまったと理解した。時既に遅し。後戻りなんかできるはずもなく、私はこうして泣きながら、保志弘の死を食い止めようとしている。
「……後悔なんか、していない」
 それでも私は、貴方と、貴方たちと出会えたことを、後悔しない。
 保志弘の漆黒の目を見て伝える。
「私は……貴方を知って、よかった」
「……」
 保志弘は目を逸らし、俯いた。何を思っているかは分からない。けれど、やっぱり報復を受けるという未来から逃れる意思は感じられなかった。どうして。
「……クロウ、話は終わりでいいな?」
 レッドが私の肩を掴んだ。彼女が保志弘を見る目には冷酷な色があって、やっぱりレッドは保志弘を殺してしまうのだと実感する。彼女がやれば確実に、保志弘は死ぬ。レッドは手加減というものをしない、いつだって本気で真剣だ。特に仲間思いの彼女は、仲間を騙し、危険に晒した保志弘を許しはしないだろう。
 レッドは掴んだ私の肩を後ろに押し、保志弘の前に立つ。横に払った手に黒い羽根を呼び出す。
 ――分かった。
「待って、レッド」
「止めるなよクロウ。烏には烏のやり方があるし、何よりあたしはクロウを泣かせたこいつが許せない」
「私が」
「え……まさか?」
 コガの困惑の呟きは無視する。レッドの腕を掴んで、私を見た彼女とまっすぐ視線を合わせる。私の本気を見せるために。
「私が、やる」
「……クロ、ウ……でも、あんたじゃ」
「できるわ。私が、けじめをつけなければならないのよ」
「……本当に、できるんだな?」
「ええ。だから手を出さないで」
「……分かった」
 レッドは表出させていた羽根を消し、戸惑っているコガの隣に立った。彼は何かを囁いているようだが、レッドも言い返している。手を出してはこないだろう。
 私は保志弘の前に立つ。座っている彼を見下ろす形だ。笑っているところを見ると……私の行動は、彼の意に添えたのだろう。
「……約束を、破ったわね」
 後ろの二人に聞こえないよう、小さく呟く。返事があるとは思わなかったけれど。
「……ごめん。これが、今できる最善だと信じた」
 保志弘はそう応えた。それで十分だった。
 彼はやっぱり、白江保志弘だ。私が知っている彼で、間違いなかった。
 レッドとコガが見ている。もう逃れる術はない。私はレッドと同じように、黒い羽根を呼び出す。狙うのは左肩、心臓への直撃を偽装できる部位だ。指が震える。手が震える。体全体に震えが走って、立っているのもやっとの状態。呼吸のテンポも心拍数も上がる。私がひとつ間違えれば、彼は死ぬ。それだけは駄目だ。暴れる心臓を、震える体を押さえつけるように深呼吸をする。
 保志弘が目を閉じた。
 それが合図だった。


 保志弘は床に倒れた。体が斜めに傾いで、スローの映像を見るように、ゆっくりと倒れた。床に赤い血が広がっていく。彼が背にしていたカウンターにも血がついていて、彼がずり落ちた跡がくっきりと残っていた。
「……」
 生きているか死んでいるか、分からない。ほぼ狙い通りだったが、思ったより出血量が多い。このまま放置すれば、行き着く先はやはり死だろう。
 私は冷静だった。いや、情報を適切に処理することを放棄して、逃げていた。目の前の現実から目を背けたい、と思うのはよくあることで、私は迷い無くそれを実行していた。そうしなければ、私は自分が何をしたのか理解してしまうし、その結果彼がどうなったのかを認識してしまう。私は立ち尽くしながら、必死に逃げた。
「……クロウ、帰ろう」
 コガの声が背後から聞こえた。帰る? どこに帰るというのだろう。私が帰る場所はここだったのに。
「……」
 逃げながら考える。保志弘の意に従い、私にできる最大限をしたつもりだけれど、できることはもうないのだろうか。このまま荒れ果てた部屋で彼が死ぬのを、嘆くしかないのだろうか。この場から立ち去り、彼のことを忘れて、かつてのように人間との交流を拒みながら烏らしく生きていくしかないのだろうか。
 ……あの保志弘が、本当に私との約束を、違えるのだろうか。
 見回した部屋。その視界の端に、あるものが見えた。
 保志弘がここまで見越していたかは分からない。私がそれに気づけなければ、彼は本当に死んでしまうのだ。彼は私の機転に賭けたのだろう。
 私は勝ってみせる。
「もう少し」
「え?」
「もう少しだけ……一人にして」
「だけど……」
「五分……三分でいいわ。気持ちを整理したい」
「……分かった。外に出よう、レッド」
「ああ」
 私の気持ちを酌んでくれたコガが、レッドを促してベランダへと出た。そこから翼を出して飛び立ち、視界から消える。これなら声は聞こえないし、私の行動も監視されない。
 私はそれに歩み寄った。急いで飛びつきたい気持ちだったけれど、急に動いたら膝から崩れ落ちてしまいそうで、それは避けたかった。
 自分から使ったことはほとんどない。けれど、使い方は保志弘から教わっているし、練習もした。出来るはずだ。いや、やらなければならない。
 ボタンを押していくと、液晶に呼び慣れた名前が出てきた。それを選択して受話器を取る。
 コール音はやたらとゆっくりしている。私の手が、意思とは関係なくかたかた揺れ始める。早く出て。早く出て。受話器を取り落とす前に早く。
 きっちり、三度目の呼び出し音が鳴った時。
『はいもしもし、どしたの保志君! 保志君から電話してくるなんて珍しいじゃないか!』
 ……駄目だった。
 明るい声が呼んだ名前を持つ男が、今、私の横で、血塗れのまま倒れている事実が。それを招いた私の軽率な行動が。全てが罪となってのしかかる。
 保志弘だけでなく……村正まで傷つけてしまう私の、罪。
 耐えられない。もう、駄目だ。
 涙が。
『……あれ? 繋がってるよね? おーいどうしたのー? もしもーし?』
 ざわつきをバックに、明るい声が響く。今はただ私の中に虚しく、しかし重く届いた。
 どんな言葉を使えばいいのだろう。何て言えばいいのだろう。どうあがいても彼を傷つけてしまうのに、私は今更言葉を選ぼうとしていた。いや、そもそも言葉になるのかすら怪しい。嗚咽を必死にこらえるのに精一杯で、まともな言葉を吐こうものなら、言葉を押しのけて大声を上げて泣いてしまいそうだった。
 いつの間にか、村正の声が消えていた。私はその間に呼吸を整える。
 何とか息を吸ったとき。
『……クロたん?』
 保志弘もナミも呼ばない、彼だけが呼んでくれる私の渾名。
 私が受け入れられた証。親しさの証。
「……っ」
 吐く息が引きつった。大した言葉は喋れないだろう。あまり長く留まり続ければ、外のレッドとコガにも感づかれる。必要なことだけを喋れば良い。
 私が最後に残す言葉になるとしても、だからこそ、万感を込めて。
『どうしたの? 保志君早上がりだったよね? 何かあった? 保志君いないの?』
 畳み掛けられる言葉への返事は、思いつかない。
『ってか、泣いてる……?』
 ありがとう。ごめんなさい。どうか無事で。
 全ての思いから、言葉を絞り出す。


 保志弘を、助けて。


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